ヨルの殺人庭園

四日目:私にとっての

 お昼の時間になった。素早く昼ご飯を食べて、一人文芸部に向かう。きっと何か手がかりがあるだろう、そう信じて。
 だって、ヨザクラ先輩のことを「夜」という名前が入ったペンネームだから疑うような、雑で浅い思考しかしないのだから。適当にでっち上げれば、それを信じてくれるだろう。
 文芸部の冊子のバックナンバーを流し読みする。ウヅキとリリカ、ヨザクラ先輩のイラスト、カリヤのライトノベルじみた短編、ヒイラギ君の短編がある。マナミ先輩は本当の幽霊部員だったから、ほとんど作品を提出していなかった。そして続くのが、あまりにも重厚な私たち三人の小説。ミカン先輩のちょっと奇妙で爽やかな物語、ハヤトの綺麗で脆く不安定な物語、そして私自身の物語。これについて語るのも、いや、語ったことも、もう無くなってしまった。
 少し感傷に浸っていたそのとき、まるで物語が私を見つけたみたいに、私はある言葉を見つけた。そう、私が見つけに行ったのではなく、物語が私を見つけてくれたくらいに唐突だった。
 「ヨル」の文字が書かれている、その物語。背の高い、モノクルをした青年。無数の本の中、インクの匂いが立ち込める中、彼は真ん中のテーブルでコーヒーを飲んでいる。そんな彼の元に、コツコツ、足音が寄ってくる。飲みかけのコーヒーから顔を上げ、黒い目で私のほうを見つめる──
 この物語の作者は、相原(アイハラ)隼人(ハヤト)、その人だった。
 どうして忘れていたんだろう。そういえば、ハヤトはこの「ヨル」というキャラクターが出てくる物語をよく書いていたじゃないか。

「見つけた……」

 私は思わず、そう呟いていた。
 私たちの前に現れた「ヨル」とは似ても似つかないけれど、これはカリヤを揺るがす大きな一手になるはずだ。カリヤは部誌を読むのが浅かったらしい。きっと普段だって私たちの物語を真面目に読みやしなかったのだろう。
 この部誌を片手に、私は教室を出ようとする。すると、どすん、誰かとぶつかってしまった。尻もちをつく私がその姿を見上げれば、そこには赤い瞳があった。白い髪に赤い瞳──ハヤトだ。

「あれ? マキもここに来てたの?」
「……ハヤト……!」
「もしかして部誌を読んでたの? ってことは……気がついちゃった?」

 スカートを叩いて立ち上がれば、ハヤトは目を細め、にやりと笑っていた。
 彼を振り切ろうとして、ハヤトに腕を引かれる。細い腕だとはいえ、女子の私には敵わない力だった。

「離して」
「いいんだ、オレも聞きたいことがあったからさ。っていうか、物語を読み合う仲じゃん、ちょっと話そうよ」
「話すことなんて無い!」
「──あの赤い髪飾り、今マキが持ってるんだよね?」

 びくっ、と心臓が跳ねた。掴まれた先から、彼の冷たさが伝わってきて広がっていく。
 まさか、気づかれていた? だとしたら、どうして昨日言わなかった? 私がそんなことを言おうとしていると、ハヤトが先に口を出した。

「あの髪飾り、マキのだよね? ああいう和柄のアクセサリーが好きなの、知ってるよ」
「……分かった。私のことを脅したいんでしょ?」
「脅すなんて、そんな悪いことしないよ。それにオレ、そのことを言うつもりは無いし」

 ハヤトが手を離す。ぶらん、と投げ出された腕が振り子のように揺れる。
 一歩、二歩と後退りすれば、彼はへらっと笑って手を胸の前で振った、何もしないよ、と言いたげに。

「でもさ、一つだけ確認させてほしいんだ。それくらい良いよね?」
「……何?」
「裏切り者ってさ、キミだよね、マキ?」

 ぎろり、とハヤトを睨みつけた。それが私にできる精一杯の抵抗だった。けれど、意味など無いのだろう。ハヤトは顔色一つ変えない。
 ここで、はいそうです、と言ってしまえばおしまいだ。だが、彼はすでに勘づいている、私が髪飾りを回収し、これ以上話題に上げまいとしたことを。
 確かにあの髪飾りは私の物だ。だから隠した。あそこでカリヤがいなかったのは幸運と言って良いだろう、彼だったら絶対に話題として取り上げただろうから。でも、言い訳を言うならば、私はあんなところに自分の髪飾りを置いた覚えは無い。

「大丈夫大丈夫、本当に言うつもり無いからさ。言って良いよ、『ヨル』のこと」
「何それ、見返りが無いじゃん。自分のこと晒して殺してくださいって言ってるようなものじゃん」
「うーん、まぁ、そうかもね。でも──そっちのほうが面白くなりそうじゃない?」
「はぁ?」

 私が目を見開いたところで、予鈴が鳴る。そろそろ行かなきゃ、とハヤトは言って、私に手を振って歩き出した。あっさり去ってしまったのだ。逃げようとしていたはずの私のほうが取り残される。
 スカートの裾を握り締める。何が何でも、ハヤトが何かを言うより前にヨルの話をしなくてはならない。そうでなくては、私が殺される。でも、私が話してカリヤがハヤトの情報より私の情報を重視するだろうか──
 ふと、そこで思い至る。いや、私が話すべきではない。部室に戻り、部誌をこれ見よがしに置いておく。
 これを手に取るのは、カリヤでないと。カリヤが気づけば良いのだ。そして我が物顔で話してくれれば良い。そちらのほうがより私に有利だ。
 期待を胸に、教室へと戻る。人を利用して別の人を殺そうだなんて、まるで殺人教唆だ。だが、不思議と心臓はドクドクと踊っていた。



 リボンのような形をした、赤い髪飾り。これを買ってきてくれたのは、ミカン先輩だった。旅行に行った帰りに買ってきたのだと得意げに言っていた。

──マキさんは髪飾りとか使わないかもしれないけどさ。似合うかなって思って。

 確かにアクセサリーの類を付けることはあまり無い。けれども、ミカン先輩からの贈り物だ、喜んで受け取った。
 和風な柄の布で出来ていて、金色の髪留めが付いている。前髪を留めるために使えるものだ。
 思い至って、学校に髪飾りを付けて行ってみることにした。ミカン先輩はきっと喜んでくれるだろう。それに、付けてみれば、私の赤茶っぽい髪にぴったりだ。
 そうして降りていき、学校へと向かおうとしたとき。母親の声が上から降ってきた。

「何そのおもちゃ。まさか学校に付けていくの?」

 私は愕然とした。動きが固まって、動けるようになってからは、咄嗟に赤い髪飾りをポケットに隠した。
 母親は眉を下げ、困り顔で言っていた。

「いや、校則に引っかかるんじゃないかと思ってね。髪留めが欲しいなら、もっと目立たないのを買ってくるから、別のにしたら?」

 そうだね、とだけ答えて、私は階段を上った。机の上に髪飾りを置いて、踵を返す。
 嗚呼、そうだ。私は「優等生」だから。校則に引っかかるような真似はしてはいけないのだから。
 それから、私はあの髪飾りを引き出しの奥にしまっておくようにした。宝物として置いておいたと言えば良く聞こえるけど、要はただの置物として忘れ去ったというのが真実だ。
 そして今、ヨルの物として回収されていた。もしかして、私が酷く扱ったから?

──なんでよ、これ、可愛いじゃない。なら私が貰っちゃおうかしら!

 そんな声が、どこかから聞こえたような気がした。
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