🍞 ブレッド 🍞 ~フィレンツェとニューヨークとパンと恋と夢と未来の物語~【新編集版】
「ルチオさんは嬉しかったと思うよ。ゆずるがあんなことを言うとは思っていなかったはずだからね。でもね、自分たちの犠牲になるような形で仕事をさせるわけにはいかないとルチオさんは思っているんだよ。ゆずるにはハーバードへ行って、2代目社長になるという道が約束されているわけだからね」

 それはその通りだった。
 ルチオだけでなく、アントニオも奥さんも同じだった。
 家族みんなで自分の行く末に思いを寄せ、応援してくれているのだ。

「だから、ルチオさんがゆずるの言い分を聞き入れるのは簡単ではないんだ。可愛い孫の人生を狂わせたくはないからね。もし私がルチオさんの立場だったとしても同じことを言うと思うよ」

 弦は頷かざるを得なかったが、そこで間が空いた。すると腕組みをするような声に変った。

「さて、どうするか、ゆずるの言うことも正しい。ルチオさんの言うことも正しい。どちらも正しい。だから……」

 う~ん、というような声が聞こえたような気がしたが、それ以降は沈黙が続いた。
 まるで弦もよく考えなさいというようにそれは続いたが、頭の中には何も思い浮かばなかった。
 沈黙にひたすら耐えるしかなかった。

 それが永遠に続くかと思われた時、突然、自嘲気味な声が聞こえてきた。

「だいたい老人は頑固ときているからね。一度言ったことを取り消すのはとても難しいんだよ」

 確かに断固として断られたし、その考えを変える気はまったくないというのが口調に現れていた。
 いつもはとても優しいのに、昨日のつっけんどんな言い方は今まで経験したことのないものだった。
 なんと言われても態度を変えるつもりがないという意思の表れに違いなかった。

「ただね、情に(もろ)いんだよ。私がゆずるだったらそこを突くね」

 そして、今まで一度も聞いたことがない言葉を告げられた。それは日本の古い諺のようだった。

「これを試してごらん」

「これって」

 どういう意味か訊こうとしたが、そこで声は消え、存在も消えた。

「おじいちゃん!」

 叫んだ瞬間、自分の声で目が覚めた。
 枕を抱いたまま眠っていたようだ。
 視線の先には天井しかなかったし、そこに優しい顔を見つけることはできなかったが、それでも心の中に温かい何かが残っているような気がした。

「おじいちゃん、ありがとう」

 天国へ向けて両手を合わせた。

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