ヨルの殺人庭園

四日目:絶対王政

 足軽に、と言ったほうが良いのだろうか、私は比較的軽い足取りで文芸部へ向かった。私が死なないことはほとんど確定しているからだ──カリヤが私の誘導に乗ってくれれば、だが。
 扉を開けば、再び暗転。世界は黒に絶たれて、氷の匂いがしてくる空間へやってきた。昨日までは一歩進むだけで薄氷を踏んでいるようだったが、今の私は堂々とその足を進めることができた。
 椅子にはリリカだけが座っていた。カリヤがハヤトの胸ぐらを掴み、ヒイラギ君がそれを止めている。椅子の上には部誌が置かれている──大成功だ。私は手で口元を覆い、笑みを隠した。

「ちょっと、止めてよ。話し合いはまだ始まってないでしょ?」
「お前は黙ってろ、ツクヨミ!」
「大声で威嚇するのは止めて」
「そうだよカリヤ、オレもそういうの好きじゃないなぁ」
「お前が言えた口か!」

 ハヤトが呆れたように言えば、カリヤがそれを黙らせるように怒鳴った。ヒイラギ君はどうにかカリヤからハヤトを引き剥がすと、一人座っているリリカに謝罪した。

「カリヤがごめんね。でも、裏切り者を見つけたんだ」
「……うん。分かってるよ」
「ツクヨミさんも座って。話し合いを始めよう」
「分かってる」

 私はまるで怖がってるか苛立ってるかのように見えているだろう、声を押し殺しているから。でも実際のところは違う──嗚呼、上手く行きすぎている。これならばハヤトの言葉は信用されないだろう。心臓に溜まった血液がドクドクと沸き立つようだった。
 カリヤは大きな溜め息を吐いて椅子にどっかりと座り、ハヤトも何も抵抗せず座った。
 誰もが話し合いを避けていたのに、今では話し合いを能動的にしようとしている。つまりは、殺し合いに積極的になっている。ヨルが望んでいたのは、こういう形なのだろうか。
 準備が出来ると、スピーカーからヨルの声が聞こえてくる。私の気のせいだろうか、ヨルの声は優しく、というよりは落ち着いているように思えた。

『皆揃ってるねー、ここまで来ると皆呑み込みが早くて助かるよ。ワタシとしても今日という日は愉しみだったんだ』
「……どういうこと……?」
『まぁまぁ、話し合いを始めちゃってー。ワタシとオレはそれを聞いてるから』

 リリカの言葉にも、煽るように返すのではなく、落ち着いた口調で返していた。あたかも私たちがヒートアップしたから反対にクールダウンしているみたいだ。
 ヨルの言葉がカリヤの発破をかける。カリヤは、びしっ、とハヤトに指を差した。ハヤトは肩を竦めて笑う。

「裏切り者は此奴で決まりだ」
「そんなこと言われたって……説明してよ、何が起こったの?」
「まずはこの部誌を読んでほしい」

 私が何も知らない体で話せば、ヒイラギ君が椅子の上の部誌を手に取った。そしてリリカから順に回し始める。得意げな顔をしたカリヤの代わりに、ヒイラギ君が詳細を話し始めた。

「放課後が始まるより少し先に、カリヤが机の上に置いてあった部誌を読んでたんだ。そしたら、この空間に着いても部誌は保持されてて。読んでみたら、いたんだ──『ヨル』が」
「アイハラの奴、小説で『ヨル』ってキャラを書いてたんだよ。これが証拠だ! 今度こそ裏切り者を見つけた!」

 そう誇らしげに話すカリヤを見て、クスッと笑ってしまいそうになる。自分の手柄だと思ってるのだろう、彼は。全て私の手のひらで踊らされているというのに……
 私はまたも何も知らないフリをして、本当だ、なんて呟いてみる。リリカはハヤトの顔を覗き込むようにして、本当なの、と問うた。

「本当だよ。オレは『ヨル』ってキャラを書いた。オレのお気に入りだよ」
「本人がこう言うんだから証拠としては十分なんじゃねーの? 今日はハヤトを処刑で決まりだ!」
「でも、不自然だよ。死にたくなかったらこんなこと認めないし……」

 リリカは顎に手を当て、小さな声でそう言った。
 それは私も疑問に思っているところだ。ここまでカリヤに詰められても、ハヤトは弁明の一つ言いやしない。挙句、私を疑う理由になる証拠──赤い髪飾りの話すらしない。
 ハヤトは、ははは、と乾いた笑い声を上げた。そして手を開き、にっこりと笑顔で答えた。

「オレは別に怖くないよ、死ぬのとか。それよりさ、カリヤ、組織票はどうするの?」
「そんなの、ヒイラギと僕が入れれば良いだろ。どうせツクヨミとクルミもお前に入れるんだから」
「じゃあ、次の日は誰を処刑するの?」
「そんなの、クルミを──」
「私はリリカを殺したくない。組織票からは降りるよ」

 そうだ、そうすれば票は再び二つに分かれる。カリヤが眉間に皺を寄せ、何だと、と低い声で言った。

「リリカを処刑する以外なら乗るけど、それ以外なら組織票は止める」
「……マキちゃん」
「ほら、オレを処刑したらカリヤの思うどおりには行かなくなるよ? どうするの? クルミさんを処刑しといたほうが良いんじゃない?」

 ハヤトは赤い目を怪しく細めた。
 合点がいった。ハヤトの狙いは、そこにあったのだ。組織票という独裁を止めたい私と、組織票という独裁を続けさせたいハヤト。全ての決定権は、カリヤにある。だとすれば、私はハヤトを止めなければならない。
 すかさず口を出す。カリヤは難しい顔をしたままだ。

「裏切り者を一人でも見つけないとマズい状況なの、分かってる? いくら裏切り者が統率が取れてないからって、ここでリリカを処刑したら明日は多数決で負けかねないんだよ?」
「マキはクルミさんが裏切り者の可能性を考えてないよ。どっちにせよクルミさんを除くオレたちの中に裏切り者はいるけど、カリヤが上手くやれるのはオレが生きてるほうだと思うな、オレが死んだってマキはこのあとカリヤの言うとおりにしなくなるんだし」
「自分が主導権を握りたいとか、そういうくだらないプライドは捨てて。リリカが裏切り者に見えるの?」
「くだらないプライドォ……?」

 カリヤの顔が歪む。マズい、逆鱗に触れた。そう思ったときにはもう遅く、また彼は声を張って反論してきた。

「僕は今まで証拠を見つけて裏切り者を摘発してきただろ! プライドなんかじゃない! 僕だって死にたくないし、お前たちだって死にたくないだろ!?」
「……そうだね。外してるとはいえ、カリヤは今のところ率先して話し合いを進めてくれてると思うけど……」
「少なくとも友達を殺したくないって言ってるお前とは一緒にされたくねーんだよッ!」

 ぐ、と喉が鳴る。ヒイラギ君やカリヤの言うとおりだ。罪の無いヨザクラ先輩やマナミ先輩を選んで殺した罪はあるけれど、私の考えはただ友達を守りたいだけの独善的なものだ。
 ハヤトが口角を片方だけ上げた嫌な笑みを浮かべている。これは私への嫌がらせだ。口の中が苦くなる。
 私は一言、ごめん、と謝る。それからなんとかハヤトへの追撃を試みた。そして、リリカのことを真っ直ぐ見据えた。

「私が悪かった。でも、冷静に考えて今の状態で組織票を保つのは無理があると思う。リリカ、リリカはどう思う?」
「……私は……私は死にたくない、けど……だからアイハラ君を疑うことしかできないよ……」
「私とリリカはハヤトに入れる。ヒイラギ君は?」
「お、俺? 俺は……」

 ヒイラギ君がちらりとカリヤの顔色を伺う。カリヤは足を組み、傲慢な無表情を浮かべている。それを見た上で、少し抑えた声でこう言った。

「……アイハラの言うとおりではあるけど……俺はアイハラを選んだほうが良いと思う。カリヤ、カリヤも冷静になればそうだと思わない?」
「……ツクヨミの一言は完全に僕をキレさせたけど……ヒイラギの言うとおり、僕は今、アイハラを選ぶほうが正しいと思う」

 私は胸を撫で下ろした。もしかしたら、キレながらもこういう冷静なことを考えられるところが彼の良いところなのかもしれない。
 ハヤトはわざとらしく肩を落としてみせて、首を振った。

「あーあ……オレで決まりかぁ。残念だなぁ」
『話し合いは終了かな? さぁ、多数決のお時間だよ!』

 ちょうど良くヨルの声が響く。私たちは能動的にスマートフォンを持ち、ハヤトの顔写真が載ったボタンをタップした。そう、能動的に。
 ハヤトは早々に別の人をタップしたらしく、スマートフォンを地面に置いていた。足を組み、大きな手振りでこんなことを話してみせる。

「組織票が壊れたことも、オレが死ぬことも残念だよ。でも皆頑張ってね、まだ裏切り者は死んでないんだから」
「遺言か? お前の言うことに価値なんて無い!」
「酷いなぁ、オレはカリヤのことも友達だと思ってたんだけど──」
『投票が終わったよ! 今回最多票を獲得したのは──アイハラハヤトでしたー! いつもどおりやっちゃって!』

 ヨルがハヤトの言葉を遮る。ハヤトは体をびくんと痙攣させると、そのまま床に倒れた。
 誰も近づこうとしない。その代わりに、ヒイラギ君が地面に落ちたスマートフォンを手に取った。

「──やった、やったぞ!」

 ヒイラギ君の声に、リリカが声を上げる。
 私は背筋に、つー、っと汗が伝うような感覚に襲われた。まさか。私も近づいていって、ヒイラギ君が見せる画面を注視した。
 カリヤがガッツポーズをする。リリカが数歩下がる。私は──立ち尽くす。

──おめでとう! 裏切り者でした!

 ハヤトが、裏切り者の相方。私は喜びの感情を出力しなくてはならないと分かっていながら、その逆の感情──絶望に満ちていた。
 これで、裏切り者は私だけになった。

『なんと、裏切り者をここになってようやく見つけちゃったね! あと一人だよ、さぁ皆、希望を持って明日も集まろう!』

 ヨルはそんなことを言って、ブツッ、とスピーカーを切った。
 座っているけれど、足ががくがく震える。それを隠せるほど、私は強い人間ではなかった。

「あと一人……だよね?」

 リリカが私のほうに寄ってきた。ほら、喜びの表情を出力しろ。口が酸っぱくなる。耳鳴りがする。今すぐにでも吐きそうだ。
 ……それでも、笑った。

「あと一人だよ」

 ほんの少しだけ、リリカの目が輝いた。彼女は初めて、他人の死に希望を持った。
 それがその日、最後の記憶になった。
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