ストーカー三昧・浪曲、小話、落語
他人の不幸が見えないか?
えー、ところで、お釈迦様の申されたことは元よりタバコだけではございません。自他の上辺ばかりを見ていた己(おのれ)のその目を、隠されたそれぞれの内部に向けて、真の姿をしっかりと確認せよと、また確認したならば今度はそれに〝働きかけよ〟と、こう申されているのでございます。ではその〝自他に隠されたそれぞれの願い〟とはなんでしょう?まずは他、すなわち他人、社会・一般世間が内に抱いているその願いとは?…これは、私のような軽薄な者にはちと荷が重過ぎますが、自、すなわち自分の内部に隠された〝願い〟であるならば、これはサヘルさんやお釈迦様の薫陶をもちまして些かでも感じて来ております。これはおそらくお釈迦様から諭された「他人の不幸が見えないか 世に不幸でない者など ただの1人も居りはせぬ」辺りのことではないかと…。今まで縷々、縷々と替え歌まで作って、ひたすらブーたれてきた、世にも稀なるわたくしの〝ストーカー被害〟ではありますが、この苦しみに固執する余り、私には他人の同様なる苦しみが、まったく目に入っていなかったのではないかと…そう思うのであります。だってそうですよね、皆さん。世の中なんてえのは実際互いに自己顕示や見栄の張り通しです。「おい、俺の貯金額を見てみろ、家を見ろ、俺は妻子持ちだぞ」とか「私の容姿を見なさいよ、器量を。私がいかにチヤホヤされているか、わかるでしょ?」とか「俺がいかに世に貢献しているか、役立っているか、能力があるか…ええ?どんなもんだい」とかですよ、まあとにかく〝俺を見ろ、俺を認めろ〟の類のオンパレードじゃないですか。これじゃあ〝さあらぬ我々〟にとっては、これは他人から被る苦しみ以外の何者でもないですよね?