その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

78 言い知れぬ不安

「あぁ、また会いましたね」

そう笑って、気軽に手を上げたリドックを見とめて、なぜだかとてつもなくきまずい気分になる。

「ごきげんよう。よく会いますね? お買い物?」
何とか取り繕って微笑めば、彼もまた笑みを浮かべて答える。

「いや……仕事でね!」
そう言た彼は今しがた出て来た建物に視線を移す。そこは「法律事務所」の看板が掲げられている。
スペンス家には代々法務関係を頼んでいる弁護士がいたはずだが、確かこんな名前ではなかったはずだ。
思わずそんな事を考えていると、クスリと彼が笑う気配を感じた。

「えぇ、そうです。流石だね。事業の方はこちらにお願いしているんだ。うちの弁護士は#継母__あの人__#の息がかかっているからどうも信用できなくてね。僕の事業に何かあればこちらを通してもらえると対応させていただくよ」

彼の含んだ物言いに、私の後ろに控えているマルガーナがピクリと反応する。
それもそのはずだ、彼は私に客としてでなく、競合する相手としての話をしているのだ。
とても挑発的なその言葉に、私はあえて穏やかに微笑む。

「まぁ怖い。そのような事がなきように、お互いに節度を持って頑張りましょうね」

それはいわば牽制も含んでいる。これまでの3件のように契約満了期に顧客を取られるのはまだいい。しかし先ほどの彼の物言いでは、弁護士に申し立てねばならぬような取り方をするつもりであるという事が含まれているような気がした。

そんな私の意図を予測していたのか、もしかしたら期待をしていたのかもしれない。彼の口角が皮肉気に上がる。

「あぁ、そうだね。お互い正攻法でやり合わないと楽しくないしね。ようやくやる気になってくれてうれしいよ」

そう言って、余裕な笑みを浮かべて少しだけ身をかがめた彼は

「成果出さないと、契約結婚の意味がないしね」

私と、その後ろに控えているマルガーナにしか聞こえないような声で小さく囁いた。

「っ!」
咄嗟の事に息を飲んだ私は、一歩下がる。

どこでそれを……

そう喉ま出でかかった言葉を寸でのところで飲み込んだ。
目の前の彼の瞳が、私の出方を見極めるように見下ろしていて、試されているのだと瞬時に判断した。

否定をするべきなのだろう。しかし咄嗟に反応してしまったことにより、すでに時を逸してしまったような気がする。
どう、反応するのが良いのか……ジトリと背中に汗が浮くような感覚を覚えた。

「契約? そんなことあるわけございませんわ! 失礼も大概になさいませ!」

そんな私を救ってくれたのは、恐らく先ほどからの苛立ちを持て余していたマルガーナだった。
「旦那様と奥様がどれほど仲睦まじいかご存じもないくせに、そのような憶測でお二人を貶めるのはおやめください!」

彼女は本当に怒っている様子で私の前に出て行こうとするので、慌ててそれを制する。そして彼を見上げれば、まさか私の侍女に噛みつかれるなどと思っていなかったであろう。面食らったような顔をしているので、おかげで私自身がすっと冷静になって行くのを感じた。

「メイドの非礼をお許しください。しかし、彼女がずっと私の側にいることは学院からの同級生である貴方ならお判りでしょう? どこでそんな根も葉もないお話をお聞きになったのかはわかりませんが、事実ではないわ」

そう言ってちらりと彼が出て来たビルに視線を送る。

「もし仮に、そうしたお話があなたによって吹聴され場合は、我が家の弁護士からこちらの事務所にご連絡をさせていただけばいいのかしら?」

にこりと微笑みを浮かべて小首を傾ける。
本当であれば、どこでそんな話を聞いたのか問いただしいたいところではあるけれど、彼に問いかけるのはリスクが高いと、自分の本能が告げていた。

「いや、単にカマをかけただけだよ! 婚約者にも心を向けず、そうした事に無関心だったあなたが、突然恋に落ちたから結婚するだなんて事があるはずないだろうって疑問だっただけさ」

しかし、返ってきたリドックの返答は多少慌ててはいるものの、それでもとても的を射ている。
思わず言葉に詰まりかけるところに、またしてもマルガーナが鼻息荒く一歩踏み出そうとするので、やんわりとそれを制する。

「単にその元婚約に興味がなかっただけよ。知っているでしょう?」
端的にそう告げると、彼は一瞬瞳を見開いて、そしてまた元の飄々とした笑みを戻す。

「なるほどね、確かにそうかもしれないね。これは失礼」

その顔を見上げながら、彼の真意が何なのかを探ろうとする。
事業の事で敵視しているのならば、私達の契約結婚の事に彼が目を付ける必要はないはずだ。
貴族の世界での結婚は政略的な要素が強いのは当然の事で、ある意味家同士の契約的なものなのだから、契約結婚である事が後ろ指を指される事柄ではないのだ。

そう、それなのになぜ私は先ほどとても狼狽えたのだろう。

微笑んで私の視線を受け止めている彼は、やはりその顔に真意を巧妙に隠しているのだろう。
「いったいあなたは何を考えているの?」そう喉元まで出かかった思いを一旦飲み込む。

聞いたところで真実を話すとも思えない。
そんな事を考えていると、建物の中から初老の男性が一人出てくる。
「坊ちゃま……っこれは、ティアナ様! ご無沙汰しております」

その人物は、道に立ち尽くす主と、その視線の先にいる以前の主の婚約者だった女の姿を見比べて、驚いて顔をひきつらせながら近づいて来る。

「お久しぶりね。アラン。」
以前はグランドリー付きの執事だった彼…アランはグランドリーのわがままにも良く付き合っていたけれど、どうやらグランドリーの失脚と共に解任されずに、リドックの側についているらしい。

そんな彼の登場はリドックにとっては不快なものだったらしい。
一瞬にして彼は表情を消した。

「学院の同級生なんだ、たまたま出会って挨拶するくらい普通だろう。兄さんが随分非礼を働いているわけだしな」
先ほどとはずいぶん違う苛立ちと冷たさを含んだ言葉を投げつけて、彼は自身の馬車に視線を向ける。
「戻るぞ」

冷たく言い放ち顎でアランに指図すると、そんな冷たい言葉を投げつけられたアランは「は、はいっ」と慌てたようにそそくさと私達を横切り、馬車の扉を開く。

「それでは、また」

最後に私の方を一度だけ振り向いた彼は先ほどまでの飄々とした顔を張り付けていたけれど、先ほどよりも随分硬さがにじみ出ていた。

「なんなんです! 本当に!」

マルガーナの毒ずくのを聞きながら去っていく馬車を見送る中。言い知れぬ不安が胸の奥を渦巻いていくのを感じた。
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