その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

21 夫の思惑4【ラッセル視点】

少し仮眠をとって朝一で登城すると、殿下の私室に向かう。幼い頃から知った仲であるから、今更寝起きだろうと朝食中であろうと関係ないらしい。
案の定、彼はまだバスローブ姿のまま、朝食をとっていて、なぜか自分の分も用意されていて一緒に朝食を取りながら話をすることになった。

状況を説明すれば、彼は食後の紅茶を飲みながら、にやりと笑った。

「お前が本気で結婚する気になったのなら、ひと肌脱ぐしかないな。父にはマリーから言ってもらうのがいいだろう。
母上とマリーは、夫の暴力から逃げている女性が集まる修道院への援助も行っている。見過ごすことはしないだろう」

そう言ってカップをソーサに戻すと、ゆったりと足を組む。

「それにしても、お前がここまで本気になるなんて、珍しいなぁ。まぁ、これで借りは返せたし、俺は構わないが……ついでに結婚の証人にもなろうか?」

面白いいたずらでも思いついたようなその顔は、昔から変わらない。つられて自分も頬を緩める。

「もちろんお願いします。殿下以上の方がおられるとでも?」

そう笑い返せば
王太子殿下はさらに笑みを深くする。

「まぁそうだな! 俺が証人なら、流石のあのバカ息子も文句は言えまい」





自邸に戻ると、まだ彼女は眠っていた。

少し前に彼女の父親が来訪し彼女の様子を確認して、帰りを待っているという事で足早に応接室へ向かった。

昨日とは打って変わって、父親は落ち着いた様子で、俺の顔をみるなり深々と頭を下げた。

「まさかあのような事になるとは……父として大変不甲斐なく思います。ロブダート卿には大変なご迷惑をおかけいたしまして」


「いや、俺にも責任の一端はあるので……この件に関して迷惑どうのという話は必要ありません」

謝り倒す彼を制止して、そう言えば「は?」と彼が顔を上げて首を傾ける。

その反応に苦笑する。どうやら彼女はこの件についても一切親にも相談をしていなかったらしい。

「実は、かねてよりご息女に対しまして私は求婚しておりまして……」

「は? あなた様が……娘にですか?」

案の定、父親は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。本当にそんな顔をする者がいたのだなぁと感心してくすりと笑う。

「私は彼女のような優秀な妻を探していました。ご存じの通り我が家の事業は多岐にわたる。失礼ながら政治家の家柄であるスペンス侯爵家では彼女の才能をつぶしてしまう、そう思ったのです。思い切ってご息女にもそれを提案したのですが、お返事を聞く前にこのような事になってしまいまして・・・」

肩を竦めてみせると、父親は唖然とした様子で、しどろもどろになりつつ口を開いた。


「それは身に余る光栄ですが……ご存じのように娘はすでに婚約者が」

このような状況に置かれてもなお、彼は娘をあの男に差し出すつもりなのだろうか。思わず責めるような言葉が出かけて、慌てて奥歯を食いしばった。


代わりにわざとゆったりと足を組みなおす。

「その事ですが……昨夕彼女が怪我を負って馬車から逃げる様子を、私だけでなく、数名の王太子殿下の周囲の者が見ていたそうでして……今朝直々に殿下から呼び出され話を聞かれましたよ」

参りましたよ。と眉を下げる。

「王太子殿下のお耳に⁉︎」

案の定、父親は青ざめて腰を浮かせる。
こんなことが王族の耳に直々に入るなどと考えようもないはずだ。

「えぇ、王妃陛下と王女殿下は、カトリーン修道院の援助を熱心にしております。ティアナ嬢と王女殿下は仲もよろしいと聞きます。おそらくその関係で、問題視されたようです。まさか貴族の中で、しかも婚約関係中にそんなことが起こったとあらば、放って置けないとお怒りのようですから、おそらく両家に対して一時婚約を白紙に戻すようお話がいくかと……」

そこまで伝えて、伺うように父親を見れば、彼は今にも椅子から崩れ落ちそうなほどに蒼白になり震えだした。

「そんな……では我が家は……」

やはりこの期に及んで、家の保身か……
まぁ無理もない……か。
しかし、自分の目論見のためであれば、そうでなければ困るのだ。


小さく息を吐いて、身を乗り出すと震える彼の肩に慰めるように手を添える。

「どうか落ち着いてください、あなた方は被害者です。あちらの過失で白紙にされるのに不利益を被るようなことは許されることではない、毅然と王命に従えばよいのです」

俺の言葉に、父親は白髪の頭をフルフルと振って視線の先で手を握った。

「しかし……スペンス家の援助がなければ、我が家は未だ立ちゆくところまで業績が回復していない」

「それでは、あの暴力男に大切なご息女を差し出しますか? お家のために」
「それは……できません、しかし……」



静かに問うてやると、怯えたような追い詰められたような視線がこちらを見上げた。あぁ彼女の榛色の瞳は父譲りなのだと、その時初めて知った。

そう思うと、情けない目の前の中年の男にも少しだけ柔らかく接することができる気がした。


深く息を吐く。

「私が、娘さんと結婚することをお許しください。そうなれば今あちらの家からもらっている援助と同額お支払いしましょう。そして少し事業を拡大してみませんか? もっと上手いやり方があると常々思っておりましたので、我が家がお手伝いさせていただけるかと」

そう、これを言うために俺はこの男を揺さぶったのだ。


「本当ですか⁉︎」

案の定、見上げてきた瞳は希望に輝いていた。
あの思慮深く、気高い彼女の父親とは思えないほどの小物である。いや……だから彼女が背負わざるを得なかったのだろう。

「もちろん彼女の同意によりますが……あの男のもとに行くよりも我が家の方がましでしょう?」

「そうであるなら……」

俺の言葉に、彼は顎に手を当てて、形ばかりに思案するふりをする。答えはすでに決まっているくせに。


「ではその方向で」

そう年を押したところで、部屋の扉を叩く音がして、メイドがティアナが目覚めた事を知らせたので、父親を行かせた。
部屋を出ていく中年の男の後姿を眺めて、ひじ掛けに凭れ掛かり、姿勢を崩す。

やれやれ、全く危なっかしいものだ。きっとこうしてスペンス家にも甘言を囁かれて娘を差し出したのだろう。

俺もあの男と同じ類ではないのかと疑いもしないとは……うかうかしていたら、彼女はまた不遇な目にあったであろう。

あとは、彼女だけだ。


そこまで考えて、大きく息を吐く。

この気持ちを明かせば、彼女はおそらく断るだろう。

だからこそ、彼女が納得する理由を押し通すしかない。すでに種は撒いてあり、お膳立てされた舞台も整った。


絶対に彼女を手に入れよう、なるべく早い内に。





そうして、すべての最短を縫って、こうして結婚までこぎつけた。

スペンス侯爵家が非常に大人しいが、今回の一件で王妃陛下が非常に強い不快感を示されて、家長の父親と彼は王宮で直接絞られたというのだから当然だろう。

貴族の中にもまことしやかに噂が流れ、逆にそんな暴力男から救い出し求婚した自分の株も上がった。
正直そんなことはどうでもいいのだが、これによって彼女が、婚約者を乗り換えたなどと後ろ指を指される心配はなくなったことが何よりだ。



二人でバージンロードを歩きながら、隣の彼女に視線を送る。

美しくて、今すぐにでも抱きしめたいほどにかわいらしい。
しかし彼女は契約結婚だと露ほども疑っていない。

今はこれでいい。

手の内に入ってからゆっくりと、絡め取って行こう。
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