その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

38 契約妻の新たなミッション

いつもより1時間遅れで席についた夕食は、至って通常通りの雰囲気で、当然ながら誰一人それに言及する者はいなかった。

シャワーを終えて、シャツとトラウザーズに着替えた彼も、いつも通り何食わぬ顔で席につき、現在私が勉強で手をつけている事業について、彼なりの考察と今後の見通しを真剣に議論してくれた。

そこには先ほどのベッドでの甘さなど一切なくて……

正直こちらの方がよほど契約結婚の夫婦らしい形だとさえ思える。

そうして食事を済ませたところを見計らって、この時間に普段は姿を見せない執事が入室して来た。

私たちとそれほど年が変わらない彼はクロードと言う。なんでも代々このロブダート家に仕える執事の一族の跡取りで、夫のラッセルとは幼い頃からずっと一緒に育っているらしい。


「少し折り入ってお話が……」と言われ、私たちは隣のリビングルームに移動した。

予め手配されていたらしい、私のためのハーブティーと夫のためのブランデーをそれぞれ手にして一口飲んだのを確認すると、クロードは私たちに封筒を差し出した。真っ白な封筒には金字でロブダート家の印章が押されており、それ以外には何も書いてはいなかった。

封筒と見比べるようにクロードを見上げると、隣に座った夫がそれを受け取った。

「アッシェルからか?」
低く問うた主人の言葉に、クロードが頷く。

「本日あちらから届いた書類の中に、入っておりました。お二人に直接お見せした方が早いかと思いまして」


「奥様もご一緒にどうぞ」と言われて、何が何だかわからないまま私は夫の手の中で開かれた手紙に目を落とす。

夫の手が腰に回され引き寄せられたので、身体を密着させるような形になり、動揺しかけるのをなんとか抑えた。

手紙の送り主は、どうやらロブダート侯爵家の領地にある本邸に勤める執事らしい。

クロードに対して、主人夫妻に一度領地の視察に来るよう話をしてほしいと、いうもので・・・。



「領地にもそろそろ一度視察をとは思っていたのだがな」

先に読み終わった夫が苦笑まじりにつぶやいた。
そうして、説明を乞うように見上げた私の髪に手を伸ばすとゆったりと梳いた。

「実はこのところなかなか領地に戻れていなくてね。ティアナを紹介のためにも連れて行けばいいと思いながら、なかなか日が取れなくて先延ばしにしていたんだよ。特に今は殿下の公務がとても忙しい時期だし」


「まず片道に1日はかかりますからね。全て視察をして、奥様にも色々と事業の内容を見学して頂くとなると10日は必要になります」

淡々と告げるクロードの言葉に、私は目を剥く。

ロブダート家の事業はずいぶん手広い。王都でもかなりの規模で展開しているけれど、大元の領地となればその比ではない。
いずれはそちらにも行くことにはなるだろうと思いながらも、視察に10日かかるとは予想をはるかに超えていた。


「現段階のスケジュールでは厳しいな……」

「私もそう思います」

苦々しい顔で呟き合う男性2人の頭の中ではこの先のお仕事のスケジュールがパズルのように組み換えられているのだろう。

私1人、ぼんやり首を傾けているのがなんだか申し訳ないような気さえしてくる。

私、1人……


「あの……私1人で行った場合はどうかしら?案内役を手配していただければ、私の視察だけでも済ませられると思うのだけど?」

おずおずと2人を見比べながら提案してみると、クロードがハッとしたように主人の顔を見た。 
しかし私たちの視線を受けた夫は少々渋い顔を作る。


「案内できる者はいなくはない……恐らく5日はティアナだけで可能だが……しかし初めての場所に1人で行かせるのも」

どうやら私が心細いのではないかと心配してくれているらしい。


「あら、侍従はつけてくれますのよね? ならば大丈夫よ」

そんな彼の心配を吹き飛ばすかのように微笑んで見せる。
いくらなんでも私1人を放り込むことはしないはずで、それなりに土地に明るい者をつけてくれるだろう。むしろ忙しい彼を私の勉強に付き合わせてしまう方が申し訳ない。

大丈夫だと、胸を張る私の顔を彼はしばらく複雑そうな顔で見下ろし、一度大きく息を吐いて腕を組むとソファに身を沈めた。

「5日ほどなら都合がつくか……先にあちらに向かってもらって、後から合流して残りを片付けるか。可能か?」

最後の問いはクロードに向けられたもので、クロードもしばし考えるそぶりをした後に……。

「なんとか対応いたしましょう」

と頷いた。

どうやらなんとなく段取りが見えて来たらしい。

「頼む」と短くクロードに告げた夫がゆっくりと私に向き直る。

「一人で行かせる事になってしまうが……すまない」

心底申し訳無さそうに私の手を取る彼の手を握り返すと、なんでもない事だと言うように微笑む。

「大丈夫です。私もあちらの事業の様子は気になっていたので、やはり書面で見るよりこの目で見たいですから、ゆっくりと視察させていただきます」

「頼もしいばかりだな」

私の言葉に、その場の男性二人が大きく息を吐いた。

「なるべく俺も早くむかえるように調整をしよう。どこか一日くらいは領地で2人でゆっくりできる日も欲しいしな」

こうして私の波乱の領地視察が決まったのだった。
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