獣人の里に流れ着きましたが、夫の番犬ぶりのおかげで穏やかな日々です。

11 心の伝え方

 一週間ほどして、ようやくラウルはお休みをもらえた。
 ラウルは朝ごはんを食べ終わると、片付けをしながらミカに優しく言う。
「たまっていた家事がいっぱいあるだろうからな。遠慮なく言うといい」
「だめですよ。お休みなんだからゆっくりしてください」
 ミカはちょっと番いの存在感を出そうと思って、腰に手を当てて返す。
「ラウルさん、お仕事してばっかりじゃないですか。だから今日はお仕事しちゃだめです。私にしてほしいことはないですか?」
「ミカにしてほしいことか。うーん……」
 ラウルは食器をきれいに拭いて、困ったように笑う。
「……いっぱいあるな」
「たとえばどんなことですか?」
 くりくりとした丸い目で見上げるミカに、ラウルは悩みの多そうなため息をついた。
「そんな澄んだ目で見られると、自分が獣人の男であることが恥ずかしくなるときもある」
「え?」
「真昼には言えないことも多いんだ。だがあえて言うと、ミカと散歩がしたい」
 ミカは希望を聞けたことにぱっと顔を輝かせて、ラウルの両手を取る。
「いいですよ! 行きましょう、お散歩!」
「よかった。ただひとつ決まり事があるが、いいか?」
「決まり事?」
 ミカがきょとんと首を傾げると、ラウルは神妙に言葉を口にする。
「昼間は、他の獣人と番いが散歩をしていることも多い。でも番いと一緒のときは、お互い声をかけない決まりなんだ。……声をかけたくなるような場面もあるかもしれないが、決まりを守ってくれないか?」
 会話はだめなんだ、ちょっと寂しいなぁ。ミカはそう思ったものの、こくんとうなずいてラウルと約束した。
 お天気の良さそうな一日だった。青い空に、しゅっと淡い雲がかかっていた。
 ミカは簡単に片づけ物を済ませると、ラウルと手をつないでお散歩に出かけた。
 獣人の里は森の中にあるが、生活通路にも使っている木道がある。二人でそこを歩こうということになった。
 昼間は他の獣人と番いが散歩している。ラウルのその言葉を、ミカは半刻ほどしたらすぐに目にすることになった。
「あ、本当だ。お散歩してる人いますね」
 森の中の散歩道では、時々他の獣人と番いを見かけた。鹿の角を生やした獣人や、狐の尻尾を持つ獣人。
「ふふ、みんな手をつないでる。仲がいいんですね」
 ミカが微笑ましくてそっとラウルに言うと、ラウルは複雑そうにミカに問う。
「ミカは嫌になったりしないか?」
「どうしたんですか?」
「俺たちは外に出たら番いの手を握って離さない。そういうの、人間だと「重い」って聞いたことがあるんだが」
「ああ、そう言う人もいるかもしれないです」
 ミカは明るく笑って、ラウルの手をつないだまま持ち上げる。
「でもラウルさんの手、あったかくて好きです。年を取ってもこうして歩いていられたら、幸せだなぁって思います」
「……ミカ」
 ラウルはミカの手にぎゅっと頬を寄せて、誓うように言う。
「そうさせてくれ。ミカの手がしわしわになってもつないでいるよ」
「えへへ、照れますねぇ」
 ミカは頬を染めて、ほっこりと照れた。
 二人は道端に咲いている花を見たり、昨日の晩御飯のことを話したりしながら、上機嫌に散歩を楽しんだ。
 でも次第に天気が薄曇りになってきたのに気づいて、ラウルが声を上げる。
「そろそろ引き返すか。雨になるかもしれない」
「そうですね。……あ」
 そのとき、ミカは向こうから歩いて来る一組の獣人と番いに気づいて短く声を上げた。
 声をかけてはいけないと言われていた。でも一瞬胸が詰まったのは……その獣人と番いは、手首を鎖でつないでいたからだ。
 向こうの獣人は、ラウルの姿を見かけると目だけであいさつをした。ラウルも無言で目礼を返す。
 ミカはその番いの様子を見ていた。彼女はお腹が大きくて、妊婦らしかった。体調が悪いのか青白い顔で、力なく夫に支えられて歩いていた。
 無言で二組の夫婦はすれ違って、十歩ほど。番いの女性がぽつりと言葉をこぼした。
「……ふるさとに帰りたい」
 それに、夫らしい獣人は気づかわしげに返した。
「今移動するのはお腹に障る。それに……里から出たら、君は逃げるつもりだろう?」
 女性はうつむいて震えた。夫の獣人はふいに彼女を抱き上げて、その頬に口づける。
「愛してるよ、愛してる。僕がここにふるさと以上の安らぎを作ってあげるから、二度と出て行こうなどと考えないで。……今度逃げ出したら、家からも出してあげられなくなる」
 夫の獣人は一度強く彼女を抱きしめると、妻を抱えたまま歩き去った。
 ミカは、そっとラウルの手を握る。ラウルもその手を握り返してため息をついた。
「ごめんな。……俺たちの番いへの執着は、たぶん異様なんだろう」
 ミカは首を横に振って、ラウルを見上げながら言った。
「どこかですれ違ってしまう夫婦は、人間の世界にもたくさんいました。ここが獣人の里だからじゃない気がします。好き同士でも、お互いを傷つけてしまうことも」
 ミカを見下ろしたラウルに、彼女はその瞳をまっすぐ見て告げる。
「だから……ラウルさん。いっぱい心の伝え方を作りましょう? 私は鎖をつけなくても逃げません。ラウルさんならきっと、言葉を交わしたり触れ合ってるうちに誤解は解けるって信じてるから」
「……ああ」
 ラウルはうなずいて、ひょいとミカを抱き上げて目線を合わせる。
「覚えておいてくれ。……もし年を取って言葉さえあいまいになったとしても、こうして愛してると伝えるよ」
 ラウルはミカを額を合わせてから、頬に口づける。
「はい。そのときは……私もこうやって返します」
 ミカはくすぐったそうに笑って、ラウルの首に腕を回して抱きしめ返したのだった。
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