あまりにもずるいきみの話
4話 未遂
「百花お待たせー。購買付き合ってくれてありがと!」
お昼休み、売店の人混みから抜け出した苑がぽんっと私の肩を叩いた。
「ううん。じゃあ教室戻ろ」
ぱっと笑って見せて、二人並んで廊下を歩く。
お昼休みの学校は、みんなの話し声と笑い声で少し騒がしい。
廊下でたむろしてる男子グループに、談話スペースでお弁当を広げている女子たち。
……変な人なんて、いないよね?
「百花?」
「……え?あ、なに?」
「なんかあった?最近ピリピリしてるっていうか……」
「してないしてない。気のせいだよ──」
あはは、なんて笑って誤魔化そうとした時、後ろからバタバタとこっちに向かって走ってくる音がした。
ハッとして後ろを振り返ると、売店の袋を持った男子が私たちの横を通り過ぎるところだった。
「……ねぇ、まじで何かあったでしょ。話聞くよ?」
ほっと息を吐いたところで苑がそう言ってくれて。
申し訳ないなっていう気持ちと安心感がごちゃ混ぜになって、きっと私、変な顔をしてたと思う。
「──はぁ?ストーカー!?」
「ちょっと声大きい!」
大きな声を出す苑にしーっと指を立てる。
中庭のベンチには私たち以外誰もいないけど、万が一誰かに聞かれたら大事になっちゃうでしょっ。
「最初はDMで一方的にメッセージが送られるだけだったんだけど……最近外でも誰かに見られてるような気がして」
「ブロックしても違うアカウントでメッセージ送ってくるんでしょ?タチ悪いし気持ち悪い」
「しかも見てよ、これ」
《いつまでも同じ男ばっか見るなよ。俺が彼氏になってあげる》
「一春のこと言ってるよね?だから私、学校の人なのかなって思って」
私の片想いは学校中の人が知っているし。
「あー……だからチラチラ周り見てたんだ」
「言いたいことあれば直接言えばいいのに。コソコソしてる感じが腹立つの。見つけ出して文句言ってやろうかと」
「いやいや強がんなって。ビビってたくせに」
「そ、そんなことないもん」
でもまさかこんなことが起こるなんて。
私が可愛いすぎるせいか。可愛いって罪なのね……。
はぁ、とため息を吐く。
「見られてる気がするってだけだし、あんまり大事にもしたくないし。どうしようかなって思ってたんだよね」
「気持ちはわかるけどさすがに心配するわ……加瀬とかボディガードしてくれないのかな」
「なんでそこで一春が出てくるの」
「あんたたち最寄駅同じじゃん。送り迎えしてもらうのにちょうどよくない?」
えーっと苑を見る。
一春のことは巻き込みたくないんだけどな……相手は一春のことも知ってるみたいだし、危ないよ。
「いいよ。ただの嫌がらせだと思う」
「えぇっ、でも、」
「大丈夫!ありがとね、話聞いてくれて」
ちょうど予鈴が鳴って、この話はこれで終わりになった。
*
放課後の靴箱で、はーと息を吐く。
一日しっかり周りを観察してみたけど、学校の中では誰かに見られてる感じはしなかった。
やっぱり外を歩いてる時なんだよね、視線を感じるのって。学外の人?わからないな。
気のせいだと思いたいけど……。
さっきからロッカーのローファーに手をかけたまま動けないでいる。
やっぱり一人で歩くのは緊張するっていうか。覚悟が必要っていうか。
苑の部活が終わるまで待ってようかな?
いやいや、心配かけたくないし……。
うん。やっぱり一人で帰ろう。走ればなんとかなるはず。
「なに一人で帰ろうとしてるの」
ぐっと力を込めてローファーを手にした時、聞き慣れた声がした。
振り返れば一春がいるから、思わず目を見開く。
「えっ、なんでいる……っていうかなんで怒ってるの」
少し眉が寄ってる。いつも穏やかな顔してるのに、今はなんだか怒ってるみたい。
「呆れてるんだよ。百花の危機感のなさに」
「な、なにそれ」
「木島から色々聞いた。もう、なんで一人で帰ろうとするかな……」
「え」
コツ、とドアをノックするように私の頭を軽く叩く一春。
……苑、こっそり一春に伝えてくれたんだ。あとでお礼のメッセージ送らないとな……。
「うん……ごめんなさい。一緒に帰ってくれる?」
思っていたよりも小さな声に、一人で帰るのが怖かったんだなと今更気づく。
「ん。帰ろ」
仕方ないなと笑ってくれて、今度は優しく頭を撫でてくれて。その大きな手のひらにじんわり心の奥が暖かくなっていく。
好きパワーもあるんだろうけど、一春の安心感、改めてすごい。
「──で?送られたメッセージってどんなやつ」
「えっと、こういうのなんだけど……一春のことも知ってそうな感じなんだよね」
赤信号中の横断歩道の前で、スマホの画面を見せた。一日に何十件ときていたメッセージを見て、どんな反応するんだろう。
怖かったねって慰めてくれるかな。さっきみたいになんでもっと早く言わなかったって怒られるかな。
そっと隣にいる一春を見上げる。
「……」
冷たくて暗い瞳。
その無機質な表情に、思わず息を飲んだ。
「……ん、なに?」
「っあ、いや、怒ってくれてるなーって……」
「そうだね。想像以上に不愉快、かな」
冷たいトーンに私まで震えてしまいそうになる。
こんなに怒っている……ていうか、不機嫌そうな一春を見たのは初めてだ。
感情的になることなんて滅多にないから。
いつも笑ってて穏やかでみんなの話を聞いてて……。私なんて一日に嬉しい気持ちになったり落ち込んだり、イライラしたりするのに。
一春はいつも、頬杖をついて目を伏せて笑ってる。
……でもそれって、自分の感情をセーブしてるってことなんじゃないのかな。
「あ。腕、組む?」
「えっ?」
ぱちぱち、瞬きを繰り返す。一春は自分の左腕を見ていた。えっと、腕を組むって、私と一春が?
「百花がよければ手繋ぐでもいいけど」
「ちょっ、ちょっと待って!さっきからなに?」
「なにって、木島に頼まれたから」
「なにを!?」
「恋人役」
「……は?」
ぱか、と口を開ける。
っそ、そ、苑〜〜〜〜っ……!!?
ボディガードって話じゃなかった!?なに盛ってるのよっ、ばかっ。
「俺らが付き合ってるって思わせた方が相手も諦めがつくんじゃないかって言ってたけど」
「いやあのっ、嬉しいんだけど、私はただ一緒に帰ってもらうだけで十分っていうか!もちろん繋げるなら手は繋ぎたいけど心の準備が……!」
一春も一春だよっ。
恋人になるのは断るくせに"恋人役"ならいいってどういうことっ。
パニックになる私とは正反対に、一春は落ち着いている。そんな彼が不意に後ろを確認したかと思えば、スッと目つきが変わった。
「一春?どうしたの……」
「別に。行こう」
「あっ、待ってよ」
青になった信号。横断歩道を渡る一春の後を慌てて追いかける。横になって歩いていたら、不意に一春の指が私のに触れた。
びっくりして僅かに手を引っ込めたら、
「……っ!」
する、と追いかけるように指を絡めてくるから、じわじわと顔が熱くなってくる。私、今、一春と手を繋いでる?
ここまでする必要があるのかなとか思うけど、私の心は素直で。嬉しいって心臓が跳ねてる。恥ずかしい。
一春はなにを考えているのかな。こんなことになるんだったら、もっとハンドケアちゃんとしておくんだった。
私の心臓の音、繋がってる手を通して一春に聞こえてしまってたらどうしよう。
「わっ、!?」
なんて、メルヘンなことを考えていた時、ぐいっと体が引っ張られた。
……連れ込まれた先が路地裏だったことは、後から知った。
「っい、いちはる、」
柔軟剤の香りと、シャツ越しに伝わってくる肌の温度。
ぎゅぅっと抱きしめてくる一春に、ドッ、ドッ、と、痛いくらいに心臓が鳴る。
頭の中が真っ白になる中で聞こえたのは、一春の小さな笑い声。
「心臓の音すごいね」
ほんの少しの意地悪が含まれた言い方に、ぶわっと全身の血が沸騰しそうになる。
ドキドキしすぎて、このまま心臓が止まってしまうんじゃないかって馬鹿なことを考えた。
「もうちょっと頑張れる?」
「っへ、」
くいっと腰を抱き寄せてくる一春に、思わず顔をあげる。頬に手のひらを添えて、じっと私のことを見つめて、まるでキスする前、みたいな……。
「目、瞑ってていいよ」
「えっ……!?ちょ、ま、いちはるっ、」
私、本当にキスされちゃうの?