氷の王子様は子守り男子

意外な一面

 その日の夕方。授業を終えた私は、すぐにたっくんを迎えに行くため保育園に向かう。
 ってできたらよかったんだけど、先生に捕まって、ちょっとした用事を頼まれちゃった。
 軽い気持ちで引き受けたのはいいけど、終わってみると、思ったより時間がかかってしまった。

「急がないと」

 あんまり待たせると、たっくんが寂しがるかも。そう思うと、自然と足が速くなる。
 保育園に着くと、まずは保育士の先生に挨拶。たっくんのクラスの担任の久瀬先生とはすっかり顔見知りだから、すぐにわかってくれた。

「お姉さんの代わりにお迎えなんて、偉いわね」
「そんなことないですよ」

 半分は好きでやってるみたいなもんだから、そんな風に言われると照れくさい。

「最近の中学生って、みんなこんなに面倒見がいいのかしら」
「みんな?」

 久瀬先生の言葉がなんだか引っかかったけど、それより早くたっくんのところに行かなきゃ。
 そうしてたっくんのクラスに向かうと、中から大きな笑い声が聞こえてきた。
 これは、たっくんの声だ。

「何してるんだろ?」

 たっくんはどちらかといえば大人しい子だから、こんな大声ではしゃぐのは珍しいかも。

「ねえ、もっとやって!」
「ああ、いいぞ。よっと!」

 聞こえてくる声の中には、男の人のものもある。
 男の保育士さんかな?
 そう思いながら中を見ると、残っている子どもはたった二人。
 たっくんと、あと一人は女の子。たしか、名前は日向ちゃん。
 たっくんと仲良しの子で、こうしてお迎えに来た時、私もちょっとだけ一緒に遊んだことがあるんだよね。
 まだ小さいのに顔の形がすごく整ってて、大きくなったら絶対美少女になりそう。
 そして、部屋の中にもう一人、わたしと同じ年くらいの男の子がいた。
 それを見たとたん、私は息を飲む。

「えっ、吉野くん?」

 そこにいたのは、なんとあの、吉野星くん。
 まさかと思ったけど、あんな綺麗な顔を見間違えるなんてありえない。
 どうして吉野くんがここに?
 しかも、驚いたのはそれだけじゃない。
 吉野くんは、私が来たことに気づかず、たっくんや日向ちゃんと話してたけど、急にしゃがんで両腕を広げる。
 かと思うと、たっくんと日向ちゃんが、それぞれ片方ずつその腕を掴んだ。

「二人とも、しっかり掴まってろよ」

 吉野くんはそう言うと、そのまま立ち上がり、両腕に二人をぶら下げたまま、高々と抱え上げる。

「わぁーっ!」

 たかいたかいの、両手持ちバージョン。しかも、一度下げたと思ったらまた上げてっていうのを、何度も繰り返す。
 それがたっくんや日向ちゃんはすっごく楽しいみたいで、キャッキャと声をあげている。
 廊下にいた時聞こえてきた声は、これだったんだ。
 けど、なんで吉野くんがここにいるの? それに今の吉野くん、ニコニコ笑ってて、氷の王子様って言われているのとまるで別人なんだけど!
 やがて吉野くんも疲れてきたのか、ぶら下がっている二人を、ゆっくりと床に下ろす。
 二人とも床に立ったとたんフラフラしたけど、吉野くんは再びしゃがんで、それをしっかり受け止めた。

「いいか。フラフラのまま立ってたら危ないから、少しだけじっとしておくんだぞ」

 二人の頭を撫でながら、そう話す吉野くんは、これまた普段学校では聞かないような、甘〜い声。
 その様子を見て、気がつけば思わず呟いていた。

「か、可愛い……」

 だってそうでしょう。
 たっくんは元々可愛いし、日向ちゃんだってそう。そんな二人が無邪気に遊んで、しかも、その相手があの吉野くんなんだよ! 今まで見たこともないくらいの笑顔や甘い声なんだよ。
 これを可愛いって言わずになんて言うの!
 見とれていると、たっくんがこっちに気づいた。

「あっ。知世お姉ちゃんだーっ!」
「やっほー、たっくん。今日はママのかわりに私が迎えに来たよーっ!」

 駆け寄ってきたたっくんを受け止め、頭をワシャワシャって撫でる。
 今の私はときめき成分たっぷりだから、いつもの倍くらいワシャワシャしちゃう。
 だけど、私を見て反応したのは、たっくんだけじゃなかった。
 さっきまで笑っていた吉野くんが、急に顔を強ばらせ、大きく目を見開く。

「お、お前。確か、うちのクラスの……」
「うん?」
「うちのクラスの……うちのクラスの……」
「えっと……坂部。坂部知世」

 吉野くん、私の名前知らなかったんだ。
 まあ、いいけどね。同じクラスだけど喋ったことなんてほとんどないし、仕方ない。
 それより今の吉野くんは、なんだか動揺していて顔色も悪い。
 さっきの笑顔とは別の意味で、今こんな吉野くん初めて見たかも。
 すると今度は、キッと鋭い目つきに変わって、睨むように私を見る。
 ああ。これは割と、普段見る氷の王子様っぽい。
 なんて呑気なこと考えてる場合じゃない。
 吉野くん、すごく不機嫌そうに見えるけど、もしかして怒ってる?
 思わず後ずさるけど、吉野くんは逃がすかって感じで、どんどん詰め寄ってくる。
 そしてとうとう壁際に追い詰められ、息がかかるくらいの距離まで迫ってきた。
 こ、怖いんだけど。

「なあ、いつからだ?」
「へっ? いつからって?」
「お前はいつからここにいて、俺のことを見てたのかって聞いてるんだよ」
「そ、それは……」

 吉野くんが、二人同時にたかいたかいをする少し前くらいから。
 けど、正直に言っていいのかな? 言ったら、余計怒らせちゃうかも。

「聞いてんのか?」
「ひぃぃっ!」

 さっきの笑顔や甘い声はどこへやら。今の吉野くんには、ただただ恐怖しかない。
 そう思った、その時だった。

「知世お姉ちゃんのこと、いじめるの?」

 そう言ったのは、たっくんだ。たっくんは目をウルウルさせながら、心配そうに私と吉野くんを交互に見る。
 それだけじゃない。

「お兄ちゃん、イジワルしてるの?」

 日向ちゃんも、たっくんと同じように不安そうな目を向けていた。
 子ども二人に見つめられた吉野くんは、くっと小さく声をあげる。
 それから、ほんの少し表情をヒクつかせたかと思うと、無理やりって感じで笑顔を作った。
「違うんだ。別に、いじめてるわけじゃないんだぞ」
「そうなの?」
「もちろんだ。俺がそんなことするやつに見えるか?」
「見えなーい」

 笑顔になったのが良かったのか、二人とも、吉野くんの言葉に素直に頷く。

「ただ、ちょっとだけこのお姉ちゃんと話すことがあるから、二人で遊んでてくれないか?」
「うん遊ぶー!」
「僕もー!」

 そうして、二人は遊び始める。
 さっきも思ったけど、吉野くん、子供の扱いがうまいの?
 けど、今考えるのはそこじゃないかも。
 吉野くん、私と話すことがあるって言ったよね。

「坂部、ちょっといいか」

 やっぱり。
 今度はいったい何を言われるんだろう。
 嫌ですって言いたかったけど、そんなことできるわけがなかった。
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