桜花彩麗伝

 その言葉の真意や本気具合を測るべく、珀佑は櫂秦の双眸(そうぼう)を慎重に見返した。

「俺、そもそも商人とか向いてねぇし、誰かの上に立って率いるとかも(しょう)に合わねぇんだよ」

 一方で珀佑は最初から、己にできうる限りのことをした。
 運や成り行きに委ねることなく、計算と度胸を(もっ)て。

 自嘲気味に続けられるが、投げやりに卑屈(ひくつ)になったわけではなさそうである。
 むしろようやく口にできたという清々しささえ感じられた。

「今回のことで痛感した。やっぱり楚家当主には、頭領(とうりょう)には、兄貴が相応しい。一度、一緒に本家に帰ろうぜ」

「櫂秦……」

 珀佑の瞳が揺れる。その内にある迷いや困惑を体現しているようであった。

 ……そんなつもりで動いていたわけではなかった。
 彼からその座を奪おうなどという魂胆(こんたん)では、当然ながらなかった。

 ────生まれながらに()み嫌われ、どこにも居場所がなかったが、ふたりのきょうだいだけは血の繋がりに関係なく自分を(した)ってくれた。
 周囲の大人たちに叱られようと、構わず珀佑を“兄”と呼んだ。

 珀佑はそれが何より嬉しかった。
 代わりに自分が痛い目に遭わされようと、(さげす)んだ眼差しや言葉を浴びせられようと、きょうだいを失うことの方がよほど耐え難いものであった。

 楚家に尽くすことは、認められずとも楚姓を持つ己の務めでしかなく、今回のことは、家門への忠心というよりはきょうだいのためだったからこそ躊躇を捨てられたに過ぎない。

 櫂秦はいささか買い被りすぎではないだろうか。
 あるいは珀佑が当主の座に就けば、あらゆる認識が覆されることになるのであろうか。
 たとえば同じような選択を迫られたとき、今度は“楚家のため”と胸を張って言えるような。

「俺は当主の座を退いて、商団の事業からも手を引くよ。代わりに兄貴が継いでくれ。どうか頼む」

 いつになく真剣な眼差しと口調からは、櫂秦の固い意思が窺えた。
 生半可な気持ちで口にしているのではないと、珀佑にも痛いほど理解できる。

「……分かってるの? それが何を意味するか」

 あえて厳しく聞き返した。
 櫂秦が当主や頭領を辞するということは、すなわち楚家の人間ではいられなくなるということである。
 保守的な楚本家の一門は、櫂秦の選択を決して許しはしないであろう。

「ああ。勘当(かんどう)でも何でも望むところだ」

 微塵(みじん)も怯むことなく彼は言ってのけた。
 ただ性に合わないから、重荷だから、と投げ出して押しつけたいわけではないのだ。
 だからこそ、どんな処遇も受け入れる覚悟はできていた。

 兄ほどではないが、勘の鋭さには自信がある。
 楚家を率いるべきは珀佑であると、理屈を抜きにした直感もそう言っている。
 これ以上に何の根拠がいるというのであろう。

 しばらく沈黙を貫いていた珀佑は、ややあって静かに息をついた。
 頬に落ちた睫毛の影の濃さが変わったことにも気がつくほど、櫂秦は彼の反応をじっくりと窺い、その本心を読み取ることに集中していた。

「……分かったよ、そこまで言うなら。まったく仕方ない弟だなぁ」

 やがて返ってきたのは、いつもの暢気で穏やかな語り口での答えだった。
 櫂秦にとっては、(いな)、楚家にとっても唯一の選択を、珀佑は何もかもを見越した上で受け入れたのである。

 櫂秦は破顔(はがん)する。
 心底ほっとしたようなその表情に、つい負けた珀佑も頬を綻ばせたのであった。
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