ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました
第十四話・偵察
新店のオープンの日が近付いてくると、穂香の勤務する既存店にもオープン準備のシワ寄せが襲ってきた。
「あ、このブラウスは笹山様の取り置き入ってるんで、移動は無理です」
「この辺りの商品全部送ってしまうと、棚がガラガラになっちゃうね。残りの商品で量出ししていってくれる?」
「ええっ、これ結構売れてるんですけど、送らないとダメなんですかぁ⁉」
「あぁ……これはセールの目玉商品にするから数が要るっぽい。定番色は残して、他は送って」
オープンセール用の商品確保のために店舗間の在庫移動指示も多く、穂香達は通常業務以外の作業に追われていた。柚葉は本社から送られて来た移動リストを見ながら、テキパキと指示を出していく。
「あ、あと、各店舗から一人ずつオープン準備のヘルプを送って欲しいって話が出ててさ、平日だけでいいんだけど誰か――」
「えー、それって通いですよね? ちょっと遠いなぁ……」
新店への通い辛い距離に露骨に嫌そうな表情を浮かべる弥生。それは別に分からないでもない。駅からバスに乗らなくてはならない郊外型のショッピングモールだから車を持っていないとかなり不便なのだ。今日は休みの詩織が免許を持っていたはずだからと、本人に打診するつもりで店の電話に手を伸ばしかけた店長へ向かって、穂香が片手を挙げて立候補する。
「はい! 私、行きますっ」
「あ、穂香ちゃん、行ってくれる? 助かるー」
「オープン準備ってことは接客無しですよね?」
「そうそう、品出しとか掃除とか、もうひたすら肉体労働だから楽な服装で行ってくれたらいいから」
店の地図とオープン前スケジュールがプリントされた用紙を手渡しながら、柚葉が穂香へと掻い摘んで準備期間の一連の流れを説明してくれる。柚葉はこの店のオープン時から働いているし、前職でも何度か経験しているらしく、かなり詳しい。
「向こうのスタッフは米澤さん以外にも他の店から移動していく人はいるらしいんだけど、半分は現地採用だって聞くし、もしかしたらその辺りの研修のお手伝いもあるかもしれないんだけど……ま、穂香ちゃんなら大丈夫か」
「オーナーもずっといらっしゃるんですよね?」
「多分ね。あ、そっか。オーナーと最寄り駅が一緒なんだっけ? 車に乗っけてってもらえばいいじゃない」
柚葉の不意打ちの提案に、穂香は思わずドキッとしてしまう。川岸と付き合っていることも一緒に住んでいることも秘密だけれど、何かあった時のために家が近いということにしていたのをすっかり忘れていた。「あ、そ、そうですね……」と動揺を隠しながら相槌を打つ穂香へ、弥生が少し困惑した顔で言う。
「でもそれ、米澤さんにバレたらヤバくない? 穂香、夜道には気をつけな」
「ええええっ……⁉」
新店のオープン準備という初めての体験にワクワクしつつも、他の人に言い寄られている川岸を見るのが怖くもある。でも何の行動も起こさずにモヤモヤしているのは性に合わないし、自分がヘルプに行くことで少しでも彼の手助けになればと気合いを入れる。
「あ、あといつも来てくれてたパートの斎藤さんなんだけど、新店の方が近いからって向こうの専属になるみたいよ」
追加で送られて来たというメールを確認した後、柚葉が困り顔で告げる。他の店舗とをシフトの補充という形で派遣されて入っていたパートスタッフが、社員登用されて新しい店の常駐になることが決まったらしい。新店からすれば商品の扱いに慣れている即戦力だからありがたい存在だろうけれど、この店からするとスタッフ人数が減って今後のシフトが回せなくなる可能性が出てくるということ。
「ああ、大丈夫。もう募集はかけてて、その内に新しい人を入れてくれるみたいだから」
「ならいいですけど……」
柚葉がいない時は自分にシワ寄せが来るのが分かっているから、弥生は必死だ。しかも今さっき穂香が当面の平日はヘルプに行くことが決まったばかり。この店もしばらくはバタバタと慌ただしい日が続きそうだ。
新しいショッピングモールへの初出勤。その日に限って川岸は午前中は商談があるとかで一緒に通勤は叶わなかった。前夜もやっぱり帰宅が遅く、朝少し顔を合わせることができただけだ。最後にゆっくり会話できたのはいつだったけ……
駅前のバス乗り場で手持ち無沙汰にスマホを片手にネットニュースを流し見ていると、見知った顔に声を掛けられた。
「お疲れ様です。田村さんもヘルプで?」
「あ、お疲れ様です。本店からは戸塚さんなんですか? え、店は大丈夫……?」
「あはは。私、今は社員じゃないんですよ。育休明けからはパート勤務なの。だから、ここのヘルプも十五時で上がらせて貰うことになってる」
「そうなんですね……復帰されてすぐ社員に戻られたのかと思ってました」
「それがね、保育園のお迎えがフルだと間に合わないんだよねぇ」
元は先代社長が洋品店を営んでいた商店街の中にある本店。そこで店長をしていた戸塚絢美はカラカラと明るく笑っている。元店長の彼女がヘルプなんてと穂香は驚いたけれど、今は時短勤務になっているのまでは知らなかった。
バス停前でしばらく近況などを話していると、ショッピングモール前行きのバスが到着する。オープンはまだだけどモールの建物の前には真新しいバス停が設置されていて、買い物客やここで働く従業員が利用できるようになっていた。まだオープン前だから乗っていたのは全て関係者ばかり。周囲に倣って建物をぐるっと回り込み、従業員出入り口から中へと入っていく。
「あ、このブラウスは笹山様の取り置き入ってるんで、移動は無理です」
「この辺りの商品全部送ってしまうと、棚がガラガラになっちゃうね。残りの商品で量出ししていってくれる?」
「ええっ、これ結構売れてるんですけど、送らないとダメなんですかぁ⁉」
「あぁ……これはセールの目玉商品にするから数が要るっぽい。定番色は残して、他は送って」
オープンセール用の商品確保のために店舗間の在庫移動指示も多く、穂香達は通常業務以外の作業に追われていた。柚葉は本社から送られて来た移動リストを見ながら、テキパキと指示を出していく。
「あ、あと、各店舗から一人ずつオープン準備のヘルプを送って欲しいって話が出ててさ、平日だけでいいんだけど誰か――」
「えー、それって通いですよね? ちょっと遠いなぁ……」
新店への通い辛い距離に露骨に嫌そうな表情を浮かべる弥生。それは別に分からないでもない。駅からバスに乗らなくてはならない郊外型のショッピングモールだから車を持っていないとかなり不便なのだ。今日は休みの詩織が免許を持っていたはずだからと、本人に打診するつもりで店の電話に手を伸ばしかけた店長へ向かって、穂香が片手を挙げて立候補する。
「はい! 私、行きますっ」
「あ、穂香ちゃん、行ってくれる? 助かるー」
「オープン準備ってことは接客無しですよね?」
「そうそう、品出しとか掃除とか、もうひたすら肉体労働だから楽な服装で行ってくれたらいいから」
店の地図とオープン前スケジュールがプリントされた用紙を手渡しながら、柚葉が穂香へと掻い摘んで準備期間の一連の流れを説明してくれる。柚葉はこの店のオープン時から働いているし、前職でも何度か経験しているらしく、かなり詳しい。
「向こうのスタッフは米澤さん以外にも他の店から移動していく人はいるらしいんだけど、半分は現地採用だって聞くし、もしかしたらその辺りの研修のお手伝いもあるかもしれないんだけど……ま、穂香ちゃんなら大丈夫か」
「オーナーもずっといらっしゃるんですよね?」
「多分ね。あ、そっか。オーナーと最寄り駅が一緒なんだっけ? 車に乗っけてってもらえばいいじゃない」
柚葉の不意打ちの提案に、穂香は思わずドキッとしてしまう。川岸と付き合っていることも一緒に住んでいることも秘密だけれど、何かあった時のために家が近いということにしていたのをすっかり忘れていた。「あ、そ、そうですね……」と動揺を隠しながら相槌を打つ穂香へ、弥生が少し困惑した顔で言う。
「でもそれ、米澤さんにバレたらヤバくない? 穂香、夜道には気をつけな」
「ええええっ……⁉」
新店のオープン準備という初めての体験にワクワクしつつも、他の人に言い寄られている川岸を見るのが怖くもある。でも何の行動も起こさずにモヤモヤしているのは性に合わないし、自分がヘルプに行くことで少しでも彼の手助けになればと気合いを入れる。
「あ、あといつも来てくれてたパートの斎藤さんなんだけど、新店の方が近いからって向こうの専属になるみたいよ」
追加で送られて来たというメールを確認した後、柚葉が困り顔で告げる。他の店舗とをシフトの補充という形で派遣されて入っていたパートスタッフが、社員登用されて新しい店の常駐になることが決まったらしい。新店からすれば商品の扱いに慣れている即戦力だからありがたい存在だろうけれど、この店からするとスタッフ人数が減って今後のシフトが回せなくなる可能性が出てくるということ。
「ああ、大丈夫。もう募集はかけてて、その内に新しい人を入れてくれるみたいだから」
「ならいいですけど……」
柚葉がいない時は自分にシワ寄せが来るのが分かっているから、弥生は必死だ。しかも今さっき穂香が当面の平日はヘルプに行くことが決まったばかり。この店もしばらくはバタバタと慌ただしい日が続きそうだ。
新しいショッピングモールへの初出勤。その日に限って川岸は午前中は商談があるとかで一緒に通勤は叶わなかった。前夜もやっぱり帰宅が遅く、朝少し顔を合わせることができただけだ。最後にゆっくり会話できたのはいつだったけ……
駅前のバス乗り場で手持ち無沙汰にスマホを片手にネットニュースを流し見ていると、見知った顔に声を掛けられた。
「お疲れ様です。田村さんもヘルプで?」
「あ、お疲れ様です。本店からは戸塚さんなんですか? え、店は大丈夫……?」
「あはは。私、今は社員じゃないんですよ。育休明けからはパート勤務なの。だから、ここのヘルプも十五時で上がらせて貰うことになってる」
「そうなんですね……復帰されてすぐ社員に戻られたのかと思ってました」
「それがね、保育園のお迎えがフルだと間に合わないんだよねぇ」
元は先代社長が洋品店を営んでいた商店街の中にある本店。そこで店長をしていた戸塚絢美はカラカラと明るく笑っている。元店長の彼女がヘルプなんてと穂香は驚いたけれど、今は時短勤務になっているのまでは知らなかった。
バス停前でしばらく近況などを話していると、ショッピングモール前行きのバスが到着する。オープンはまだだけどモールの建物の前には真新しいバス停が設置されていて、買い物客やここで働く従業員が利用できるようになっていた。まだオープン前だから乗っていたのは全て関係者ばかり。周囲に倣って建物をぐるっと回り込み、従業員出入り口から中へと入っていく。