龍帝陛下の身代わり花嫁

…身代わり②


「私はヨナ姫ではありません」

 私の言葉に、彼の動きが止まる。
 強引に腕を引いていたセジュンさんは、ぎしりと身体を強張らせると、ぎこちない動きでこちらを振り返った。
 呆然としたその表情を見て、ぎゅっと口端を引き結ぶ。

「私がヨナ姫にどれほど似ていたのかはわかりませんが、私達は全くの別人です」

 私の言葉に、彼はその目を瞬く。

「申し訳ありませんが、貴方の期待には応えられません」

 そう告げると、深く頭を下げた。
 セジュンさんは、主君を失い空いてしまった心の空洞を私で埋めたかったのだろう。
 もしかしたら、本当にただの厚意でヨナ姫に似た私を助けたいと思ってくれていたのかもしれない。 
 仮にもしそうだとしても、レイゼン様の側にいることを心に決めた私には、彼から差し伸べられた手を取ることはできなかった。

「そんな……」

 震えるような声に、ゆっくりと顔を上げる。
 今にも泣き出しそうな彼の顔が視界に映った次の瞬間、その姿が忽然と消えた。
 同時に強風が舞い起こり、慌てて目を閉じる。
 舞い起こった風に身体のバランスを崩した瞬間、ぐっと腰を引かれて何かに包み込まれた。
 何が起こったのかわからないまま顔を上げれば、見慣れた横顔が視界に映る。

「私の花嫁に触らないでもらおうか」

 普段穏やかに話す彼の、剣呑とした響きに思わず目を瞠った。

「レイゼン様」

 私の声に小さく頷き返した彼は、その視線の温度を再び落とす。
 彼の視線の先、渡り廊下の近くの桜の樹の根元には、先程の強風で強かに背中を打ち付けたらしいセジュンさんが咳込んでいる。

「そなた、逃げ出した紅国の花嫁の従者だな」

 レイゼン様の言葉に、セジュンさんは顔を上げた。
 青褪めたその顔を前に、レイゼン様はすっとその目を細める。

「逃げだした二人は既に別の人の国へと渡った。そなたがここにいる理由はもう存在しない。即刻立ち去りどこへなりとも行くがいい」

 冷たく言い放つその言葉に、セジュンさんは眉を顰める。
 唇を噛み、その瞳に明らかな嫌悪を浮かべた彼は、ゆっくりとその唇を開く。

「……それは、ハルカ様と引き換えに我々を逃がすということですか」
「はて。そなたに説明する必要があるか?」

 挑発的なセジュンさんの言葉を、レイゼン様はあっさりと切り捨てる。
 私の腰に回した手にぐっと力を込めた彼は、その唇を薄らと釣り上げた。

「そなた、紅国の花嫁に懸想しておったのだろう?」

 レイゼン様の言葉に、ぴくりとセジュンさんの眉が跳ねる。
 初めて耳にするその話に目を瞬けば、レイゼン様は静かにその目を伏せた。

「共に生まれ育った大切な弟と同じ相手を愛してしまったことは、そなたにとっては不幸であったのだろうな」
「なぜそれを――」

 驚愕の表情を浮かべるセジュンさんに、柔和な笑みを返すレイゼン様。
 レイゼン様はふっとその顔を緩めると、私を抱き寄せながら静かに口を開いた。

「そなた、あわよくば我が花嫁を、あの女の代わりとして側に置こうとしていたのだろう?」
「そんなこと――」
「亜人は耳が良い。先程までのそなたたちの会話も、数日前の夜にそなたがここを訪ねてきたときの会話も把握している」

 にこりと笑顔を浮かべたレイゼン様を見て、セジュンさんはその顔を青褪めさせる。
 驚きに顔を上げた私を見て、レイゼン様はおかしそうにその顔を緩めると、額に触れるだけの口付けを落とした。

「生憎だったな、私はハルカを手放すつもりはない」
< 46 / 47 >

この作品をシェア

pagetop