桜花彩麗伝

 やるしかない。失敗も、逃げることも許されない。
 背水の陣であると同時に、名誉挽回を狙うことのできる最後の機会であった。
 決死の覚悟を決め、航季は頷く。

「……お任せを」

 これだけが、蕭容燕の息子でいられる唯一の道であった。



     ◇



「……なに? 兇手(きょうしゅ)の遺体?」

 煌凌は菓子に伸ばしかけた手を止めた。思わず聞き返すと、神妙な面持ちで悠景が頷く。
 その隣にいる朔弦は黙していたが、浮かべた謹厳な表情がただならぬ雰囲気を醸し出していた。

「ええ。しかも十五年前、宰相殿の奥方を手にかけた野郎です」

「元明の……」

「────黒幕にも、その思惑にも、大方見当はついています」

 朔弦の言葉に煌凌は顔を上げた。さすがとしか言いようがない。
 とはいえ、何となくその口ぶりで煌凌にもとある予感がよぎった。

「もしや、容燕か?」

 浮かんだ考えを口にすれば、朔弦は一瞬の迷いを経て首肯(しゅこう)した。
 もしかすると十五年前の一件でさえ、企てたのは容燕かもしれない。
 今回のための布石であったとすれば、満を()して機が熟したということであろうか。

 菫礼から聞いた話を思い返す。
 竹林で邂逅(かいこう)を果たした航季の腹心(ふくしん)の様子がおかしく、何者かを追っているようだった、という話であった。
 いまの結論に信憑性が増す。

 ただし連中の狙いは分かっても、どう元明を追い落とす腹積もりであるのかまでは読みきれない。
 不利になるようなことにはちがいないが、いったい何を仕掛けるつもりなのか。

 言い知れぬ不安が煌凌の胸に湧いた。
 いかに元明が追い詰められようと守るつもりでいるが、容燕に太刀打ちできる自信はまるでない。
 玉座を盾に脅迫でもされようものなら、元明を捨てなければならなくなるかもしれない。
 ……そんなのは、絶対に嫌だ。

「何か嵐の前の静けさって感じだよな。不気味だ」

 悠景がぽつりと呟く。
 容燕は虎視眈々(こしたんたん)と機会を窺っているのだろうか。あるいは既に動き始めているのだろうか。
 いずれにせよ、膠着(こうちゃく)状態はいつまでも続かないものだ。
 嵐は、不意に訪れる。

「陛下……!」

 ふと、扉の外から清羽の声が響いてきた。泣き叫ぶべく悲痛な声である。
 ひどく焦ったような不規則な足音が、嫌な予感を誘う。
 朔弦は“嵐”の訪れを悟った────。

 転がるように清羽が陽龍殿へと駆け込んでくる。
 色のない顔で「大変です!」と告げる。

「虞家と寧家に刺客(しかく)が押し入り……一家全員、殺害されました……!」
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