嫁いでから一度も触れてこなかった竜人皇帝が、急に溺愛してくる理由
第一章:それぞれの秘密
「婚姻はするが、それはあくまで形式的なものだ」
 石造りのどこか冷たさを感じる城の、広い謁見(えっけん)の間。
 その玉座にはこの国の皇帝が座り、わたしを見下ろしていた。
「貴様には(まつりごと)に関わらせるつもりもなければ、期待もしていない。ただ、俺を不快にさせなければ後は勝手に過ごせばいい」
 そう告げる声は低く、冷たく、淡々としていた。
 そばに来た者達の手にはペンとインク、そして一枚の紙。
 婚礼衣装に身を包んでいるのに、これほど簡易的な婚姻は他にそうないだろう。
 ベール越しとはいえ、初めて顔を合わせた夫となる人は、わたしを冷たく睥睨(へいげい)する。
「俺は貴様を愛することはない」
 ……でも、それは仕方がない。
 わたしは人質として嫁ぐことになったのだから。

 わたし、アイシャ・リエラ・ウィールライトは、ウィールライト王国の第一王女である。
 しかし、第一王女といっても王妃の子ではなく、当時、国王の恋人として一夜を共にした男爵令嬢の娘だった。
 現ウィールライト王国は王太子である二十歳の第一王子、十七歳の第一王女であるわたし、そして一歳下の第二王女と二歳下の第二王子がいる。けれど、わたし以外は全員王妃の子だ。
 王族の血筋なのか全員金髪の王家の中、銀髪のわたしは異質な存在だった。
 (めかけ)の子というだけでも王妃にとっては不愉快な存在だろう。
 それだけではなく、王家の者ならばあって当たり前の魔力もない。
 銀髪に青い目、魔力もなく、妾だった母親似の第一王女。
 何の価値もないわたしは王家では厄介者でしかなかった。
 王妃からは毛嫌いされ、異母兄である王太子からは存在を無視され、魔法が得意な異母弟妹からは『無価値な王女』と嘲笑(あざわら)われ、魔法が使えないと知りながら人前でわたしに魔法を使えと強要することもあった。そして出来ないと『王家の出来損ない』と言った。
 ……だけど、本当のことだもの。
 王族なのに魔力がないことも、ひとりだけ金髪ではないことも、王家の血を引きながら誰からも望まれていないことも。全てが事実だった。
 時には食事もままならず、後宮内の野草を食べて飢えをしのいだこともあった。
 いつもわたしの食事は王妃や異母妹の機嫌によって左右された。
 その後、王族として最低限の教育は受けられるようになったものの、国内の貴族がわたしを望むはずもない。このまま修道院に行くのだろうかと思っていた矢先、国境を接する竜人達の国・ドラゴニア帝国と戦争が起きた。
 ……悪いのはウィールライト王国だけれど。
 ドラゴニア帝国が輸入を禁止している特殊な植物を、ウィールライト王国が密かに流し、それで国益を得ていたのだ。それがドラゴニア帝国の皇帝の逆鱗(げきりん)に触れて戦争へと発展したのだが、人間よりも強い種族である竜人族に勝てるはずもなく、我が国は負けてしまった。
 多額の賠償金と国境沿いの土地、そして人質として王族がひとり、要求された。
 後は簡単な話だ。一番価値のないわたしが差し出された。
 表向きは『大切な第一王女』として人質となったが、実際は無価値で不必要な存在を手放す丁度いい機会と思ったのだろう。婚礼衣装として急拵(きゅうごしらえ)えの真っ白なドレスを着せられ、帝国の兵士に引き渡されたわたしは、こうして皇帝の妻という名の人質となった。
 背後でバタンと扉が閉まり、兵士達の足音が遠ざかる。
 わたしに当てがわれた部屋は、ウィールライト王国で暮らしていた後宮の部屋よりも華やかで美しかった。
 でも、心が躍るはずもない。
 ……いつまでここで暮らせるのかしら。
 帝国の皇帝陛下は冷酷無慈悲だと聞いた。
 先ほど、謁見した皇帝陛下の冷たい声を思い出す。
 人質とはいうが、敗戦国の人間など、いつ殺されても不思議はない。きっと皇帝陛下の機嫌を損ねれば簡単に首を()ねられるだろう。
 ひとりだけついてきた侍女が、わたしのベールを引き剥がした。
「全く、どうして私がこんな出来損ないのために……」
 元々は第二王女付きだった侍女のシャロンは、今はわたしの監視役である。くすんだ金髪に水色の瞳をした、気の強そうなシャロンは、わたしが自ら死なないか、王家の出来損ないであることを皇帝に漏らさないか、常に見張っていた。
 わたしの侍女となることが不本意だったのは言うまでもない。必要最低限の世話はしてくれるけれど、少し手荒くて、常に文句を言っている。
 シャロンはわたしから婚礼衣装を脱がせ、普段着の地味なドレスに着替えさせると何も言わずに部屋から出ていった。
 ……戻ってくる気配はなさそう……。
 仕方なく、自分で髪を()かし、ベッドに横になる。
 王国にいた時よりふかふかで質のいいベッドは心地好くて、でも、深い溜め息が漏れた。
 わたしは皇帝陛下や帝国の人々を(だま)し続けなければいけない。王国で愛されて育った第一王女として振る舞い、魔力がないことを悟られてはならず、皇帝陛下に殺されてもいけない。
 皇帝陛下の妻という形だけの立場が与えられただけなのだから、ここでは静かに、息を殺して過ごす必要がある。
 ……大丈夫。慣れているもの。
 王国にいた時だって王族からも使用人達からも無視されていたのだ。場所が帝国になっただけで何も変わらない。結婚は紙切れ一枚に名前を書いただけで終わった。
 期待はしていなかった。敗戦国の王女が歓迎されるはずもなかった。
 ……わたしはどこに行っても望まれない。
 それはもう、仕方のないことだと諦めていた。
「……マーシア……」
 茶髪に同色の瞳をした、優しく穏やかな、わたしの唯一の家族とも呼べる人。
 マーシアはわたしがこの国に嫁ぐこととなった際に、人質として王国に残らされた。
 彼女が王国にいる限り、わたしは王国の言うことを聞くしかない。
 せめて、これ以上マーシアを苦しませたくなった。
 ただ、幼い頃から母代わりに育ててくれた乳母(うば)がいないことだけが、寂しかった。
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