魔術師団長に、娶られました。
(えっ……だけど、そういえば私、アーロン様のお顔をよく知らない。もしかして人違いでは?)
冷静に考えればそんなはずないのに、わずかの可能性に賭けて尋ねてしまった。
「私のお待ちしている方は、アーロン様という魔術師なんですが」
にこり、と青年が薫るほど鮮やかに微笑んだ。
「いま、あなたの目の前に。今日はデートに応じてくださってありがとうございます。王宮勤めをしてきた日々の中で、一番の役得です。楽しみにしすぎて、ここ一週間ほとんど寝られませんでした。今も少し、震えています」
蕩けるよう笑みを浮かべて、歯が浮くほどの口説き文句を口にしてくる。シェーラとしては、面食らう、どころではない。
シェーラは服装こそみすぼらしくはないにせよ、こんな男性が連れて歩くのは楽しくないであろう、筋肉質な女。
顔立ちに女性的な柔らかさは無く、動作もいかにも俊敏で、たおやかさなど望むべくもない。
せめてもう少し女性に見える服装をしてくればよかった、と一瞬にして猛烈に後悔しつつ、俯いてしまった。
「本当に申し訳有りません。仕事の延長といいますか、仕事そのものと考えておりまして。なぜ待ち合わせが職場ではないかと訝しんでおりましたが……、これはやはりデートなんですか?」
間抜けなことを尋ねてしまった。
ちらりと見たアーロンはおどけたように目を瞬き、しっかりと頷いた。
「強引にお誘い申し上げてすみません。騎士団におけるあなたの周りはいつも鉄壁の守りの布陣でした。長年こんなにそばにいたのに、到底声をかけることもかなわず。最終的に、陛下まで引きずりだして権力に物を言わせて呼び出してしまいました」
変なことを言い出した。シェーラの感覚がある程度真っ当であると仮定するならば、「陛下」は引きずり出してはならない。それがどこであっても。
目をぱしぱしぱしぱし、と瞬きつつシェーラは目の前のアーロンをじっくりと見つめてしまった。アーロンは、楽しげな表情でその視線を受け止める。
(いまの言い分を聞く限り、ご自身から陛下に私との仲介を願い出たような……。いや、この場合「私」ではなく、相手は「騎士団」ですね)
あくまで目的は、騎士団と魔術師団の不和の解消なのだ。
シェーラは軽く咳払いをし、真面目な口調で答えた。
「まず、今日の件に関しては、謝って頂くことではありません。騎士団と魔術師団の仲が悪いのは事実です。私は騎士団の人間なので、どう公平であろうとしても騎士団寄りの考え方になりますが、騎士団にも悪い部分は多々あったと思います。このまま王宮内で戦闘職が二大派閥になっているのは、絶対的に良くないことと理解しています。陛下が問題視するのはもっともであり、いい加減解決すべき事案です」
「私も同じ考えです」
愛想よく答えたアーロンの紫水晶の瞳は熱っぽく、見つめていると落ち着かない気分になる。
(顔に……、私の顔に何かついていますか? そんなに見ないで頂けますか……!?)
ただでさえ、白皙の美貌。シェーラは目のやり場に困っているというのに、アーロンは素早く数歩進んで距離を詰めてきた。
「あなたは本当に素敵です。またこんなに近くでお話できる日がくるなんて、夢みたいです。ずっとこうして、あなたとともに過ごす時間を持てることを願ってきました」
「ひっ、あ、あまり大げさなことを言うのはやめてください! 私が本気にしたらどうするんですかっ」
「俺は本気です。本気にしてください」
見つめていられずに、シェーラは顔を背けた。
胸がばくばくと痛いほど鳴っていて、しずめようにもどうにもできない。
(あの目に何か秘密があるのでは……!? 「魅了」の魔法のような!! この動悸息切れ。虚弱体質でもないのに、まだ私の体は鍛え足りないということ? 魔法耐性の低さが問題? 相手が悪いのかな。史上最強魔術師団長の前には、副騎士団長とはいえ、なすすべがないと……)
「どうしました? 深刻な顔をして」
絶妙なタイミングで声をかけられたせいで、思ったことがそのまま口をついて出てしまった。
「帰ったら、鍛錬しなければと思いました。心臓を鍛えます。心臓を」
「心臓?」
「いま、ダンジョンの奥で九竜大蛇を相手どったときよりも心臓が落ち着きを失ってしまって……。こんな街中で人間を前にしているだけなのに、不覚です」
「不覚、ですか」
「はい。アーロン様は我が国最強の魔術師なわけですから、九竜大蛇より威圧感があってもおかしくはないと思うんです。でも、いまは武装しているわけでもなければ、私に戦闘を仕掛けているわけではありませんよね? それなのに私だけがこんなに緊張するのはおかしいと思うんです。副騎士団長なのに、情けない」
真剣に話すと、アーロンもまた真面目くさった顔で耳を傾けており、「なるほど」と真摯な様子で頷いた。
「シェーラさんの周りの男性が、牙を向いて男性を近づけないようにしている理由がいまよくわかりました。戦場ではあなたの武勇に守られている下っ端でさえ、あなたを『日常の脅威』から遠ざけるために敷いている包囲網といったらないですからね。あなたのその心臓の弱さは、男性への耐性の無さです、間違いありません。この上は俺が『心臓の鍛錬』のお手伝いをさせて頂きます。ぜひに」
「ご、ご親切に、ありがとう、ございます?」
(手伝い?)
半信半疑で尋ねたシェーラに、アーロンは微笑みながら手を差し出してきて、言った。
「かなりの荒療治となりますが、頑張って下さい。まずは今日一日俺としっかり手をつないでデートをすることです。これでかなり俺に対する耐性は上がります」
「男性に対して強くなるということですか」
「男性全般へはどうかわかりませんが、少なくとも俺に対しての耐性はすごく上がりますね。上がったら上がったで、俺の方でもさらに全力で仕掛けさせて頂きますので。平たく言うと、ずっとドキドキさせてますよって意味なんですけど」
「九竜大蛇よりも」
「九竜大蛇には負けられない」
言うなり、アーロンはシェーラの手を取った。細い見た目に似合わぬ、強い力。引き寄せられてその顔を見上げると、アーロンは紫水晶の瞳に不敵な光を宿して宣言した。
「行きましょう。あなたが女性で最初の副騎士団長まで上り詰めたのは素晴らしいことだと思います。まさに、鍛錬の賜物ですね。脇目も振らずの邁進だったとお見受けしますが、そろそろこの先の未来についても考えましょう。仕事と結婚。両方獲得するというのは、そういうことであって」
――仕事と結婚はどちらか一方だけを選ぶものでもないと、考えている。君は、将来結婚だけをするつもりで体を鍛えていなければ、騎士にはなれないけど、騎士になるつもりで鍛錬を怠らず、その上で結婚するなら、両方叶えられる
ふっと胸に浮かんだ言葉。心の底でいつも大切にしてきた子どものときの記憶。