嫁いでから一度も触れてこなかった竜人皇帝が、急に溺愛してくる理由
 帝国に来てから数日経ったが、わたしは放置されていた。
 王国にいた時と同じだけれど、帝国のほうが、まだ暮らしぶりはよかった。
 立場に見合った食事が毎日きちんと出るし、教育のための授業もなくてのんびりと過ごせるし、誰も近寄ってこない。
 ウィールライト王国では異母弟妹がたまに来て、魔法で石を当てられたり、水をかけられたりしていたし、機嫌が悪い時は(たた)かれたり蹴られたりすることもあった。
 暴力を振るわれるより、無視されたほうがずっといい。
 日がな一日やることもなく、最初は戸惑った。
 部屋の外には警備の兵士達がいて、わたしが部屋を出ると警護という名目でついてくるが、基本的には喋らない。恐らく、わたしが変なことをしないか監視しているのだろう。
 一度、散歩をしに庭園へ行ったものの、侍女も兵士達も嫌な顔をしたので部屋の外に出るのはやめた。この城には蔵書室もあるだろうけれど、他国の人間のわたしが気軽に立ち入れる場所ではない。
 ……いいえ、自由に行けるところなんてないわ。
 本当に、息を殺してひっそりと暮らすだけだ。
 でも、ひとつだけわたしがひとりで過ごせる場所がある。
 王国を出る際、持てるだけ持ってきた薬草と植物辞典が余っている部屋に保管してあり、毎日、そこで薬草と向き合っている。シャロンは薬草の匂いが嫌いなようで入ってこない。
「……この薬草はこれと合わせてはダメなのかしら」
 今日もわたしは薬草と辞典とを見比べる。
 王女の趣味にしては華やかさがないけれど、薬草の知識は色々と役立つこともある。
 薬草は薬になる。虫刺され、胃痛、打ち身、切り傷。色々なことに使えるし、紅茶のようにお茶として飲むことも出来る。紅茶とは違った味だが、わたしは好きだった。
 わたし以外誰もいない部屋で、ひっそりと薬草茶を飲みながら過ごす時間は穏やかで、静かで、物寂しいが平和そのものだ。
 ……今日はどの薬草茶を飲もうかな。
 そんなことを考えているとノックもなしに扉が開けられる。
「今夜、皇帝陛下のお渡りがあるそうよ」
 シャロンの言葉に驚いた。
「えっ、本当ですか……?」
「何度も言わせないで。陛下のお渡りがあるわ。草を触っている暇なんてないのよ」
 腕を(つか)まれ、部屋から引きずり出される。
 その後、お茶を飲む暇もなく入浴させられ、面倒くさそうにしながらも全身を磨かれ、髪を何度も(くしけず)られる。気付けば日は落ちていて、軽い夕食を摂った後に化粧を施された。
「いいこと? 陛下に何をされても拒否しないこと。もし拒絶したり、陛下の機嫌を損ねたりしたら、どうなるか分かっているでしょうね?」
「……はい、気を付けます」
 もし拒絶して皇帝陛下の機嫌を損ねれば、即座にシャロンは王国に手紙を送り、わたしの代わりにマーシアが罰せられる。マーシアは親代わりにわたしを育ててくれた人だ。わたしが上手くやれている間は乳母の安全は保証してもらえるので、言う通りにする他なかった。
 ……マーシア、今度はわたしがあなたを守るから。
 燭台(しょくだい)に控えめな明かりが灯されただけの暗い部屋の中。
 ベッドの上で静かに皇帝陛下のお渡りを待つ。
 ……覚悟を決めるしかない。
 本来なら結婚など出来ないような立場だったのだ。たとえ形だけでも結婚し、婚礼衣装を着ることが出来ただけでもよかったと思うべきなのだろう。
 しかも相手は帝国の皇帝だ。
 相手を騙しているという罪悪感はあるが、だからこそ、わたしはこの(うそ)()き通すしかない。
 一時間、二時間と経ち、もはやもう来ないのではと思った時、部屋の扉が叩かれた。
 慌ててベッドから立ち上がる。
「……どうぞ」
 返事をすると扉が開けられた。
 そこには、数日前に一度だけ会った皇帝陛下がいた。
 相変わらず冷たい眼差(まなざ)しを向けてはいるものの、立ち尽くすわたしに近づいてくる。
 手を伸ばせば触れられる距離まで来て、わたしはやっと、自分の夫の顔をきちんと見た。
 以前はベール越しだったが、こうして(じか)に見て、皇帝陛下の整った顔立ちに思わず見入ってしまった。
 ……王太子殿下よりいくらか年上みたい。
 異母兄の王太子は今年で二十歳になったが、彼よりいくつか年齢は上に見えた。
 (つや)やかな黒髪は整えられ、その前髪から(のぞ)く瞳は輝くような金色で、目が合うと引き込まれてしまいそうだった。わたしよりずっと背が高く、遠目には細身に見えたけれど、近くで見ると意外に肩幅があってがっしりとした体つきである。
 全体的にどこか猛禽類(もうきんるい)を思わせるような鋭さを感じるのは、竜人という強い種族故か。
「貴様……いや、お前は……」
 低く、けれども玉座でかけられた声よりは、いくらか感情の交ざっているような声が不思議だった。
 ……戸惑っている?
 そっと伸ばされた手が顔に近づき、しかし、触れずに止まる。
 ここでは王国よりもいい暮らしをさせてもらっている。
 だから、これから何をされたとしてもきっと我慢出来るし、妻として子を()せと言われても受け入れるしかなかった。元よりマーシアのためなら何だってするつもりだった。
「……覚悟は出来ております……」
 覚悟を決めたくせに、発した声は小さくて。
 感じている不安を悟られたくなくて目を伏せた。
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