桜花彩麗伝

 半ば振り向いた朔弦から忠告を受け、どうにか平静を取り戻した春蘭はこくりと頷く。
 小さく頷き返した彼の姿が消えると、淡々とした足音が遠ざかっていった。
 舌打ちをした旺靖は不興(ふきょう)(あらわ)に強く扉を閉める。

「……手遅れだったか」

 低く呟くと、雄々(おお)しい横柄(おうへい)な態度でどっかりと椅子に腰を下ろす。
 卓子(たくし)を挟み、春蘭と向かい合う形となった。
 驚きの中に怯みの感情が垣間(かいま)見え、頬杖をついた旺靖は嫌味なほどわざとらしい笑みを向ける。

「心配しなくても大丈夫ですよ。直接あんたに手出しすることはないんで。あ、それとも前の俺みたいに振る舞うのをご所望ならそうしますけど?」

「……結構よ」

「あっそ。助かります。ばかを装うのも楽じゃないんでね」

 椅子の背にもたれかかるようにして言った彼を、敵意と警戒心をむき出しにした眼差しで捉える。
 それを受け、旺靖は興がるように笑った。

「あーあ。だめですよ、そんな正直じゃ。その目、俺は嫌いじゃないけど」

「…………」

 眉をひそめた春蘭は、ふいと視線を逸らした。
 飄々(ひょうひょう)としたその態度からはまるで真意が読み取れず、腹の底がまったく見えない。黒く濁っていることはちがいないであろうが。

「そっぽ向いてないで、俺の方見てください。せっかくなんで楽しく話しましょうよ。それとも、真面目に尋問して欲しいですか?」

「……あなたは、何者なの?」

「ちょっと、質問すんのは俺の役目です。あんたはただ聞かれたことにだけ答えればいーの」

「…………」

「でもまあ、せっかくなんで答えへの手がかりくらいは教えてあげてもいいですよ」

 再び興がるように目を細めた旺靖は背を浮かせ、身を乗り出した。
 机上で手を組み、目線だけを上げ春蘭を見やる。

「俺はもともと、ある武者(むしゃ)集団を率いてた頭目(とうもく)だった。あの野郎に潰されたけどな」

 “武者集団”という響きのみで思い当たる節があった。
 あの野郎、と恨みの込もった言葉が指す相手は、紛れもなく朔弦であろう。
 はっと瞠目(どうもく)した春蘭は顔をもたげる。

「まさか、紅蓮教の……?」

「────ひとつ言えるのは、俺は勝者の味方だってこと。時世(じせい)を制さなきゃ望んだものは手に入らない。金も権力も名誉も栄華も、弱者には懐かないからな。もっとも、何をもって“勝者”と見なすかは俺が決めるけど」

 掴みどころのない彼であるが、荒々しく大胆な自信家ながら、世情や情勢を的確に見通す、繊細で優れた眼識(がんしき)をそなえているようである。
 ひたすらに爪を隠し、狡猾(こうかつ)に立ち回ってきたことを思うと、その技量は並のものではなかった。
 怜悧冷徹(れいりれいてつ)な器量を悟られ警戒や注意を向けられないよう、あえて(あなど)られるような小心者を演じてきたのであろう。それでいて人あたりがよく憎めない男を完璧に装っていた。
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