すずらんを添えて 幸せを
「なあ、尊」

「なんだよ?」

「ごめんな、まだ5才だったお前を残して、母さんも守ってやれなくて」

「うん、まあ。でも父さんが謝ることじゃないだろ?父さんだって、無念だっただろうし」

「無念か…。そんな一言じゃ、とても言い切れなかった」

その言葉に、俺は思わず顔を上げて父さんを見る。

やり切れなさ、どうしようもない怒り、悲しみ、絶望…

心をえぐられるような辛さを味わった証が、刻み込まれているような表情だった。

「尊。実はな、母さんや尊が俺のことを思い出してくれている瞬間は、俺も相手の姿が見えるんだ」

「そうなのか?」

「ああ。こちらからは何も出来ないけどな。あの頃母さんは、毎晩お前が寝た後、俺の写真を胸に抱えて泣いていた。どうして私と尊を置いて行ったの?これからどうやって生きていけばいいの?って。その姿が見えるのに、俺は抱きしめることも、声をかけることも出来なかったんだ。それが何よりも辛かった。もういっそ、俺のことなんて忘れてくれ!って、こっちで暴れ回った。だけど、そのうちにあることに気がついた」

「あること?って、なんだ?」

思わず父さんの顔を覗き込む。

「母さんが俺に語りかけてくれる時、聞こえないとは分かっていたが、俺も返事をしていたんだ。そしたらどうやら、俺が強く語りかけた言葉は、母さんの心の中に浮かぶらしい」

え?と思わず顔をしかめる。

「どういうこと?」

父さんは、フッと頬を緩めて俺を見た。

「母さんがさ、ある時俺の写真を見ながら話しかけてきたんだ。尊がお友達に、『パパなしみこと!』ってからかわれたって。それを聞いて俺、なんだとー!って叫んだんだ。尊はパパなしじゃない!めちゃくちゃイケメンのかっこいいパパがいる!だいたい、パパなしで尊は生まれて来ないんだぞ!って。そしたら、あいつ、フフって笑ったんだ。俺の言葉なんて聞こえてないはずなのにさ。『自分でイケメンとか言っちゃって、バカじゃないの?』って」

ええー?!と俺は思わず仰け反る。

「そうなんだ!母さんは、頭の中に父さんの言葉が聞こえたってことか?」

「ああ。でも俺の言葉とは思ってないみたいだ。自分の想像だと思ってる」

へえー!と俺はしきりに感心する。

「だから尊。母さんに伝えてくれないか?何かに迷ったり、相談したいことがあったら、いつでも俺に語りかけてくれって。その時心に浮かんだ言葉が、俺の返事だってな」

「分かった、必ず伝える」

俺は力強く頷いた。

「それと…」

父さんはうつむいて躊躇してからまた顔を上げた。

「これも伝えて欲しい」

「うん、何?」

「…美月(みづき)、いつもどんな時も、俺は美月のそばにいて美月を愛してるって。これまで一人で尊を育ててくれてありがとう。でも美月の人生はまだまだ長い。俺のことは気にせず、いい人がいたら一緒になれって」

俺は思わず顔を赤くする。

「そ、そういうことは直接本人に言えよ」

「そうだな。それが出来たらどんなに良かったか…」

その呟きに、俺も胸が痛んだ。

「分かった、伝えるよ。けどいいのか?母さんが他の人と結婚しても」

「ああ、もちろん…良くない!」

「は?急にコロッと変わってなんだよ?」

「良くない!だって美月は俺の美月だぞ?誰かに触れられるだけでも腹が立つ!」

「はあ?どっちなんだよ、もう」

「だけど俺はもう、美月を抱きしめてやれないんだ。いつも一人でがんばっている美月を、温かく包み込んでやれない。それならいっそ、誰かが…」

そう言ってから、やっぱり嫌だー!と叫ぶ。

俺は大きくため息をついた。

「はいはい。そうやって葛藤してたって伝えておくよ。それから父さん」

「なんだ?」

「母さんのことならもう心配いらない。俺が必ずそばにいて守るから」

父さんは目を見開いて固まった後、一気に笑顔になって俺をグッと抱き寄せた。

「ほんとにもう!いい男になっちゃって」

そう言って、俺の頭をぐしゃぐしゃになで回す。

「甘ったれで泣き虫だったお前がな。さすがは俺と美月の息子だ」

「なんだよ、離せよ」

父さんは俺を抱きしめて、背中をトンと叩いてから身体を離した。

「会えて良かった、尊。さあ、もう行きなさい。これ以上長くいると帰れなくなる」

俺は一気に顔を引き締める。

「どうやって帰ればいい?」

「案内する。こっちだ、行こう」

俺は父さんに続いて立ち上がり、肩を並べて歩き始めた。
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