すずらんを添えて 幸せを
「…………それは、1707年の宝永大噴火」

全てを聞き終わった私は、ポツリと呟いた。

300年以上前の、最後の富士山の噴火。

それがどんなに凄まじいものだったのかを、改めて思い知らされた。

女の人は静かに話を続ける。

「私は毎日ここに来て泣いていた。我が身が滅びた後も、何年も何年も。やがて小さな川が出来て、そのほとりに花が咲き始めた。あの二人の絵を人目につかないように隠し、ただ涙に暮れていたある日、道に迷った女の人が、私の涙で出来た川の水を飲んだ。その時、私の娘達がその人のお腹に宿ったのよ。だから私はその人を無事に帰らせた。そして願ったの。いつか一人を私に返してと」

「そんな!」

思わず私は口を開く。

「あなたがお母さんを助けてくれたことは感謝します。でも、私達はあなたの娘じゃないわ」

「いいえ、私の娘よ。あなた達二人とも」

「違います!だって、私達が生きている世界にあなたはいない」

「だからこちらに呼んだのよ。私と一緒に暮らせるように。でも娘が二人ともいなくなる辛さは、私にはよく分かる。せめてどちらか一人を返して欲しいの」

「どうして、そんな…」

もうなんて言えばいいのかも分からない。
だけどこんなの、許されるはずはない。

私が唇を噛み締めていると、お姉ちゃんが1歩前に歩み出た。

「お姉ちゃん…?」

私はお姉ちゃんの真剣な横顔を見つめる。

「あなたが大切な娘さんを二人とも失った悲しみは、きっと私の想像よりもはるかに大きいと思います。あなたの娘さん達も、きっとあなたと離れて悲しかったはず。だけど、娘さん達は二人で手を取り合い、励まし合いながら、悲しみを乗り越えようとしたんじゃないかしら」

女の人は、ハッと目を大きくさせる。

「二人だから、がんばれた。二人だから、悲しみを分かち合えた。もし母親だけでなく、姉妹とも別れてしまっていたら?あなたの大切な二人の娘さんが、一人ぼっちになってしまっていたら?」

女の人の目から涙がこぼれ落ちる。

「だめ、そんなこと。想像するだけで耐えられない…」

お姉ちゃんは静かに頷いた。

「私と蘭も同じです。私達は二人だから、今もこうやってあなたに会いに来られました。二人だから、この先の人生も支え合って生きていける。離れるなんて考えられない。だって私と蘭は生まれた時から、ううん、生まれる前から一緒だったんだもの」

そう言ってにっこり笑いかけてくるお姉ちゃんに、私も微笑み返す。

お姉ちゃんはもう一度、女の人に語りかけた。

「私達も、いつか必ずこの身が滅びる時が来ます。それまでは、精一杯生きさせてください。あなたが娘さんにたくさんの愛情を注いだように、私達もいつか子どもを愛する喜びを知りたい。次にあなたに会う時には、命を全うして、胸を張って生き抜いたと伝えたい。それまではどうか、私達を見守っていてください」

女の人は両手で顔を覆って泣き始める。

私とお姉ちゃんは、その肩にそっと手を添えた。

「毎年、二人でここに来ます。すずらんが咲くこの季節に」

私がそう言うと、お姉ちゃんも頷く。

「ええ。私達二人で、あなたに元気な姿を見せに来ます。だから、待っていてください」

両手で顔を覆ったまま、その人は何度も頷いていた。
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