大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)

【異邦人】

時は、4月1日の朝10時頃であった。

A班のメンバーたちが乗っている専用機がインド・デリーのインディラガンディー国際空港に到着した。

専用機を降りたメンバーたちは、特大バスに乗ってデリーの中心地へ向かった。

午後1時頃、特大バスがコノートプレイス付近ジャンパースレーンにあるザ・インペリアルニューデリー(五ツ星ホテル)に到着した。

宿泊の手続きを終えたあと、メンバーたちは各部屋に移動した。

部屋に入ったあとは、あしたに備えるために早めにとこについた。

時は、4月2日の朝9時頃であった。

ところ変わって、インド本社のオフィスビルの中にある私の個室にて…

(ジーッ、パチパチ…)

私は、オフィスビル内にある個室でソロバンを使って帳簿に記載されている金額を計算して間違いがないかどうかをチェックしていた。

インド本社には4月8日まで滞在する予定である。

その後は、アーンドラ、プラデーシュ・チャッテ、イースガル・ハリヤーナ、オリッサの4州にある特大豪邸・特大倉庫のお手入れなどのお仕事の予定である。

時は、夕方4時半頃であった。

私は、帳簿の整理が一区切りついたので休憩をしていた。

窓には、夕暮れ時のデリーの中心部の風景が写っていた。

私は、デロンギのコーヒーメーカーの容器に入っているコーヒーを白の(スタバで買った)トールサイズのマグカップに注いだ。

(ピッ、カチャ…)

コーヒーをいれたあと、私はデスクの上に置いてるリモコンを手に取った。

リモコンを使って、ネットジューク(ソニーオーディオ)の電源をいれた。

(ピッ、ピッ…)

つづいて、ハードディスクモードにセットしたあとダウンロードされている曲を選んだ。

その後、一曲リピートにセットしたあと再生ボタンを押した。

一曲リピートにセットした歌は、久保田早紀さんの歌で『異邦人』である。

私は、夕暮れに染まるデリーの街並みをながめながらいろんなことを考えた。

人生設計のこと…

仕事のこと…

他にも…

いろんなことを考えた。

夕方5時50分頃であった。

私はネットジュークの電源を切ったあと、のみかけのコーヒーをのみほした。

(ジーッ、パチパチ…)

その後、私は帳簿の計算を再開した。

4月14日にインド滞在が終了した。

A班のメンバーたち17人は、専用機に乗って再び旅に出た。

専用機は、コルカタのスバス・チャンドラ・ボーズ国際空港を出発したあとバンコク経由でインドネシアに向かった。

4月15日午後3時頃であった。

A班のメンバーたちが乗っている専用機がジャカルタ・スカルノハッタ国際空港に到着した。

専用機を降りたメンバーたちは、空港ターミナル内にあるホテルへ向かった。

この日は、明日に備えて早寝した。

4月16日と17日は、インドネシア本社でお仕事をする予定である。

4月16日朝9時半頃であった。

ところ変わって、スカルノハッタ国際空港から700メートル先にあるインドネシア本社のオフィスビルにて…

この日は、ダイキン工業の現地法人の駐在員さん人たちと一緒に感染防止対策に必要な空調設備の点検・修繕などを1日かけて行った。

17日は、オフィスビルの窓ふき清掃をした。

18日から21日までの間は、南スマトラ・西カリマンタン・中部ジャワ・パプアの各州へ外回りの仕事に出た。

4月23日は、シンガポール国際本社でひらかれる会議に出席した。

24日から26日の間は、マレーシアのジョホール・ケダ・ペラの各州へ外回りの仕事に出た。

4月27日にインドネシア本社方面のお仕事が終了した。

イワマツグループのA班のメンバーたち17人は、専用機に乗って再び旅に出た。

4月29日からは、カナダ方面でお仕事をする予定である。

(ピーッ!!ゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトン…)

時は、4月29日のお昼ごろであった。

イワマツグループのA班のメンバーたち17人は、カナディアン号(大陸横断特急)に乗って旅に出た。

4月30日は、ジャスパーで商談のお仕事の予定が入っていた。

私たちは、移動中の列車の中で商談の資料を作るお仕事に取り組んだ。

4月30日の朝6時頃であった。

一息ついた私は、車窓の風景をのんびりとながめた。

窓の外からは、標高3954メートルのマウントロブソンが朝日に染まっている姿が見えた。

気がついたら、私は一晩中商談の資料を作るお仕事をしていた…

車窓の風景は、マウント・ロブソンからムース湖の風景に変わった。

バンクーバーからトロントまでの鉄道の営業キロは4446キロ…

世界では、シベリア鉄道に続いて2番目に長い営業キロである。

東京~博多間を新幹線で4往復分の営業キロであった。

所用日数は、バンクーバーからジャスパーまでのあいだが1泊2日…

バンクーバーからトロントまでのあいだが4泊5日…

…と言う所要日数であった。

ちなみに、シベリア鉄道でウラジオストクからモスクワまでのあいだの7~8日と最も長い所用日数である。

カナディアン号は、シベリア鉄道についで2番目に長い所用日数であった。

4月30日の夕方4時頃に、列車がジャスパーの駅に到着した。

列車を降りたA班のメンバーたちは、駅の近くにあるホテルへ向かった。

ホテルに到着した後、フロントで宿泊の手続きを取った。

その後、各自の部屋へ移動した。

夕方6時頃に、カルガリーからお越しになられた宝石商の主人と一緒にホテルのカフェテリアでお会いした。

ダイヤモンド鉱山の採掘権のリース契約の更新などの手続きを取ったあと、夕食を食べながら雑談をして過ごした。

5月1日の夕方5時頃であった。

イワマツグループのA班のメンバーたち17人は、ジャスパーの駅からカナディアン号に乗ってトロントへ向った。

5月5日は、トロントにあるモデルさん会社と売り子さん会社の関連のお仕事に取り組む予定である。

(ピーッ!!ゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトン…)

車窓《まど》に、金色に染まった麦畑の風景が写っていた。

個室にて…

休憩中の私は、車窓の風景をゆっくりとながめながらエクスペリアのウォークマンのアプリで1970年から1987年までの青春歌謡の歌を聴いて過ごした。

それから30分後であった。

私は、トロントでのお仕事で使う資料の作成作業を再開した。

5月5日の朝9時半過ぎに、4446キロの大陸横断の旅の終着駅のトロント・ユニオン駅に列車が到着した。

A班のメンバーたち17人は、列車から降りたあとB班のメインメンバーたちと合流した。

その後、お仕事に取り組んだ。

カナダ国内のお仕事は、5月7日の朝9時半頃に終了した。

A班とB班のメインメンバーたちあわせて34人は、トロント・ピアソーン国際空港からヴォンヴァルディア機に乗って旅に出た。

A班のメンバーたち17人は、専用機が待機しているニューヨークJFK国際空港でチャーター機を降りた。

B班のメインメンバーたち17人は、プリンスエドワード島のシャーロットタウン空港へ向かった。

A班のメンバーたちは、ニューヨークJFK国際空港でチャーター機を降りたあと特大バスに乗ってニュース専門チャンネルのテレビ局へ向かった。

このあと、現地時間の夜9時から全米で一斉に放映されるディベート番組に私が生出演する予定である。

A班のメンバーたちは、夜7時頃にテレビ局に到着した。

受付で手続きを済ませたあと、楽屋へ移動した。

楽屋にて…

私は、ビッグマックとブレンドコーヒーで晩ごはんを食べながら、討論番組で使う資料に目を通した。

夜8時15分にスーツ合わせをした…

夜8時半にスタジオに入った…

その後、番組開始10分前まで書面に目を通した。

生放送開始10分前であった。

番組に出演するみなさまがスタジオに入った。

私は、生出演するみなさまと名刺交換をかわした。

開始5分前に、所定の席について司会者の女性キャスターがお越しになられる時を待った。

番組に出演するメンバーたちは、お堅い人たちばかりである。

アメリカの経済界のリーダー・アメリカの上院議員・下院議員・カリフォルニア州知事・ペンダゴン(アメリカ国防総省)の報道官・アメリカ大統領補佐官・国務長官・ニュースタイムスの政治・軍事関連の記者・イギリスBBCテレビの記者…

…そして私・イワマツグループの総帥(総合オーナー)の合計30人であった。

夜9時頃に、生放送が始まった。

女性キャスターのごあいさつと出演するメンバーたちの紹介を経てディベートに入った。

ディベート開始直後から、私以外のメンバーたち29人が激しい英語のやり取りで繰り広げた。

私は、どこで入ればいいのか分からずに困惑した。

テレビ出演が終了したあと、A班のメンバーたちはテレビ局からダブルデッカーのバスに乗ってJFK国際空港へ向かった。

空港に到着した後、A班のメンバーたちは専用機に乗り込んだ。

(ゴーッ…)

専用機は、経由地のニースの国際空港へ向けて飛行した。
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