結婚したくない二人の話~完璧イケオジエリートは、実は独占欲強めなケダモノでした~

過去と未来


 呼び止めたのは私なのに、やっぱり「帰って」なんて身勝手だと自分でも思う。こんな自分が嫌になる。
 桂先生は、動けなくなった私に一歩近づき、少し屈むと耳元で囁いた。

「東梧は優しいでしょう? だから、あなたのほうから別れてくれる?」

 そんなの絶対嫌だ。でも、言い返したくても声が出ない。理性と感情が乖離しすぎて言葉にできない。
 だって、彼がずっと待ち望んでいた人が帰ってきたのなら、私は邪魔者でしかない。彼女の提案が正当に思えてしまう。
 彼女は悠然と笑いながら背筋を伸ばした。太陽を背にしたシルエットがとても綺麗だった。それがとても怖かった。揚々とした表情で、何でもないことのように言い放った。

「それが一番いいと思うの。戸樫さんもそう思うでしょう、ね?」

 共感を求めるように優しく笑っている。
 その笑顔が怖くて、後ずさりした私の視界が急に真っ黒になった。
 音と風が遮断され、まるで自分を見失ったみたいで声が出なかった。
 体の周りは、ふわふわと温かい。ほのかに八木沢さんのオーデトワレの甘い匂いする。

「あら、隠さなくてもいいじゃない。いま、お話ししてたのに」
「話し? 和咲さんが泣いてるのに?」
「……そんなに怒らないでよ。混乱してるんじゃないの?」

 ああ、これ……八木沢さんのコートだ。
 包まれて前が見えなくなったらしい。視界が開けているのは足下だけ。
 私と桂先生の間に、八木沢さんが割り込むように立っている。彼のコートを片手でゆっくり持ち上げたけれど、私の場所からは二人がどんな表情なのかうかがい知ることはできなかった。しばらく沈黙した後、桂先生が呆れたような口調で言った。

「仕方ないなぁ、帰る。東梧に会えたから今日はもういい。これ、今の連絡先」


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