二度目の嫁入りは桜神の街~身ごもりの日々を溺愛の夫に包まれて~

10 ゆりかご

 咲希が青慈と暮らし始めて半年になるが、濁らない水の中で漂っているような気分で日々を過ごしていた。
 二人とも働くことが一日の中心だから、朝起きて仕事に行くまでと、仕事から帰って眠るまでが暮らしの時間だ。その短い時間の中に雑用が詰め込まれているのだから、家事のやり方一つで喧嘩になってもおかしくないはずだった。
 でも付き合っていた頃もそうだったように、青慈はいつも穏やかで、怒ったところなど見たことがない。
「咲希、出られる?」
「はい」
「行こう」
 青慈はいつもそっと咲希の背中を押して、咲希が弱気になるときは体と心を包んでくれた。
 青慈のその静かな慈愛に咲希は助けられていて、身重の体を抱えていても普段通りの生活ができていた。
 青慈は咲希より大人で、優しさと労わりに満ちた人柄を尊敬しているけれど、ちょっと可愛いと思うところもある。
 青慈は咲希の隣を歩きながら、苦笑いしてつぶやく。
「ごめん。寝坊しちゃった」
 青慈は朝が弱いようで、ベッドの中でねぼけているときがある。咲希が先に起きようとしても、腕をからませて一緒に寝坊させてしまうこともある。
 咲希はちょっとだけむすっとして言う。
「悪い癖ですよ。仕事に遅れたらどうするんですか?」
「そうしたら、その日は咲希の言うことを何でも聞くよ」
「……もう、甘やかしてほしいわけじゃないです」
 普段でも、青慈は咲希の言うことをほとんど叶えてくれる。かろうじて仕事では青慈が上司であるだけで、咲希より恵まれた力は咲希を導くために使ってくれていた。
 咲希は怒ろうとしても、青慈に対してそんな感情は長く続かない。代わりに、咲希は素朴な言葉をつぶやいた。
「青慈さんは夜だって遅くないのに、昼寝も欠かさないですね」
「体質なんだよ。水や呼吸と同じくらい睡眠が大事なんだ」
 急ぎ足で仕事に行くのだって咲希の生活を変えたには違いないのに、受け入れている自分がいた。恋の過熱さではないけれど、青慈との生活は咲希の心身を健やかにしてくれる。
 仕事の間も青慈とはほとんど四六時中同じ部屋にいるが、彼と同じところにいるのは心地よかった。青慈の監督と指示の下で仕事をするなら、安心していられる。たまに彼の目から離れて別の部署に行くだけでも、頼りない気持ちになるくらいだった。
 一日は早くも遅くもなく一定の速さで過ぎて、やがては二人とも仕事を終える。後は一日おきに買い物をして帰るくらいだが、その日常に満たされていた。
 その日、青慈は珍しく寄り道を提案した。
「寄りたいところがあるんだ」
 青慈が咲希を連れて入ったのは、家具店だった。彼と住む家は既に使い勝手のいい家具ばかりで足りないものもなく、少しだけ不思議だった。
 店に着くなり彼が熱心に選び始めたのは、子ども用のベッドだった。大きさも高さも彼の中でほとんど決めているようで、熱をもって検分する。
 咲希は苦笑して青慈に言う。
「まだそんなに大きくなるのはだいぶ先です」
 咲希が言葉をかけると、彼はそうだねと照れたように笑った。
「待ち遠しくてね。笑ってくれていいよ。咲希との子だと思うと、何でも与えてやりたいんだ」
 青慈は愛おしげにベッドをなでて、それは子どもをあやす仕草にも見えた。
 青慈はどこにも乱暴さがないから、きっと子どもを大切に大切に扱って、愛してくれるのだろう。
 彼の腕の中で育つ子どもはきっと幸せだ。そう思いながら、咲希はそっと自分の腹部をさすった。
 青慈もその仕草に気づいたのか、彼もそっと咲希の腹部をなでた。
「早く出ておいで。待っているよ」
 青慈は赤ちゃんにそう告げて、咲希の手を取った。
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