桜花彩麗伝
     ◇



「春蘭が、結婚……」

 縁談の件を聞き及んだ煌凌は、愕然(がくぜん)と気抜けした様子で椅子へとへたり込んだ。
 彼には悪いと思いながらも、あまりに純情で一途(いちず)な想いを目の当たりにした宋妟は、ついくすりと小さく笑ってしまう。
 一方、いかなるときも冷静沈着な朔弦は泰然(たいぜん)と言う。

「まだ決まったわけではありませんよ。それに、陛下ならたったひとことで破談(はだん)にできるでしょう」

「ええ。それから、妃選びの仕切り直しが礼部にて正式に決定されました。それに伴い、禁婚令が出されますから、自ずと立ち消えになるはずです。白家がそれより先にと急いでこぎつければ別ですが」

 安心させるような励ましの言葉を受けるが、煌凌は「……いや」と小さいながらもはっきりと口にする。
 魂魄(こんぱく)が抜けたように悄然(しょうぜん)としていた瞳に、いつの間にか色が戻っていた。

「こたびは、禁婚令を出さぬつもりだ」

 その言葉を受け、宋妟と朔弦は意外そうな表情をたたえた。

 確かに彼らの言う通り、煌凌がたったひとこと“ならぬ”と口にするだけでその縁談は止められる。
 禁婚令や妃選びを口実に春蘭を取り返すことができる。
 そこには誰の意も介さない。無論、春蘭自身の気持ちも。
 強引であろうと、望めば彼女を得られる。
 それが、王だ。
 彼が口にしたのであれば、何人(なんぴと)も逆らうことなど許されない。
 しかし、煌凌が王としてその()()()()を取らないのは春蘭のためであると同時に────兄の言葉が心に引っかかっていたせいであった。

『僕だったら、愛しているものや大切なものは、あえて手放す。再び自分が手にできたら自分のものだし、できなければ最初から自分のものではなかった。……って、諦めるかな』

 それを確かめるため、春蘭自身の意を尊重するために禁婚令は出さない。
 一度は心を通わせた、その自覚を唯一の(よすが)に、これは最後の賭けとも言える煌凌の覚悟であった。



     ◇



 叩かれた門を開くと、そこには淵秀が立っていた。
 清らな装いで現れた彼は優美な微笑をたたえ、春蘭を伴って歩き出す。
 賑わう往来(おうらい)をゆったりと進みながら、淵秀はどこか照れくさそうに切り出した。

「その、縁談のことですが……驚かせてしまってすみません」

「いえ、そんな……。お父上の一存(いちぞん)で心ならずもお引き受けになったのではと、何だか申し訳なくて」

 思わず肩をすくめ苦く笑うと、彼は足を止める。

「とんでもない。実を言うと、僕の望みでもありました」
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