大河ドラマ・乳房星(たらちねぼし)

【一本道の歌】

さて、その頃であった。

またところ変わって、国鉄串間駅の待合室にて…

ショルダーバックをひざの上にのせた状態でベンチに座っている私は、キオスクで購入したかつサンドパンを食べていた。

きょうは22日か…

あと1ヶ月弱で1983年が終わる…

放浪《このたび》を早く終わらせなきゃ…

こんなフラフラとした暮らしは…

すごくイヤだ…

…………………………

食事を終えてから数分後であった。

駅の待合室に熊代さんがやって来た。

熊代さんは、ベンチに座っている私に対して声をかけた。

「コリントさま。」
「ああ、熊代さん。」
「コリントさま、ご無事でございましたね。」
「はい。」
「これからどちらへ行かれる予定ですか?」
「鹿児島方面へ行こうかと思っています。」
「そうですか…私は…コリントさまにお伝えしたいことがあるので、こちらに参りました。」
「かしこまりました…それでは、駅の近くにある喫茶店《サテン》に行きましょうか?」

それからまた10分後であった。

またところ変わって、串間駅《えき》の近くにある喫茶店《サテン》にて…

テーブルの上には、白の磁器のコーヒーカップに入っているハウスブレンドと白の磁器のお皿にのっているミスターイトウのバタークッキーが置かれていた。

私が座っている席のテーブルには、ゼブラシャーボーの本体とメモパッドが置かれていた。

熊代さんは、私に対してセヴァスチャンじいさんはまだ生きていたことを伝えた。

知らせを聞いた私は、おどろいた声で言うた。

「セヴァスチャンじいさんが…まだ生きていた?」
「はい。」
「その話は、どこで聞いたのですか!?」
「どこで聞いたって?」
「セヴァスチャンじいさんが生きていたと言う情報をどこで聞いたのか…と言うことが知りたいのです!!…お願いです!!…教えてください!!」
「教えてくださいと言われても…」
「熊代さん!!セヴァスチャンじいさんが今もご存命であると言うコンキョは何ですか!?」

熊代さんは、私に対してこう答えた。

「セヴァスチャンじいさんは…冷凍睡眠《コールドスリープ》で…眠っていました。」
「冷凍睡眠《コールドスリープ》…それはいつ頃からですか!?」
「1935年から今年の春にかけてです。」

私は『1935年から48年間に渡って冷凍睡眠《コールドスリープ》で眠り続けていた…』と言いながらメモ書きをしたあと熊代さんに声をかけた。

「話はよくわかりました…それで、セヴァスチャンじいさんがどちらにいると言う話は聞いてませんか?」
「さあ…」
「聞いてないのですね。」
「はい。」
「分かりました。」

私は、メモパッドのページを4ページほどもどしたあとメモ書きを見た。

その後、私は熊代さんに声をかけた。

「あの〜、話を変えますがよろしいでしょうか?」
「あっ、はい。」
「私は、数日ほど前に熊代さんの奥さまとお会いしまして…マンシュウリで暮らしていた時のお話をおうかがいしました。」

私は『え~とですね〜』と言いながらメモ書きを見たあと熊代さんに声をかけた。

「私の実母《はは》とセヴァスチャンじいさんをご存知の方は熊代さんの奥さまと宇城田《うきた》のおかみさんだけです…熊代さんにおたずねしたいことがございます…あの…熊代さんの奥さまと宇城田《うきた》のおかみさんの…ご実家のみなさまが満州《げんち》へ移住なされた頃…熊代さんのご実家のみなさまはどちらで暮らしていましたか?」
「私の実家《いえ》は鹿児島にありました…ずっと鹿児島で暮らしていました。」
「そうですか…あの〜…熊代さんのご実家の近くで暮らしていた方で満州《げんち》へ移住なされた方はいらっしゃいますか?」
「えっ?」
「ですから…熊代さんのご実家の近くで暮らしていた方で満州《げんち》へ移住なされた方はいらっしゃいますか?…と聞いてるのです!!」
「たしか…実家《うち》のとなりで暮らしていた伊佐山《いさやま》さんの家のご家族が満州へ移住しました。」

私は、熊代さんに対して声をかけた。

「あの、伊佐山《いさやま》さんと言うお方は今どちらに住まわれていますか!?」
「えっ?」
「私は、伊佐山《いさやま》さんと言う方にお会いして話がしたいのです!!…すみませんけど、伊佐山《いさやま》さんは今どちらに住まわれているのか教えてください!!」

私の問いに対して、熊代さんはこう答えた。

「四国の松山で暮らしています。」
「松山…ちょっとお待ちください!!」

私は、ショルダーバックに収納されていた1981〜1983年の3年手帳を取り出したあと余白のページをひらいた。

その後、私は熊代さんに対して声をかけた。

「熊代さん、頼みがあります!!伊佐山《いさやま》さんが住まわれている場所の近辺の地図を書いていただけますか!?」
「かしこまりました。」

このあと、熊代さんは手帳の余白のページに地図を書いた。

(ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ…)

それからまた2時間後であった。

私は、串間駅でヒッチハイクした長距離トラックに乗って再び旅に出た。

トラックは、出発してから7時間後に別府観光港にたどり着いた。

(ボーッ、ボーッ、ボーッ、ボーッ…)

別府観光港に到着してから2時間後であった。

私は、三崎行きの宇和島運輸フェリーに乗って再び旅に出た。

………………………………

(ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ…)

それからまた2時間半後であった。

私は、三崎港(伊方町)でヒッチハイクした長距離トラックに乗って再び旅に出た。

トラックは、国道197〜378〜56号線〜県道伊予川内線を通って松山方面へ向かった。

トラックは、11月23日の朝8時過ぎに国道33号線の拾町交差点《じっちょうこうさてん》の付近にあるガソリンスタンドに到着した。

ショルダーバックを持ってトラックから降りた私は、運転手《うんちゃん》に一礼したあと旅に出た。

私は、ガソリンスタンドから出発したあと国道33号線の重信川にかかる橋を歩いて松山市へ向かった。

伊佐山《いさやま》さんのご家族に聞けば…

なにかわかるかもしれない…

急がなきゃ…

………………………
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