🕊 平和への願い 🕊 【新編集版】  『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』にリスペクトを込めて。
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 路地を曲がるとその店が見えた。
 明かりは消えていなかった。営業しているようだ。
 しかし、ドアを開けて中に入ると、ガランとしていて、ロシア人の店主がぽつんと座っているだけだった。
 それでも、こちらの顔を見るなり表情が変わって、「いらっしゃい」と笑みが浮かんだ。

 今日初めての客だと言った。
 最近はずっと閑古鳥(かんこどり)が鳴いているのだという。
 日本人はまったく来なくなったし、警戒しているためか、ロシア人も近寄らなくなったという。

「大変でしたね」と慰めながら席に座った。
 思い出の席だった。
 妻と隣同士になったカウンター席。
 ここから始まったのだ。
 そして、プロポーズもこの席でした。
 彼女の指にリングをはめると、満席から拍手が沸き起こった。
 幸せ絶頂の瞬間だった。
 しかし、その席に妻はいない。
 遥か彼方のオデーサで行方がわからないままなのだ。

 何も頼んでいないのに『ザクースカ』が出てきた。
 前菜の盛り合わせだ。
 久し振りの予約が入って喜んでいたら、急にキャンセルされて困っていたのだという。
 だからタダでいいという。
 そうもいかないと思ったが、払おうとしても受け取らないのはわかっていたので、素直に甘えることにした。

 ビールは軽い度数のものにした。
 ロシア産のペールビールだ。
 ちょっと軽めの味わいが飲みやすく、ザクースカとの相性もばっちりだった。

 店主と飲み交わしながらロシア語で話していると、ふとナターシャと初めて言葉を交わした時のことを思い出した。

 あの日、勇気を出して話しかけると、彼女は目を丸くして、「こんなに上手にロシア語を話す日本人に初めて会いました」と言ったのだ。
 それが切っ掛けとなってこの店で食事をするようになり、関係が深まっていった。
 正にロシア語が取り持つ縁だった。

「ロシア語に乾杯」

 思わず声が出て、店主のグラスにカチンと合わせた。

 店主は、ん? というように目を見開いたが、なんでもないというふうに首を振った時、いきなり言葉が降りてきた。
 それは、探し求めていたハンドルネームだった。

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