その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

80 誘い② 【ラッセル視点】

「こちらでよろしいので?」
扉を開けて、不安そうな顔で聞いてくる御者に俺はしっかりと頷く。
「あぁ、すまない。そう時間はかからないから、頼むよ」


何をしにとは聞かないものの、普段王城と自宅を真っすぐ行き来しかしない俺に長年付き合っている彼は、この状況にただならぬものを感じ取っているのだろう。

大丈夫だと軽く頷いて、目の前の建物を見上げる。
何の変哲もない3階建ての小さな建物だ。1階と2階には中級層向けの宝飾品を扱う店が入っており…そして3階がどうやらリドックのオフィスのようだ。


真っ暗になった宝飾店のショーウィンドウに映る自分の姿を一瞥して、意を決してその脇の階段に足を踏み込む。
どんな事を聞かされても、彼の前では動じない、そう決意した上で、この場にやって来たのだ。
階段を上がって行けば、3階は貴族がオフィスを構えているとは思えないほどに簡素で無機質な作りで、目の前に突然現れた扉も、随分と年季が入り、塗料が剥げかかったような粗末な扉だった。

擦りガラスからはオレンジ色の光が漏れており、中で人影がちらちらと動く気配を感じる。
どうやら、彼一人ではないらしい。
そういえば先ほど管理棟で相対した時にも、彼の後ろには初老の男性が気配を殺すように付いていた。

従者だろうか。

兎に角、早く話を終わらせて、ティアナとの時間を作らねばと、扉をノックする。
すぐに内側の気配が動いて人影が扉の前にやってくる気配を感じていると、扉が開いて案の定先ほど後ろに控えさせていた初老の従者が顔を出し、恭しく礼を取った。

「ようこそおいでいただきました、ロブダート卿」
「リドック・ロドレル氏と約束があるのだが」
「お待ちしておりました。中へどうぞ」

俺の言葉に深々と頭を下げると、半身をひるがえし、室内へ誘うので、その背中について室内に入る。


「随分とお忙しいのですね。もう少し早くお見えになると思っていましたが」

薄いカーテンを引いた窓辺のデスクに腰掛け俺を迎えたリドックはとても楽しそうな笑みを浮かべている。

自然と眉を寄せそうになるのを堪えて一瞥する。

「忙しいとお伝えしたはずだ。仮にも王太子殿下に仕えているのだから中途半端に仕事は投げ出せない」

そちらが一方的に指定してきたものに乗ってきただけでもありがたいと思って欲しいものだ、本当はであればすぐにでも帰宅して、ティアナの顔が見たいと言うのに。

それを邪魔されたようなこのタイミングの呼び出し、そしてそれを無視できず、のこのこ出向いた自分にも情けなくて苛立つ。
そんな俺の心情をまるで見透かしているとでも言うのか、リドックはまた薄く微笑むと「そちらにどうぞ」とソファーを指す。

「ゆっくりするつもりはない。馬車を下に待たせている。あまり遅いと心配をかける」

膝を突き合わせて、話すつもりはない。そういう意思表示のつもりで告げると、彼の眉がわずかに動く。

「そんなに、すぐにつく話でもないのですがね……この後何かご予定でも?」

呆れたようなトーンで息を吐いたリドックだったが、その言葉に俺は返答をするつもりはないと口を噤む。
だいたいこの男自体が非常に得体が知れないのだ。
王宮で謁見を済ませた直後の彼は、これほどまでにこちらを不快にするような様子はなかったはずだ。それなのに、突然今日になって非常に好戦的で、どこかこちらを見下すような……不愉快にさせるような表情を見せる。
もちろんディノとエリンナの話を聞いているからこそ、思い至る事はあるのだが……この変わり身はいったいなぜなのだろうか。

そんな警戒するような俺の様子に、彼は「まぁいいでしょう」ともう一度息を吐いた。

「お急ぎなのでしたら単刀直入に言わせていただきましょう。ティアナをお返し願いたい」

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