失くしたあなたの物語、ここにあります
 志貴はすぐに母へ電話を入れた。祖父母が鶴川の水を飲みたがってるとうそをついたら、翌日には水を送ってくれた。

 鶴川の水を使ったハーブティーに、祖父母は顔を見合わせて、全然違う、と声をそろえた。祖母の作るハーブティーの足元にも及ばないが、志貴は満足していた。また来年、沙代子ちゃんに飲んでもらえばいい。それまでにもっともっと練習すればいい。そう思っていた。

 その年、母方の祖父が倒れ、引っ越しが決まった。急な話で、友だちが同じ高校に行けると思ってたのにと残念がってくれたときはさみしい気持ちにもなったが、一方で、胸弾む思いもあった。沙代子ちゃんにハーブティーを飲んでもらえる。その思いは強かった。

 そして、鶴川を訪れたある日、沙代子ちゃんは銀一さんと浮かない表情で農園に来ていた。いつもカフェにいるのに、その日は祖母と立ち話をしていた。

「そう。引っ越すの。さみしくなるわね」

 祖母のそんな言葉だけがはっきりと耳に届いた。

 なんだ。沙代子ちゃんも引っ越しちゃうんだ。胸にぽっかりと穴が空いたような気分になった。

 それから沙代子ちゃんは母親と一緒に鶴川を去った。

 引っ越しの理由は誰も言わないし、聞いたらいけないような雰囲気があって、誰にも聞かなかった。初恋の終わりはあっけなかった。

 引っ越しの荷物をまとめるとき、志貴はあの本を見つけた。捨ててしまおうと思ったが、母に見つかるのも嫌で、引っ越しの荷物に入れた。

 のちに、銀一さんが古本屋を営んでいると知り、高校生になるとその本を持って、まほろば書房を訪れた。

「おじさん、本買い取ってくれる?」
「どんな本かな?」
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