『後姿のピアニスト』 ~辛くて、切なくて、 でも、明日への希望に満ちていた~ 【新編集版】
2019年10月31日未明、センサーが熱を感知すると共に人感センサーが作動した。不審者の侵入を疑った警備員が一人で現場に直行したが、充満した煙を確認したので、一旦戻って仮眠中の同僚を起こして再度現場へ急いだ。しかし、火の回りは早く、消火器2本では火を消し止めることはできなかった。しかも、119番通報が遅れたため、消防隊の到着がセンサー感知から16分後になり、その頃には既に火は燃え広がっていた。正殿と北殿の屋根が焼け落ちたあとも火の勢いは収まらず、正殿と北殿、南殿が全焼するという、余りにも痛ましい火災になった。
夜のニュースで、午後1時半頃鎮火したことを知った。原因は不明らしい。スプリンクラーは設置されておらず、もしそれがあったら、という専門家のコメントをアナウンサーが読み上げていた。重要文化財の指定を受けていない木造建造物なので設置義務がないことも併せて伝えていたが、世界遺産に指定されている建造物にスプリンクラーを設置していないとはどういうことなんだろう? とニュースを見ながら訝し気に思ったことをはっきりと覚えている。世界遺産の管轄も重要文化財の管轄も文化庁のはずなのに、何故こんなチグハグなことをしているのだろうか? 男にはまったく理解できなかった。
ん?
軍用機の爆音で今に戻った。
もう止めてくれ!
空に向かって毒づいた瞬間、眩しい光が目に入って何も見えなくなった。
ヤバイ!
すぐに瞼を閉じた。すると、大きな炎が瞼の裏に広がった。それは、首里城の火災とは違う炎だった。
*
燃えていた。
世界遺産が燃えていた。
築850年を超えるゴシック様式の建造物が燃えていた。
高さ96メートルの尖塔が真っ赤な炎に包まれて落ちていった。
こんなことってあるのだろうか?
目を疑った。
その瞬間、声が出た。
ありえない!
見ているものを信じられなかった。
フランスだった。
パリだった。
セーヌ川だった。
中州に浮かぶシテ島だった。
2019年4月15日だった。
18時50分だった。
ノートルダム大聖堂が出火した。
1時間もしないうちに大きな炎を上げて燃え始めた。
30分も前に火災警報アラームが鳴ったのに……、
異常を確認できなかったなんて……、
もしスプリンクラーがあったら……、
もし……、
しかし、タラレバをいくら繰り返しても元に戻ることはない。
取り返しのつかないことが、
あってはならないことが、
してはいけないことが、
起こってしまったのだ。
当時、建物の内部では屋根の改修作業が行われていた。その足場にはタバコの吸い殻があったことが確認されている。
タバコの吸殻?
ということは喫煙?
木造建造物の内部で喫煙?
それも、歴史的な建造物の内部で?
それが原因かどうかはわからないが、やってはいけないことが行われていたことは間違いない。喫煙者は、そして、それを容認していた監督者は、850年の歴史の重みをまったく感じていなかったのだろうか?
どんな感覚をしているのだ!
男には理解できなかった。すると、不意に〈愚か者〉という言葉が頭に浮かんできた。
余りにも愚かすぎる。
出火から2か月を過ぎたあとに「原因は特定できず」と仏検察が発表したが、男の頭の中から〈人災〉という言葉が消えることはなかった。古の大工が丹精を込めて造ったものを、現代の愚か者が破壊した可能性は排除できないのだ。
取り返しのつかないことを……、
*
瞼を開けると、首里城の焼け跡が目に戻ってきた。
これも原因不明か……、
先日発表された沖縄県警の捜査終了時コメントを思い出していた。ノートルダム大聖堂と同じく原因不明。捜査を尽くしたあとの結果なので受け入れるしかないのだが、今一つ釈然としないものを感じざるを得なかったし、出火原因がわからないまま復興作業に着手することが本当にいいことなのだろうか? という疑問が消えることはなかった。
また同じ間違いを繰り返すことにならないだろうか?
そんなことを考えていると、痛ましい姿を晒している首里城が可哀そうに思えてきた。戦争で焼かれて、原因不明の火事で焼かれて、それでも何も言わずに立ち尽くす首里城。「いい加減にしてくれ!」と叫んでもいいんだよって心の中で声をかけたが、当然のことながらなんの返事も返ってこなかった。
可哀そうに……、
心の中で呟いたが、観光資源によって飯を食わしてもらっているのになんの力にもなれない情けない自分に溜息が出た。一気に力が抜けてボーっとなってきた。これ以上ここにとどまることはできなかった。重たい足を引きずるようにしてホテルに戻った。
夜のニュースで、午後1時半頃鎮火したことを知った。原因は不明らしい。スプリンクラーは設置されておらず、もしそれがあったら、という専門家のコメントをアナウンサーが読み上げていた。重要文化財の指定を受けていない木造建造物なので設置義務がないことも併せて伝えていたが、世界遺産に指定されている建造物にスプリンクラーを設置していないとはどういうことなんだろう? とニュースを見ながら訝し気に思ったことをはっきりと覚えている。世界遺産の管轄も重要文化財の管轄も文化庁のはずなのに、何故こんなチグハグなことをしているのだろうか? 男にはまったく理解できなかった。
ん?
軍用機の爆音で今に戻った。
もう止めてくれ!
空に向かって毒づいた瞬間、眩しい光が目に入って何も見えなくなった。
ヤバイ!
すぐに瞼を閉じた。すると、大きな炎が瞼の裏に広がった。それは、首里城の火災とは違う炎だった。
*
燃えていた。
世界遺産が燃えていた。
築850年を超えるゴシック様式の建造物が燃えていた。
高さ96メートルの尖塔が真っ赤な炎に包まれて落ちていった。
こんなことってあるのだろうか?
目を疑った。
その瞬間、声が出た。
ありえない!
見ているものを信じられなかった。
フランスだった。
パリだった。
セーヌ川だった。
中州に浮かぶシテ島だった。
2019年4月15日だった。
18時50分だった。
ノートルダム大聖堂が出火した。
1時間もしないうちに大きな炎を上げて燃え始めた。
30分も前に火災警報アラームが鳴ったのに……、
異常を確認できなかったなんて……、
もしスプリンクラーがあったら……、
もし……、
しかし、タラレバをいくら繰り返しても元に戻ることはない。
取り返しのつかないことが、
あってはならないことが、
してはいけないことが、
起こってしまったのだ。
当時、建物の内部では屋根の改修作業が行われていた。その足場にはタバコの吸い殻があったことが確認されている。
タバコの吸殻?
ということは喫煙?
木造建造物の内部で喫煙?
それも、歴史的な建造物の内部で?
それが原因かどうかはわからないが、やってはいけないことが行われていたことは間違いない。喫煙者は、そして、それを容認していた監督者は、850年の歴史の重みをまったく感じていなかったのだろうか?
どんな感覚をしているのだ!
男には理解できなかった。すると、不意に〈愚か者〉という言葉が頭に浮かんできた。
余りにも愚かすぎる。
出火から2か月を過ぎたあとに「原因は特定できず」と仏検察が発表したが、男の頭の中から〈人災〉という言葉が消えることはなかった。古の大工が丹精を込めて造ったものを、現代の愚か者が破壊した可能性は排除できないのだ。
取り返しのつかないことを……、
*
瞼を開けると、首里城の焼け跡が目に戻ってきた。
これも原因不明か……、
先日発表された沖縄県警の捜査終了時コメントを思い出していた。ノートルダム大聖堂と同じく原因不明。捜査を尽くしたあとの結果なので受け入れるしかないのだが、今一つ釈然としないものを感じざるを得なかったし、出火原因がわからないまま復興作業に着手することが本当にいいことなのだろうか? という疑問が消えることはなかった。
また同じ間違いを繰り返すことにならないだろうか?
そんなことを考えていると、痛ましい姿を晒している首里城が可哀そうに思えてきた。戦争で焼かれて、原因不明の火事で焼かれて、それでも何も言わずに立ち尽くす首里城。「いい加減にしてくれ!」と叫んでもいいんだよって心の中で声をかけたが、当然のことながらなんの返事も返ってこなかった。
可哀そうに……、
心の中で呟いたが、観光資源によって飯を食わしてもらっているのになんの力にもなれない情けない自分に溜息が出た。一気に力が抜けてボーっとなってきた。これ以上ここにとどまることはできなかった。重たい足を引きずるようにしてホテルに戻った。