神に選ばれなかった者達 前編
お兄ちゃんと二人、そっと分娩室から離れた。

酷く…陰鬱な気分、だった。

…子供を生む時に母親が死んでしまう。

他の地域では、どうか知らないが。

スラム街では、それほど珍しいことではない。

医療設備の整っていないスラム街では、子供を生むという行為は並大抵のものではなかった。

だからこそスラム街の妊婦達は、子供を堕胎しようとする。

出産される子供の数よりも、堕胎されて死んでいく子供の数の方が遥かに多い。

そもそも、子供が望まれて生まれてくること事態が稀なのだ。

私だって…お兄ちゃんも、そうだった。

望まれて生まれたんじゃない。

ただ、避妊に失敗し、堕胎も間に合わなかった、あるいはお金がなくて堕胎も出来なかったから、生まれてしまっただけだ。

母親の死亡率は高いし、それ以上に赤ん坊の死亡率はもっともっと高かった。

私が死なずに済んだのも、奇跡みたいなものだ。

赤ん坊の死体が、ゴミ捨て場に転がっている。

そんな光景を、私はこれまで、何度も見てきたことがある。

それはさして珍しいことではないし、その程度で心が揺り動かされることはなかった。

親が子を殺し、子が親を殺す。

…お兄ちゃんが、そうしたように。

それが、スラム街の常識だった。

…だから、どんな残酷なものを見ても、今更悲しむ必要は何処にもないはずだ。

それでも…さっきの、今の光景を見れば。

どうしても、心が痛かった。

…それは、お兄ちゃんも同じだったのだろう。

「…お兄ちゃん…」

「…大丈夫だよ」

いつもは気丈なお兄ちゃんが、眉間に指を当てて俯いていた。

…気づくべきだった。その時。

お兄ちゃんの様子が、いつもと違うってことに。

あるいは、今すぐにお兄ちゃんの手を引いて。

分娩室から離れて、何処でも良いから、とにかく違う場所に逃げるべきだった。

ここは、居てはいけない場所だった。

お兄ちゃんにとっても、…私にとっても。

…それなのに。

「…あっちの部屋は、何だろう?」

あろうことか、私はその部屋を指差してしまった。

それは、透明なガラス張りの、学校の教室みたいに大きな部屋だった。

「分からない…。見てみようか?」

「う、うん…」

私達は、恐る恐るその大きな部屋に近づいた。

ガラスの窓越しに、部屋の中が見えた。

そして、愕然とした。

「…!!」

分娩室を見た時よりも、酷いショックを受けた。

そこは異常な部屋だった。

異常な夢の中の、異常な世界の、異常な病院の、異常な空間に。

異常な生命体が、保育器のようなカプセルに入れられて、所狭しと並んでいた。
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