あまりにもずるいきみの話
5話 感情
路地裏に一春と二人きり。
いまだに私は抱きしめられたまま。
「〜〜っ」
ゆっくりと近づいてくる一春の綺麗な顔に耐えられなくて、ついにぎゅっと瞼を閉じる。
真っ暗闇の中で自問自答。
こ、このままじゃ本当にキスされることになるんじゃ……?ていうかどうしてこんなことに……!?
別に一春とキスすることが嫌なわけじゃないけどっ、でも私たち、付き合ってもないのにっ。
〜〜っやっぱり、こういうことは恋人同士になってからがいい……!
パッと瞼を開いたら、あと数センチで唇が触れるギリギリの距離で一春は止まってた。
角度によっては私たちが本当にキスをしているように見えるくらいで。
想像以上に近い距離にドギマギしながら、一春の名前を呼ぶ。
「……?」
返事がない。ていうか、私越しになにか見てる?
「……あいつか。」
ぽつり呟かれた声はひどく冷たい。
その視線も鋭く尖っている。一春のもう一つの顔。
「ここで待ってて」
「えっ」
密着してた体が離れて、少しずつ熱を帯びた体が冷めていく。頭も段々クリアになってきた。
"あいつか"って、言ってた。
もしかして、ストーカー人間……!?
慌てて一春の後を追った。
捕まえる気だとしたら危ないっ。どんな人なのかもわからないのに。
でもそっか、さっきのハグも未遂のキスも、犯人を誘い出すためだったんだ……まんまとドキドキさせられて恥ずかしい。
「一春!」
人通りの少ない路地に一春はいた。
他校の制服を着たストーカーらしき男子に、えっと、壁ドンをしている……?
え、え、なんで。
なにか話してるみたいだけど、ここからじゃよく聞こえない。でも、ストーカー男は顔面蒼白で。一春のことを怖がっていることはすぐにわかった。
「──」
逃げるように走り去っていくストーカー男。
その背中から私へと視線を移した一春の、あの影を帯びた黒い瞳。
"次視界に入ったら、骨折るよ"
微かに聞こえた言葉は、とてもじゃないけど一春らしくなくて。……らしくないのに、惹かれてしまうの。
*
「百花……まじでごめんね……」
「そんなに謝らないでよ、苑が悪いわけじゃないんだから」
ストーカー男の正体は、なんと対バンで知り合った奴だったらしい。一春があの時ストーカー男の写真も撮ってたみたいで、それを見た苑が目を丸くしてた。
「何回か一緒にライブしててSNSもその時に繋がったんだよね……私たまに百花との写真も載せるから、それ見てあんなことしたんだと思う……」
教室でズーンと落ち込んでいる苑。
「あいつが悪さしないようにバンド仲間みんなで見張っとくね。……怖い思いさせてごめんね」
こんなに落ち込むのも珍しいな。苑はいつもさっぱりしてて、過ぎたことはしょうがないって思うタイプなのに。
なんだかんだ言って私のことが好きなんだよね、苑は。
「ま、私が可愛すぎるのがいけなかったんだよ。それに一春もそばにいてくれたし……一春に伝えてくれてありがとね」
「あは……可愛いは余計だよ」
よかった。やっと笑ってくれた。
「……あ、でも私、"あの噂"に関しては悪いと思ってないからね?」
こそっと耳打ちしてくる苑。あの噂っていうのは、私と一春が付き合っている、というもの。
路地裏で抱きしめられて、キス(してるフリ)をしているところを、何人かの生徒も見ていたようで。
ストーカー事件が落ち着いたかと思えば、今度はこの噂で私の周りはそわそわしている。
「まぁ、それは私も棚からぼたもちって感じだけど」
みんな、嬉しい勘違いをしてくれてありがとう。否定はしないよ。だってもったいないし。
私は、噂を噂で終わらせなければいいだけ。ただ……。
チラッと後ろの席を見る。いつものようにクラスメイトに囲まれている一春。
「えー?まじで柊さんと付き合ってねぇの?」
「ないよ。みんなの勘違い」
いつものゆったりした受け答えをする一春に、一人でむっとする。
私とちがって一春はこんな感じ。焦る素振りも見せないから、それじゃあ本当に勘違いだと思われちゃうじゃんっ。
こういうのも腹が立つ。申し訳ないけど、私はこのチャンス逃すつもりはないんだからね。
「百花は友達だよ」
「……」
プツン、と糸が切れたような音がした。
……なにが友達、よ。
ガタッと勢いよく立ち上がる私に、クラスメイトの視線が集まる。
「ちょっと顔貸して」
一春にそう言って私は教室を出た。階段をのぼって、屋上へと続く扉を開ける。
一春を振り返った時、授業の始まりを知らせるチャイムが鳴った。
「授業サボっていいの」
「いい。一春に聞きたいことがある」
「なに」
「友達って、嘘でしょ。本当にそう思ってるの」
「……思ってるよ」
ぎゅ、と手のひらを握りしめる。
『他の男見る余裕あんの?』
『百花のことどこかに閉じ込めるかもね』
『想像以上に不愉快、かな』
あの時の言葉、一春の視線、声のトーン。どれも全部、本気だった。あんな強烈なもの一方的に浴びせておいて、"友達"だなんて。
「笑わせないで」
言い捨てると同時に一歩踏み込んでいた。
バンッと、一春の肩の横へ自分の手のひらを叩きつける。扉と私に挟まれた一春の表情は変わらない。
「もし私が他の男とキスするようなことがあったら、一春、黙ってないでしょう」
「……どうかな」
「自分の顔、鏡で見てから言いなよ」
隠しきれてないよ。想像の話だけで、独占欲が滲み出ちゃってるんだよ。
「私のことが大好きなんでしょ。いい加減に素直になってよ」
私のことを見下ろす一春の瞳が、少しずつさらに暗くなっていく。
「優しくないよ、俺」
「わかってる」
「……泣かせるって言ってんの」
「だから、わかってる」
はー……と、ため息が降ってきた。
「わかってないよ」
「っ!」
ぐい、と強い力で押し返され、今度は私が扉に背中をぶつける。至近距離で見下ろしてくる一春は、いつかの時と同じように無機質だった。
「不愉快なんだよ」
低く押し殺した声に、ぴく、と肩が揺れる。
「俺じゃない誰かが百花に近づこうとするのが。排除できるんなら、たぶん俺はなんだってする」
「……」
「この前のもそう。抱きしめてキスして、おまえの入る余地なんてないよって見せつけて、百花に対する気持ち、粉々にしたかった」
静かで冷たい表情のまま、一春はさらに続ける。
「初めてじゃないよ。
……前にも似たようなことした。ね、俺ってそういう奴なんだよ」
目が合う。
深い影を落としたような瞳が、私だけに向けられている。
「優しくないでしょ」
一春のもう一つの顔。
柔らかくもないし、穏やかでもない。でも……
「それでもいいよ」
「……この小さい体で全部受け止められんの?」
その瞳を真っ直ぐに見上げた。
「受け止めるって言ってんの」
嬉しいんだよ、私。
いつも穏やかな一春が、感情的になっているのを見せてくれるのが。
感情をセーブしてる一春が崩れるのは、私に関わる時だけなんだって思うのが。
ぐい、と一春のネクタイを引っ張る。
「だからもっと見せてよ。
優しくなくていいし、重くていいから」
「……」
「一春のことが好き。私と恋人になって」
じ、と私のことを見つめる一春。
「もう無理って言われても、手放してやれないよ」
望むところだよ。
