その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

28 憂鬱な夜


「やはり、浮かない顔だな。大丈夫か?」
ガタガタと揺れる馬車の中で、彼が心配そうに私の顔を覗き込む。

そんな彼に、私は努めて柔らかく微笑んだ。

「大丈夫よ。少しだけ緊張しているだけ」
そう言うと彼は、「そうか……」とつぶやいて私を安心させるように頬を緩めた。

今日は王宮舞踏会の日だ。
私に取っては、あのグランドリーとの一件があってから初めての公の場となる。

令嬢の鏡と唄われた私と、政界の重鎮である侯爵家の見目麗しい跡取り息子の間に起こった醜聞は王都にいる貴族達の知るところとなり、随分と話題になったらしい。

しかし、そこに私の友人である王女殿下が絡み、グランドリーと彼の家を断罪した事。そして王太子殿下の命で監視をしていたロブダート卿が怪我をした私を救ってそこで私達が恋に落ちた事で、話の流れは一気に替わった。

今みなの視線は、元婚約者から暴力を受けた可哀想な私と。
それによって熱烈な恋物語の主人公となった私。
二つの見方が存在しているのだ。

いったいどんな視線が向けられるのだろうか、そう考えるとお腹の奥がぎゅっと絞られるような感覚がして、吐き気が込み上げてくる。


しかしいつまでも、人の視線を気にして家に篭っているわけにもいかない。ロブダート侯爵家の王都での事業の対象者は主に貴族なのだ。妻であり、事業を任された私が貴族との付き合いを避けて通ることなどできない。

だからこそ、早めに社交界に復帰したいと彼にせがんだのは私だ。

王宮が近づくにつれて、私の気持ちはどんどんと萎えて行く。
私はこんな、情けない人間だったのだろろうか?
そうした考えが頭を過ぎったところで。


大きな手が、私の手を包み込むと、きゅうっと握られた。

驚いて視線を上げれば、彼のしっかりとした眼差しと目が合う。

「大丈夫だ! 俺が付いている」
安心させるような静かな声音だけど、見つめ返した瞳には強い光が宿っている。

「すまない、本当は欠席できたらいいのだが……」

そう言って、申し訳なさそうな顔をする彼の手を握り返して、私は大きく首を振る。

「王宮の舞踏会だもの! 王太子殿下の側近のあなたが妻を伴わないなんてそんなことさせられないわ!」

特に結婚後はじめての王宮での催しである。国王陛下に報告と挨拶をするのも慣例なのだ。
そんな訳で、私はどうあってもこの会には顔を出さなければならなかった。

それでもやはり憂鬱で、侍女達によって綺麗に化粧を施され、彼が選んでくれた美しいドレスに袖を通していても、今この時は背筋を伸ばしていられなかった。


はぁ~っと小さく息を吐くと、彼の大きな手が私の頬を包んで優しく撫でる。

「今日はずっと側に居る。君も俺から離れるな」

ずっと隣にいるから大丈夫だと、宥めるような彼の声音に私はゆっくりと目を閉じる。

彼の声は、不思議となぜか私を安心させてくれる。
そうだ。一人で闘うのではない。少なくとも私の隣には彼が常にいてくれて、何か有ればきっと助けてくれるだろう。

けれど・・・きっとそれだけではダメだ。私と彼の契約は互いのメリットがあったからこそ成されたもので、普通の妻達のようにただ守られているだけでは許されない。

そう思い至ったら、自然と背筋が伸びた。

「ありがとう……ご迷惑にならないように、頑張るわ」

とにかく彼の妻として堂々と彼の隣に立っている。今日はそれだけを目標にしようと、腹をくくって、彼に微笑みかけると。


一瞬、顔の彼が複雑そうに曇り、そしてすぐにまた優しい笑みに変わった。
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