プレイボール

4章

夜の9時
僕はいつも通りスマホを寮母室で受け取る。
と言っても僕がスマホを使う理由のほとんどはひよりとのやり取りだ。
いつも通りたわいのない会話をメールでやり取りする。
本当は電話もしたいのだが、そうはいかない。

万が一会話が漏れて半田さん以外に僕とひよりが繋がっていることがバレたらスマホすら取り上げられるだろう。
僕の両親はひよりを家族と認めない。僕の妹なのに。
存在しないかのように扱われているのだ。
少し身体が弱いと言うだけで。
ひよりは僕が8歳の時に生まれた。
それまで兄弟のいなかった僕は妹ができるのが嬉しかった。両親共に忙しかったのもあり、遊び相手が欲しかったのかもしれない。
だけど生まれてすぐ妹は僕と会うことなく医師に取り上げられ、その後大きい病院に搬送された。

母親はしばらく見舞いに病院に行っていたが、10歳未満の子供だった僕は病院の決まりで面会が許されなかった。
そのうち、母親も見舞いに行かなくなった。
思い返せばその頃から母の様子がおかしくなったと思う。
両親共に仕事で家を空けることが多くなり、家のことは全て半田さんが仕切っていた。
半田さんは僕が遠足の日にお弁当を作ってくれ、母親の代わりに妹のために病院に行った。

とうとう、両親共に仕事で海外に行くことが決まった時、僕たちを連れていこうとは言わなかった。
置いてかれるのが怖くて、僕は泣き喚いた。
でも、母親は半田さんに全て任せているから。と。
父親は僕に自由に使えるクレジットカードを渡して、それだけだった。

僕が10歳になったとき、半田さんを説得してひよりの病院に連れて行ってもらった。
大学病院の小児科 泣き喚いている子も、包帯している子も、色々な子供がいた。
だけど、まだまだ小さいベットに寝かされていたひよりは泣いていなかった。
と言うより、もう泣く事すらやめてしまったような表情だった。
まだ言葉を喋ることもできない様子だ。

その日から僕は学校帰りに毎日見舞いに行った。
次第に言葉を発するようになり、僕のことをお兄いと言った。
愛おしいかった。初めてお兄いと呼んだ時は本当に嬉しくて僕は看護師さん達に自慢をしたくらいだ。

僕が11歳の時、妹の退院が決まった。
妹にとっては病院以外を知るのはこれが初めてになる。
初めての外の世界だ。
僕は嬉しくて嬉しくて、退院の日、妹が帰ってくる前に、家の中を綺麗にした。
その日ばかりは両親も家にいた。
僕は久しぶりに家族と過ごせるのが嬉しくて妹が帰ってくるのが待ち遠しかった。
半田さんが車で妹を迎えに行って、僕は家の中で両親と待っていた。

ガチャッ 玄関の扉が開く。
僕は急いで半田さんが抱いているひよりの方へ駆けって「お帰り」と一言を言う。
ひよりはニコニコ笑っている。

だけど、両親はひよりをみても何も言わない。
僕は一生懸命ひよりをあやして、両親の仲を取り持とうとする。

そんな毎日が続いたある日、母がヒステリックを起こすようになった。
泣いているひよりに対して「うるさい」とすごい怒鳴ったり、
ときにはものを投げたりもした。
僕はそのたびに、ひよりに被害が行かないよう、毛布でひよりを包んでまもり、
母親には怯えながらも抱きしめて落ち着かせようとした。

ある日曜日、母親がいつものようにヒステリックを起こした。
だけど、その日はいつも以上にひどくて、キッチンのものを全て投げ倒し、
ひよりの服やものを手あたり次第ゴミ箱に入れた。

そしてすごい剣幕で僕に言った。
「一郎、もうひよりにかかわらないで。」
そう言って、怖がりながらなんとか僕が抱きしめていたひよりを僕の腕から無理矢理取り上げた。
母親は泣いているひよりにお構いなしに、ひよりを抱えて地下室へ降りていく。
僕は必死についていく。

地下室にはゲスト用のミニキッチンやベットがあるが、普段は使わない。
僕ももう何ヶ月も地下室には行っていない。

追いかけた地下室の先には、ベットがあった。
だけど、僕の知っている前からあった地下室のベットではない。
転倒防止なのか柵のあるベット。病院の見舞いに行っていたときにはよく見た機械もある。

母親はひよりをそのベットに寝かせると僕に言った。
「いい、もう二度と地下室へ入らないで
ここに入っていいのは半田さんだけ。言いつけを守らなかったら承知しないから。」
すごい剣幕でそれも、いつもより酷いヒステリックを起こしてた母親が僕に言う。

そして僕を無理矢理上のリビングへ連れ戻すと同時に地下室の入り口に鍵を掛けた。
僕だって泣いていたと思う。
だけどいつもより狼狽した母親を前に反論することができなかった。

それから僕はひよりの様子は半田さんを通して知ることになった。
それも母親に気づかれないように。

しばらくして母親はまた仕事に行くようになった。
父親は、もう随分帰ってきていない。
僕がクレジットカードで何を買っても文句を言ってこない。

薄々気づいてはいた。
僕の家はそれなりに裕福なんだと思う。
地下室のあるような家に住んでいること、半田さんを雇えること、自由に使えるクレジットカードが子どもに与えられていることなど、
周りに比べたらある程度はお金があるんだなと感じたのもこの頃だ。

ひよりが寂しくないように差し入れをいっぱい買った。
ぬいぐるみやおもちゃなど、半田さんを通してあげていた。
決して地下に入れないその扉。
一度だけ母が仕事に行っているときに入ろうとしたことがある。
ドアに手をかけると、すごい警報音がして止められた。
監視カメラに防犯用の通知システムまで搭載しているドア。
その後、こっぴどく怒られた。本当にずっと監視しているみたいだった。

それから僕はこの家が好きではなくなった。
母親は僕がひよりに構う暇がないように、勝手に色々な習い事をさせた。
野球、塾、水泳、体操、そろばんに英会話。
毎日帰宅時間は夜遅いし、クタクタだった。

そんな中でも半田さんは変わらず僕にこっそりひよりの様子を教えてくれた。
随分喋れるようになったみたいだ。
ある日、半田さんからひよりは暇なことも多いと聞いたので僕は父親のクレジットカードでTVを買って、与えた。
大きいものは半田さんが地下室に入れる時に母親に扉の前の監視カメラでバレてしまうので、小さいものだ。
小さいTV。それでもひよりは大喜びだったようだ。

TVのおかげかひよりは絵を描いて渡してくれることもあった。
僕もひよりに手紙を書いた。
すぐ近くにいるのに決して近寄れないドア。
そのドアの向こうを想像して僕達は何枚も何枚を手紙のやり取りをした。

ひよりはまだひらがなでさえ、上手に読めないから、主に絵でのやり取りだ。
僕はいつも学校や、習い事、外の様子を絵にして書いていた。対してひよりよくTVの様子を絵にして書いてくれる。
ある日、僕は習い事の野球で初めてホームランを打った。
少年野球なので、ホームランといってもドームを超えるものではなく、ただのランニングホームランと変わらない。
それでも、初めてのホームラン。ダイヤモンドを1周走るのは爽快でとても気持ちよかた。

僕は嬉しくてそれを絵に書いてひよりに渡した。
次の日、ひよりはいつもより大きな紙に野球の絵を描いて僕に返事をくれた。
それは僕が特大ホームランを打っている絵、そしてマウンドに立って、バッターを3振をとっている絵だった。
クレヨンで色まで塗ってある。
それから毎日毎日ひよりは僕の絵を、僕が野球をしている絵を送ってくるようになった。

僕が半田さんにひよりの様子を聞くと、どうやらひよりは毎日TVで夏の甲子園を観ていると言っていた。
当時の僕は家が嫌いで、毎日の様々習い事に辟易していた。
それでいて、ようやく野球でホームランを打てたのもあった。そしてひよりからの手紙。

それから僕の夢が決まった。
甲子園で注目を浴びること。
マウンドに立って、3振を連発する、バッターボックスに立ってホームランを打ちまくる。
それ以上に僕は注目を浴びたい。そしたらメディアがいっぱい僕をTV映してくれるだろう。
ひよりにプレゼントしたい。そう思った。

お互い会うことが許されない。だけどTVを通してなら。。
11歳の僕はそう考えずにはいられなかった。

なんとか両親を説得して、小学校5年生の冬、僕は少年野球を辞めて公式のリトルリーグへ入ることにした。
説得といっても、母親も父親も対して反対しなかった。
だから僕は両親に本当の理由を話していない。

リトルリーグはそれまでの少年野球とは全然違った。
ボールは軟式から硬式になるし、スパイクも少年野球時代より尖ったものになった。
当然練習もキツくなって、ほかの習い事を全部やめた。

小学生から中学生に上がると同時に、リトルリーグを卒業してシニアリーグとなる。
小学校6年生の時、僕はチームメイトがグラウンドに集まる前から先にグラウンドに入り、走り込み、素振りをしていた。
チームメイトの他の皆んなより、リトルリーグに入るのが遅かったこともあり、僕は少し焦っていた。
少年野球では通用していたバッティングでも、リトルリーグでは目立たない。
高校生になるまでに通用させなければならないと焦った僕は、周りの人より余計に練習をすることにした。

ある日、早朝僕がいつものように走り込みをしていると、あるユニフォーム姿の男性が僕をじっと見ていた。
よく見るとそのユニフォームはシニアのものだ。神奈川ファイターズ特有の縦シマのユニフォームだから間違いない。
だけど、その男性は僕に話しかけることなく、他のみんなが来たらどこかへ行ってしまった。

そんな日が1月以上続いた。
リトルリーグ最後の大会、僕はようやく成果を出せるようになってきた。
ピッチャーとしてはまだまだ中継ぎしか任せてもらえないが、それでもピッチャーというポジションを与えられるようになった。
バッティングだって、上位打線には入れないけれど、6番辺りを任せてもらえるようになった。

神奈川ファイターズのリトルも強くて有名だ。当然最後の大会でも勝ち進む。
準決勝ともなるとリトルリーグでも観客が増えてきた。
といっても近所の人やどこかのシニアの監督とかで、TV取材はない。
せいぜい、売れないスポーツ新聞記者がポツポツといるくらいだろう。

この日の僕は調子が良かった。4回裏、僕はいつも通り中継ぎピッチャーとしてマウンドを任された。
僕の目標は3振をたくさんとって注目を浴びることだった。僕の決め球は豪速球のストレート。
それなのにキャッチャーは初級からカーブを要求してくる。
僕はイライラしながらカーブを投げる“ファール“審判がそうジャッジする。
次にキャッチャーはチェンジアップで外角低めを要求してくる。
調子の良い僕はど真ん中ストレートで3振を取りたいのだ。
2球目もファール。追い込んだ。
次こそ決め球のストレートだと思った。

それなのに、キャッチャーは僕にもう1球チェンジアップを要求する。それもストライクゾーンを外すように。
これには僕もカッとなった。僕は首を横に振った。
それでもキャッチャーの要求は変わらない。
タイムすら取ってくれないキャッチャーにイライラした僕は遂にキャッチャーのサインを無視してストレートを放った。
今日の僕は調子が良かったので自信があった。
小学生にしては早いストレートだ。狙い通りど真ん中。
結果は、、“ストライーック アウトっ“
審判がそう叫ぶ。3振だ。

僕はガッツポーズをする。
心の中でほらみろ、僕のストレートは最強だ。そんな風にさえ思った。

1アウト バッターは4番だった。
もちろん次も全てストレート。

サインを無視したらからだろう。キャッチャーが怒っている。
そして相変わらず僕にチェンジアップを要求する。
そんなものは構わず僕はストレートを投げた。

“カーン“
白球が僕の頭上を遥か超えて飛んでいく。2ベースヒットだった。

悔しかった僕は次は絶対打たれまいと力を込めてまた投げる。
“カーン“
次はセンター前ヒット。

ここからの僕はあまり覚えていない。
狂ったようにストレートを投げて、ことごとく打たれた。

気づいたら6点も失って3つのアウトも取れずに交代だった。
頭が真っ白だった。
僕たちのリトルリーグ最後の大会は準決勝であっけなく敗退した。

誰も僕を責める人はいなかった。
誰も僕を慰める人もいなかった。

当然だと思う。僕のせいで負けたんだから。
チームメイトが帰った後も僕は1人ベンチに座っていた。
ずっとベンチからマウンドを見ていたら、隣によく見るおじさんがやってきた。
朝の練習で無言で去っていくおじさんだ。

彼は僕の隣に座って独り言のように語ってきた。
「悔しいよな。自分の最高の球が通用しなかったんだから。
チームで1番早い球投げるもんな。朝練だった欠かさなかったし、今日は調子も良かったもんな。
決め球が通用しなくなったらどうしたらいいかわかんなくなるよな。」

おじさんはタバコを蒸す。
隣で僕はようやく涙が出た。
悔しくて、悔しくて唇を噛んだ。

「なあ、なんで打たれと思う?」
おじさんが唐突に聞く。

「わかりません。僕が弱かったんです。力が、練習が足りませんでした。」
鼻を啜りながら答えたのに返事はなかった。

代わりにもう一つ質問された。
「なあ、なぜストレートにこだわる? なぜ朝練をする? なぜキャッチャーのサインを無視した?」

いきなり質問攻めにあったが今度は僕が答えられない。
代わりに大声で泣いた。
さっきよりも激しく。

プレイボール。これが僕と佐々木監督との最初の出合いだった。






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