龍帝陛下の身代わり花嫁

…逃亡者の事情


「ヨナ様が『龍帝陛下の花嫁』を志願されたのは、国をーー紅国を出ることが目的でした」
「国を出る……?」

 私の声に、青年はこくりと首を縦に振る。

「ヨナ様は紅国の第五皇女です。生まれながらに国のために身を捧げる責務があり、理由無くしては国を出ることも叶わない立場の方でした」

 彼は静かにその目を伏せた。

「『龍帝陛下の花嫁』は、各国の持ち回りで十年に一度ここ亜人国に捧げられる乙女のことです。龍帝陛下に見初められれば国の繁栄と豊穣を約束されますが、袖にされた場合は国に帰ることは叶わず国外追放となります。ヨナ様はそれを利用されるおつもりで、この地に赴かれました」
「つまり、元から貴方を置いて逃げるおつもりだったということですか?」
「違います!」

 強い否定の声に、思わずびくりと肩が跳ねる。
 その反応に青年は慌てて謝罪を口にすると、その顔を俯けた。

「ヨナ様は、もちろん『龍帝陛下の花嫁』としての務めを果たされるおつもりでした。それをソジュンが――」
「ソジュン?」
「……私の双子の弟で、幼い頃からヨナ様の護衛を務めていた者です。ヨナ様とソジュンは、想いを通わせ合った恋人同士でもありました」

 彼の言葉に目を見開けば、顔を上げた青年はくしゃりと顔を苦しそうに歪める。

「二人の間には、大きな身分の壁があります。越えられない身分差があるにもかかわらず互いを諦められなかった二人は、一芝居打つことにしたのです。ヨナ様が『龍帝陛下の花嫁』として国を出て、例の如く龍帝陛下に袖にされれば何の瑕疵もなく紅国を出ることができます。そんな無茶をしてでも、二人は一緒になりたいと願ったのでしょう」

 小さく苦笑した彼は、ぽつりと言葉を漏らす。

「ただ予定外だったのは、ソジュンが万が一にでもヨナ様が龍帝陛下に見初められることを恐れ、わざわざここまでヨナ様を迎えに来たことです」

 元々『龍帝陛下の花嫁』の護衛として同行を許されていたのは目の前の青年だけらしい。
 しかし、ヨナ姫の恋人は約束の場所で待つことに耐え切れず、こっそり彼女を追ってここまで来てしまったのだという。
 そう話した彼は、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。

「孤児である私を護衛として側においてくださったヨナ様と、たった一人の大切な家族である弟の願いです。私は二人に逃げるよう言いました」
「でも、そうなると貴方は――」
「花嫁が逃げたとなれば、私も祖国も厳罰を下されるでしょう。神に等しい存在である龍帝陛下を謀るのですから」
「神……?」

 たかが一国の王であろう相手を『神』に例える彼の発言に違和感を覚える。
 聞く限り普通の政略結婚としか思えないのに、目の前の青年は妙に深刻な様子に見えた。

「龍帝陛下は他国の王様なんですよね?」
「左様です。ただ我々人間の国とは違い、亜人国を統べる『龍帝陛下』は人ならざる力を持つ存在だと伝え聞いております」
「亜人国……?」

 聞きなれない言葉を、つい鸚鵡返しをしてしまう。
 漫画や小説の中でしか聞いたことのないような彼の説明に戸惑いを隠せない。
 先程まで自宅近くの桜並木を歩いていたはずなのに、ここは一体どこなのだろうか。

「亜人国とは人の国を囲む大国です。そして『龍帝陛下の花嫁』とは、亜人国に捧げる供物のようなもの。我々人間は、そうやって亜人の機嫌を取ることで自分達の生活を守ってきました」

 青年の言葉に思わず身を硬くする。
 つまりこれから会う相手は、人間よりも遥かに立場が上の存在なのだろう。
 そんな『龍帝陛下』に今回の嘘を見抜かれてしまったらと考えると、冷たいものが背中を伝った。
 今からでも逃げ出すべきなのではという考えが脳裏を掠めれば、正面に傅いていた青年がぐっとその拳を握りしめる。

「去って行くヨナ様とソジュンを見送ったとき、祖国を裏切る覚悟を決めました。あとは、どうやって二人が逃げる時間を稼ぐかだけだったのです。二人が幸せになれるのであれば、私の命など惜しくもなかった」

 低く呟くようなその声に言葉を失う。
 目の前の彼は、主君と弟のために全てを背負ってこの場に残ることを決意したのだろう。

「今回のことにハルカ様を巻き込んでしまい、誠に申し訳ございません」

 まるで床に額を擦りつけるように、彼は深々と頭を下げた。

「貴女のことは、命に代えても必ずお守りいたします。どうか、どうか私に、お力をお貸しください」

 懇願するようなその声音に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
 私がヨナ姫の身代わりをしても、彼が得るものは何もない。
 それでも、二人のために命を懸けて時間を作ろうとしている青年のひた向きな姿に、気付けばこくりと首を縦に振っていた。

「私で、お役に立てるのであれば」
「ありがとうございます」

 掠れたような声と共に、ゆっくりと青年が顔を上げる。
 こちらに向けられた真っ直ぐな眼差しに、照れくささから視線を外せば、向かいから僅かに笑ったような気配を感じた。

「……顔立ちは違うものの、ハルカ様のたおやかな空気は、やはりヨナ様に似ていらっしゃいますね」

 どこか懐かしむようなその声音に視線を向ければ、こちらを見上げていた青年から、にこりと微笑みかけられる。

「ハルカ様。お困りの際は、どうか『セジュン』とお呼びください。それが私の名です」

 美しく細められた青い瞳に動揺しながらも、なんとか平静を取り繕う。

「セジュン、さん」
「はは、呼び捨てていただいて構いませんよ」
「そういうわけには――」

 小さな笑い声を立てた彼は、私の手を引き寄せると、その甲に唇を寄せた。

「ハルカ様、七日後に必ずお迎えに上がります。それまで、なにとぞよろしくお頼み申し上げます」
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