父性本能を刺激したようで最上級の愛で院長に守られています
「そこは、ただいまだ。二人でこの家に住んでバレットを一緒に育てるんだよ」

 眉間に寄ったしわを吹き飛ばす笑い声にからかわれたことに気が付いた。

「酷い、悲しかった。奥歯を噛んでたのは拒否反応じゃなくて必死に笑いをこらえていたんですね、最悪!」

「いつもの伊乃里に戻ってきた、しおらしくされるとテンポが狂う。立ち話もなんだからソファーに座れよ」

 立っているのも忘れるほど、あなたに夢中よ。
 
 ベージュのシンプルな三人掛けのソファーに座った。
「傷が癒えたんですね」

「両親は多忙で今も海外暮らしだ、ひとりっ子の俺の弟分がバレットだった。子どものときからずっと一緒だった」

 海外に飛び回るご両親の代わりに戸根院長を育ててくれたのは、おじい様とおばあ様だったそう。
 獣医師になってから相次いで旅立たれたそう。

 スーツの上着を脱いでネクタイを緩めながら、キッチンに向かった戸根院長が缶ビールを二本持って来た。

「ほら、どんちゃん騒ぎの外科さんよ、どうぞ」
 真面目な話をしているというのに、まったく。
 
「おつらかったですよね」
 プルタブを引きプシュっと美味しそうな音を立てた戸根院長が喉を鳴らしながらゴクゴク呑んでいる。

「ペットロスに陥った。仕事中は集中出来たけれどプライベートは散らかり放題、廃人同然腑抜け状態だった」

 きれい好きの戸根院長が信じられない。

「家族を亡くした飼い主の気持ちが痛いほど分かる。獣医師は泣くなと教育を受けたよな、でもたまにもらい泣きしそうになる」
 
「ダメだなぁ、未熟者だよな」なんて苦笑いを浮かべるけれど、寄り添って一緒に泣いてくれる獣医師のことを嬉しく思う飼い主もいると思う。
 
「気持ちを消化出来ていると言い聞かせているだけなのかもな。実は今でもつらくて突然哀しみに襲われる」

「戸根院長、優しくて繊細だから」
 脳神経外科らしい細やかな性格だから引きずってしまうのかな、つらいでしょう。

「伊乃里のつらさに比べたら俺のつらさなんかつらさのうちに入らない」

「バカ言わないでください、つらさにレベルなんかありません。つらいのは戸根院長も比べものにならないほどつらいんですよ」

「ありがとう」

「つらいときはつらいって言ってください、私がついています。一緒に哀しみ、一緒に慰め合えるのが私たちです」

「伊乃里も言えよ、俺がいる」
「私に怖いものはないです、つらさも飛びました。戸根院長のおかげです」

「呑めよ、こんな話されたら呑みづらかったよな」
「こんな話なんて思っていません。遠慮なくいただきます」 

 ぎゃぁぁぁぁ!! 
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