その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

29 親友の忠告

王宮に設けられた伝統ある広間は、いつ見ても圧倒させられるほどの豪華さと美しさで……特にエントランスから大きな木目の扉が開かれて中に誘われる瞬間はいつでもその煌びやかさに目が眩むほどなのだ。


しかし、今日の私にはそんな風に目を瞬いている暇などなくて……入場すると私達に一斉に向けられた視線が、痛い。


一瞬にして怖気付いて、腰を引いた私の動きにその腰に手を当てていた彼が気づかないわけはなくて・・・腰に添える彼の手に励ますように力が入って私を前へと押し出してくれる。

「大丈夫、最初だけだ。みな、そのうち飽きるさ」

耳元で彼の低い声が優しく囁いて、彼を見上げればそんな視線などもろともしないというように涼しげに微笑んでいる。

「ん、ありがとう」

それに私も少しだけ笑みを作って頷くと、彼は少しだけ笑みを深めて、会場内に足を踏み出す。

視線は前だけを、そして時折彼が気を使うように話しかけてくれるのに、笑みを作って頷いてやり過ごす。

案の定、彼の言う通りひと目私を見た後に、興味を無くしたように視線を向けてこなくなる者がほとんどだった。しかし一部では一体どんな噂を耳にしたのだろうか……マジマジと顔を見て来る人もいる。

そうした者たちは、私の顔に痣でもあれば、満足するのだろうか?

そんな風にわずかな苛立ちを胸に燻らせながら、広間の奥に向かって行く。


「ティアナ!」
広間の中央部の辺りまで進んで行った所で、一際高く弾んだ声が響いて、私を呼び止めた。

振り返ればこちらに向かって来る美しいブロンドと深いグリーンのドレスが目に入る。

「ジャクリーン‼︎」

すぐさまそれが誰か理解した私は、驚きの声を上げて近づいて来る彼女に手を伸ばす。
私の手を取たジャクリーンは、そのまま親しみを込めて私に抱きついて来た。

「元気そうで良かった! あなたの事だから、今日ここに来たら会えると思っていたわ!」

「ふふっ、ありがとう。あなたも元気そうで良かった」

私より少しばかり背の低い彼女を抱きしめ返し、互いに再会を喜びあうと、不意にそんな私達を微笑まし気に見つめている彼と目が合う。
    
「ラッセル、アカデミーの頃からの友人のジャクリーン・エイトクロス……サウスポートに領地を持つオウトリーブ伯爵令嬢なの」

私が彼にジャクリーンを紹介すると、ジャクリーンは琥珀色の大きな瞳で彼を見上げて、にこりと彼女特有の人懐っこい微笑みを浮かべて、「こんばんは、ロブダート卿」と簡単な礼を摂る。

「ご夫婦揃っての初めての公の場ですわね?」

そう言って茶目っ気たっぷりに私と彼を交互に見るのだ。

彼女のそんな様子に、憂鬱だった私の気分も少しばかり浮上した。付き合いの長い彼女であるからこそ、きっと今日この場を私がどんな思いで臨んでいるのかもお見通しなのだろう。


「たしか、結婚式にも来ていただいてましたよね?」

そんなジャクリーンに彼も柔らかく微笑んで応対している。

「あら、覚えていただけてよかった!」

「当然です。ティアの大切なご友人ですから」

さらりと愛称で私の名を呼んだ彼がするりとまた私の腰に手を回す。
私は、彼の名前をこうした場所で呼ぶだけでも一瞬の戸惑いがあるのに、彼はごくごく自然に愛称で呼んで、そして新婚の夫らしく上手く振舞うのだ。

考えてみれば、彼の名をきちんと呼ぶのもベッドの中以来の事だった気もする……
そんな事を考えたのがいけない。
途端に腰に当てられた彼の手を意識してしまって頬に熱が上るのを感じた。

そうしてそれを目ざとく見つけるのが、長年の付き合いである親友だ。

「まぁ!」
そう感嘆の声を上げたジャクリーンが扇を開いてふふふと、琥珀色の瞳を細める。

「お熱いのね! ティアナがこんな可愛らしい顔をするの、初めてみましたわ!」

「っ! ジャクっ‼︎」

抗議の声を上げた私に、肝心の彼女は「ふふふっ」と楽しそうに微笑むばかりで。

「いいじゃないの~新婚なんですもの! ねぇロブダート卿?」

となぜか彼に問いかけるのだ。

「そうですね。でもこんな可愛らしい顔はあまり外で見せて欲しくはありませんね」
水を向けられた彼も、なんだかジャクリーンに乗せられて、更にとんでもない事を言い出している。

「っ……もぅ、やめて~」
完全に私で遊び始めた彼等に半分涙目になりながら抗議すれば、二人はそろって楽しそうに笑い出した。

なんだか、引き合わせてはならない二人を引き合わせてしまったような気がする。

結局その場は、二人があたふたする私を楽しむように話が進んで……そうしている内に私の張りつめていた心も随分とほぐれて来た。

「さて、そろそろ挨拶周りも有りますでしょう? 私は失礼しますわね?」

程よく話の終息が付いたところで、ジャクリーンが気を使ってくれたので、私達は、彼女に一時の別れを告げた。その際に、彼女がすすっと私と彼の間に顔を近づける。

「そうそう……まぁ当然仕方ないのだけれど、今日あの男もいるわ。彼、しばらく静かだったのだけど。最近になって夜会に顔を出し始めて、自分は浮気をされたのだって言って回っているらしいから、気を付けて!」

それだけ言って、彼女はすぐに私達から離れると、なんでもなかったかのようににこりと笑みを顔に張り付けた。


「分かったわ! ありがとう」
私も、何とか笑みを張り付けて彼女に笑いかけると、ジャクリーンの視線が彼に向けられる。


「ティアナをお願いしますねロブダート卿」
笑顔で……しかしその言葉の奥は真剣に彼女が私を想って言ってくれている。

「お任せください」
まるで挨拶のように返答をした彼の声は、普段の彼を知っている者でなければ分からない程度に少しばかり低めだった。

私はもちろん、彼もここしばらくは多忙で夜会などへの出席もしていなかったから、正直、グランドリーの動向は全くつかめていなかった。だからこそきっと、ジャクリーンはそれを伝えるために、いの一番に声を掛けに来てくれたのだろう。

グランドリーが、この場にいる……当然そんな事は予想の範囲内だったけれど、考えるだけでやはりあの時の恐怖がよみがえってきそうで、自然と彼の腕にかけた手に力が入った。

どうやら彼はそれに気が付いたのだろう。
腰を抱く彼の手の力が少し強くなって。

「大丈夫だ。俺が側にいる」

まるで鎮痛剤のような、彼の落ち着いた声が、耳元でささやかれる。

魔法なのかもしれない。
硬くなりかけた身体から、すっと力が抜けていった。
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