キミのいない世界

 体を起こし、担当医だという女医の診察と説明を受ける。状況を整理すると、セカイは長年患っていた「眠り病」という奇病によって長く眠りについていたという。期間はちょうど一年。この眠り病は突然発症し、いつの間にか治っていることがほとんどで原因も治療法も分かっていない。一度眠ると目が覚めるのがいつになるのか分からない睡眠障害で、それ以外に症状もない。セカイは幼少期に発症して病気が発覚し、それからはあまり眠らないように生きてきたらしい。それが一年前、何かをきっかけに深い眠りに落ちてしまい、そのまま今日まで眠ってしまっていたようだ。
 簡単な説明を受け、セカイはゆっくりと目が覚めた現実を噛みしめる。家族は放浪気味の養父が居るだけで、実の両親がいつどうなったのかも覚えていない。普段は養父が建てたマンションの一室で一人暮らしをしていて、そのマンションの住人たちとは仲が良く、家族や友人のように過ごしてきたらしい。先ほど、セカイと呼んで笑っていたのはそのマンションの住人の一人で加賀見(かがみ)叶弥(きょうや)。彼女が兄のように慕っていた男性だ。そして目が覚めてからずっと傍に居た美人もやはり男性で、神守(かみもり)夜音(やのん)というらしい。同じくマンションの住人で謎が多いものの、セカイとは仲が良く、よく一緒に過ごしていたと聞いた。しかし、彼女に二人の記憶はなかった。

「一度に説明を受けて疲れてない?」

 女医からの病状についての説明後は、二人から生きてきた環境と大まかな半生について説明を受けたセカイを夜音は労わった。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 本当は情報処理で精一杯だが、それを隠してセカイは微笑んだ。つられたように夜音も微笑むが、彼女の手を握る強さが増した気がする。そういえば、女医の話を聞く間も今もずっと傍に居て手を握られているが、なぜなのだろうとセカイは首を傾げた。

「それじゃあ、セカイ。俺はマンションのみんなにお前の状況とか、伝えてくる。また来るからな」

 叶弥は少しだけ気まずげにセカイに笑い、夜音には目も向けずに病室を去った。セカイはまた首を傾げるが、ふたりきりになった病室でそっと頬に手を当てられたと思うと、夜音を見るように誘導される。

「どうかしました?」

「……いいや、何でも。ただ、君を見たかっただけ」

 頬を撫でられ、恥ずかしさに目線が下がる。しかし顔を背けることは許されず、数分もずっと何も言わずに見つめられた。ちらりと様子を伺えば、夜音は熱のこもった視線をセカイに注いでいた。それが優しくも心地良いものだから、彼女もつい許してしまう。

「あの……」

「ん?」

「どうして、そんなに見つめるんですか?」

 視線に耐え切れずに訊けば、夜音は息を吐くように笑った。それが妖しくも色っぽく思えて、セカイは思わず目を合わせてしまう。すると、彼の目にははっきりと自分の顔が映り込み、その目の中で彼女は初めて自分の顔を見た。彼の紅茶色の瞳の中で、なぜか泣きそうな顔をしていた。それでも悲しいとは思わず、ただ彼を見つめ返す。そうしていると夜音の両手がセカイの両耳を塞ぎ、だが顔は逸らせないまま見つめ合う。

 ―― きみがわたしの〝せかい〟だから ――

 口の動きとくぐもった音でそう聞こえた気がした。困惑するが、自惚れのような気がして勘違いだと思うことにする。夜音の手がゆっくりと離れていく。それがなぜだか寂しくて、セカイは心臓を重く感じる。彼は微笑むだけで、先ほどの言葉はやはり勘違いだろうと思い、それ以降は目も合わせずに過ごした。
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