『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
私だけ横になったままお話をしていればいつしか国芳さんの指が、私の耳もとを撫でていた。
指の腹ではなくて、背の方で。
疲れている私の体を抱かない人は緩やかな手遊びをしながら私の様子を肴に晩酌をしている。
何を考えているんだろう……とだんだんと寝かしつけられている気分になって来た意識は唇をなぞる指のくすぐったさですら心地よく感じて思わず吐息をこぼせば少しだけ、指先が止まる。
やめないで、と首筋を曝け出せば指先はそちらへ滑って肌を重ねる時に丹念に舐めてくれる場所を今夜は指先だけでさすられてぞくり、と僅かに肌が粟立つ。
暫く撫でられていれば指先にも馴れてしまい、気が付けば私の肩をぽんぽんと撫でてくれている大きな手があった。
傍にいてくれるから私と国芳さんの匂いが重なって――私はこの優しくて甘い匂いを感じると本当に眠気に勝てなくなる。もう少し、このままお話をしていたいのに瞼はどんどん重くなって深い眠りに導かれてしまう。
差し込む朝日に、目が覚める。
昨夜、国芳さんが肩に掛けていた羽織りものが私の掛布団の上に掛けられているだけの朝はちょっと寂しくて――布団の上に座った私はそれを胸元まで寄せて染み付いている匂いをそっと吸い込む。
暫くするとたまちゃんがやって来て、朝の支度を進めてくれる。
連日の外出で今日は流石に疲れているので一日、御簾越しになるけれど自分の部屋からお披露目の場を作ってくれている猫さんたちの様子を伺わせて貰おうと思っていた。昨日、社務所に寄って巾着用の生地を預かって来たので刺繍も進めたい。
身支度を整えて肩に羽織りものを掛ける前に首に小さな鈴の付いた首飾りを付けるとたまちゃんの瞳が少し輝くのが分かる。きっとたまちゃんも黒光さんに預けた自分の組紐がどんな仕上がりになるか楽しみなのかもしれない。
「あれ……すず子さま……」
最後に御髪を、と私の髪を梳かしてくれていたたまちゃんが無意識だったのかすんすんと猫の仕草で私の匂いを吸う。珍しいな、と思ったけれどすぐに「申し訳ありません」と謝られてしまう。
たまちゃんなら別に、匂いを吸われても気にしないのに。
でも、いつもなら今みたいな匂いの感じ取り方はしない筈だけど……なんだろう。気になる。
「すず子さまからなんだかすごくいい匂いがして、ちょっとびっくりしちゃって」
弁解してくれるたまちゃんだったけれど少し頬が赤くなっているような気がする。自分の匂いは分かりにくいから、変な匂いじゃなければそれで構わない。
ここ数日だったらもう現世へ出掛けてしまっている時刻。
わらわらと庭にやって来る私の知らない猫さんたち。人の姿も、猫の姿も色々で、御簾の奥からその様子をそっと眺める。手伝いたい気持ちが多くあるけれどそこは我慢をして黙って見つめていると黒光さんが作業の進捗を確認しに訪れた。そんな黒光さんに手を止めて挨拶をしている猫さんたち。指示書の巻物があるらしく、打ち合わせをしている。
「すず子様、如何で、すか……」
指示書を手に御簾をよけて入って来る黒光さんの言葉が途切れて、少し息を飲んだのか黒い耳もびく、と一瞬だけ動いた。
いつも真面目で、国芳さん曰く“堅物”の黒光さんなのに様子がおかしい。
座布団を並べて一緒に縫い物を始めようとしていたたまちゃんもきょとんとしているけれど――と不思議に思っていたら黒光さんが「玉乃井、少し」と廊下にたまちゃんを呼び出してしまって私だけが一人、取り残される。
「すず子さま、お道具をもって国芳さまのお部屋にいきましょう」
「え、ちょっと……」
「国芳さま、今日は早めにお仕事をおえられるそうなのでよかったですね!!そうだ、お着替えももっていきましょう。すず子さまはまだあちらのお風呂にはいったことがありませんし」
流れるようなたまちゃんの誘導に私は「待って」と言ったのにあれよあれよと言う間に背中を押されるようにお裁縫箱のつづらだけ抱えさせられ、国芳さんのお部屋に向かわされる。
その間、黒光さんの姿は無かった。