「ちょ、俺が救世主!?」~転生商人のおかしな快進撃~

178. 染み付いた汚点

 う……?

 気が付くと、目の前には無限に広がる漆黒の闇が広がっていた。意識が徐々に戻る中、虚無とも言える静寂が全身を包み込む。

「あれ……、ここは……?」

 俺は周りを見回し、足元に巨大な碧い惑星が広がっているのに気が付いた。広大な海に浮かぶ緑色の島……そして大陸。なんと、それは地球だった――――。

 おぉぉぉ……。

 ここは果てしない宇宙空間だったのだ。無重力(むじゅうりょく)の感覚が、現実感を奪っていく。

 目が慣れてくると、無数(むすう)の光の粒が、銀砂(ぎんさ)のように煌めいているのも見えてくる。満天の星々に包まれ、淡く天の川も流れていたのだった。

 眼下には見慣れた日本列島と朝鮮半島の輪郭(りんかく)が浮かび、雲の筋が白く幾重にも走っている。海はまるで神秘的なサファイヤのように青く澄んで輝き、息を呑むほどの美しさだった。

 そして――――九州を覆うように不気味な巨大蜘蛛が張り付いている。その漆黒の影は、まるで地球に染み付いた汚点(おてん)のように見えた。

 ここはまごうことなき宇宙空間――――。普通に息もできるし特段熱くも寒くもないし、声も出せる。デジタルな世界であれば当たり前ではあるが、自力で宇宙へと飛び上がった時の苦労は一体なんだったのかと思わないでもない。皮肉(ひにく)な思いが胸をよぎる。

 周りを見ればみんな転送されてきており、輝く美しい地球に見入っていた。

 ドロシーは一体何がどうなったのか分からずキョトンとしている。その瞳には、現実離れした光景への戸惑いと、純粋な驚きが映っていた。

「ドロシー、おいで……」

 俺はドロシーを引き寄せる。彼女の体温が心地よい。この果てしない宇宙の中で、彼女の存在だけが確かな(いかり)のように感じられた。

「あなた……。こ、これは……?」

 その声には戸惑いと驚きが混じっている。

「僕たちはこの小さな島のあの辺りに住んでたんだよ」

 俺は日本列島の真ん中あたりを指した。遥か彼方に浮かぶ故郷は、まるで(てのひら)の上に載せられた宝石(ほうせき)のように小さく、そして愛おしい。

「えっ!? こんな丸い世界……だったの?」

 彼女にとって自分の住んでいた星が丸い球体だったことも、ピンと来ていないのだろう。確かに住んでいる星が丸いかどうかなんて、日常生活では気にすることもない。

「そう、これが僕たちの星さ。そして、その実体ははるかかなた遠い星の中……まぁその話はまたにしよう」

 キツネにつままれたようなドロシーを、俺はキュッと後ろから抱きしめた。二人の呼吸が静かに重なり合う。

 碧眼をキラキラと輝かせながら巨大蜘蛛をまじまじと見ていたシアンが、歓喜に満ちた声を上げる。

「ウヒャー! これはいい蜘蛛だねぇ! きゃははは!」

 その笑い声は、まるで新しい玩具を見つけた子供のようだった。

 それにしても世界を滅ぼしかねない蜘蛛の何がどう『いい』のだろうか? その不可解(ふかかい)な言葉に、嫌な予感がした。

「さぁてと……。焼き切ってみるか……」

 シアンはニヤリと笑うと、蜘蛛に両腕を伸ばし、その腕を輝かせ始めた。

 その輝きはやがて直視できないくらいにまばゆくなり、キュィィィィンという危険な香りのする高周波を放ち始める。

「ちょ、ちょっと待ってください! 蜘蛛を殺したら死体は地面に落ちますよね?」

 俺は慌てて叫んだ。きっとこの人は蜘蛛を殺すことしか考えていないに違いない。

「うん、落ちるよ!」

 シアンの声は、まるで天真爛漫な子供のよう。

「そしたら下にいる人たち……は?」

 俺の問いかけに、一瞬の沈黙が流れる。

「あの世行きー! きゃははは!」

 シアンは屈託のない笑いを上げ、俺は宙を仰いだ。その無邪気(むじゃき)な笑い声に、背筋が凍る。

「いやいやいやいや。それはさすがに……。人的損害無しでお願いしたいのですが……」

 俺は必死に頼み込む。あんな何億トンあるかもわからない巨大構造物が地上に落下したらそれこそ核爆発レベルの大災害になるに違いない。想像するだけで、冷や汗が湧いてくる。

「えーー……。面倒くさいことを言うね。キミ」

 ジト目で俺をにらむシアン。その碧眼(へきがん)には、オモチャを取り上げられた子供のような不機嫌さが映っていた。

 しかし、ここは譲歩の余地などないのだ。人命が関わる問題に、妥協はしたくない。

「申し訳ないですが、別の方法で……」

 俺は手を合わせて頼み込む。

「うーん、どうしようかなぁ……」

 シアンは渋い顔をして蜘蛛を見つめる――――。その沈黙が、永遠のように感じられた。

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