すずらんを添えて 幸せを
第二章 あの山へ
「おい」

息を潜めながら足音を忍ばせて玄関を出た私は、突然聞こえてきた声に心臓が縮み上がった。

「どこに行く気だ?この家出娘」

「尊!びっくりさせないでよ」

「明け方の5時にうちの前をこっそり横切るお前の方がびっくりさせるわ」

うぐっと私は言葉に詰まる。

昨日、病院からお父さんとお母さんが帰って来たのは真夜中だった。

ベッドに入っていた私はそっとリビングに向かい、漏れ聞こえる二人の会話に耳を澄ませた。

「やっぱり私、もう一度あの山に行く。どうにかして『鈴の命を奪わないで』ってお願いしてみる」

「そんなことしたって意味はない。それよりも今は、鈴のそばについていてやるべきだろう?」

「そうだけど。でもこれ以上あの子の身に何か起きるのは耐えられないの」

「大丈夫だ。先生の話では、特別心臓に問題がある訳ではないってことだっただろう?心理的な原因かもしれないし、このまま大人になるにつれてだんだん良くなることも考えられるって」

「そうなってくれればいいけど…」

「なるさ。必ず」

お父さんは、まだ心配そうなお母さんの背中をさすって何度も励ます。

私はそっとその場を離れてベッドに戻り、眠れないまま夜を過ごした。

そして夜が明ける頃にある決断をして、荷物をまとめ、こっそり玄関を出た。

リュックを背負い、キャップを被ってソロリソロリと尊のうちの門扉を通り過ぎようとした時、まさかの尊に見つかってしまったのだった。

部屋の窓をほんの少しだけ開けてジロッとこちらを見ている尊に、私は両手を合わせて頭を下げる。

「尊、お願い!見逃して」

「何を?」

「だから、何も見なかったことにして」

「へえ。ってことはやっぱり、おじさんとおばさんに何も言わずに出て行こうとしてるんだな?」

ギクリ。
もしや墓穴を掘ってしまった?

どう言い訳しようかと考えあぐねていると、尊が窓を半分程開け、両腕を組みながら私の出で立ちを観察し始めた。

「大きなリュックにスニーカーとキャップ。薄手の長袖パーカーにジーンズか。ふうん。どこかの山にハイキングってとこか?」

やばい。
もう何もかもお見通しなのだろう。

「あの、とにかくお父さん達には黙ってて。あとで必ず連絡するから」

「お前、どうやって行く気だ?まさか電車とバスを乗り継いで、とか言わないよな?」

「え、うん。それしか方法ないし」

尊は、はぁと大きくため息をつく。

「見逃してやってもいい」

「ほんと?!」

目を輝かせる私に、尊はニヤリと笑った。

「ああ、但し条件がある。5分そこで待て」

「は?」

ピシャリと窓を閉めた尊に、私は目が点になったまましばらく立ち尽くしていた。
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