怪物公女の母でしたが、子煩悩な竜人皇子様と契約再婚致します
1 プロローグ
――私は、まもなく死ぬ。
この世でただ一人の……心の底から愛した娘の手によって。
私は一体どこから間違ってしまったのだろう……。
問いは虚しく、炎の熱に熔けてゆく。
大公家は今、紅蓮の炎に吞み込まれ様としている。
兵士も使用人も侍女も皆死んでしまった。
残されたのは……主である大公家の当主アレクシスと私だけ。
私達は今、神の罰を受けているのだろう。
灰と硝煙の匂いが、私の胸を締め付ける。
「く……来るな! この……っ化け物……!」
なんて愚かなこと……。
ブルブルと震えながら、それでもまだ最期の瞬間まで親としての威厳を保とうとするだなんて……。
真っ赤な炎の匂いの中に、ゆらりと浮かぶ姿が見える。
命懸けで産んだ、私の唯一の娘エリーンだ。
今、この部屋の中を焼き尽くそうとしている炎の色と競う様な真っ赤な髪色が艶めき、かつては大きな紫水晶の様に輝く美しい瞳が今は氷の様に冷たく光っている。
――あまりにも美しい……。
この世の者とは思えない位美しい娘は多くの人々の命を奪う怪物になってしまった。
「――全部あなた方のせい……。私を怪物にしたのは……。生まれて来なければ良かった……何故私を生んだの? 私は……私は……あぁぁぁぁぁぁ!」
美しかった紫色の瞳が血の色を帯びる。
「かはっ……か、怪物……め……」
夫アレクシスの瞳から赤い滴が零れ落ち、耳や鼻からも血が流れている。
私の世界は終わりを告げているのだ。
もうおしまいだわ。
どうか赦して……。
私は、僅かに動く口をゆっくりと動かした。
「エリーン……私の……娘……」
言葉が泡の様に消えそうになる。
エリーンは何の感情も無い顔で私を見下ろしていた。
笑うべきか、嘲るべきか判じ難い嗤いが漏れる。
「ふふふ……あははははは……私に親はいない! 貴女に罪があるならそれは……私を助けなかった事が罪なんだわ!」
唇が震え、謝罪の言葉だけが何度も胸の奥で繰り返される。
それなのに……。
もう……唇を動かす事も出来ない。
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
私は……心の優しい貴女を怪物にしてしまった。
**
「そこまでだ。公女よ……これ以上罪を重ねるな」
その時だった。
炎の向こうから現れたのは1人の騎士だった。
誰……?
漆黒の艶やかな髪、凛と通った高い鼻梁。
そして真紅の瞳は氷の様に冷たいのに、その美しい瞳から目が離せない。
一度見たら決して忘れる事は無い端正な容貌の騎士だ。
貴方は誰?
一瞬……。
この美しい容貌の精悍な目つきをしたこの騎士が、私とエリーンを救いに来た救世主であったなら……と、おかしな妄想をしてしまう。
そんな事はあり得ないのに。
刃を娘に突き付けるその佇まいは、帝国の命令を受けた者なのだろう。
恐らくこの騎士は帝国からの命令で、私のエリーンを処刑しに来たのだ。
帝国の使い捨ての駒として領土拡大の兵器とされたエリーンは、金と権力に目が眩んだ大公アレクシスの無謀な実験の薬の副作用により、ただでさえ高い魔力が暴走して異能を制御する事が出来ない怪物となってしまった。
「公女エリーン、最期に言い残す事は?」
呆然としていた私の耳に、非情な言葉が聞こえる。
その声は低く、止めるには十分過ぎる程の冷徹さを含んでいた。
「あ……うぅ……」
喉の熱傷で、声がもう……出ない!
止めて
止めて
止めて
お願いです。
娘を殺さないで……。
声が出ない私は涙を流し、目で訴える。
私とエリーンを見つめていた赤い瞳のその人は、とても悲しそうに俯いた。
「――すまない」
私は何度も首を振り、必死に騎士の足に縋りつく。
抵抗する私に戸惑い、その人が一瞬私に注意を向けたその時だった。
――ドスッ――
鈍い軋みと共に、金属が肉を貫く音が響いた。
私が見上げると、エリーンの胸に剣が深く刺さっている。
鮮血が蒼白な肌を赤く染め、美しい紫水晶の様な瞳が揺れた。
「あああああ……エ……リー」
何故?
私の顔に、娘の血がボタボタと落ちて来る。
エリーン
私のエリーン
私の娘。
お願い……こんな……。
「お……母様……私……もう……生きて……いたく……な……」
ポタリ……。
私の頬にエリーンの涙が落ちる。
血と涙が混じる冷たさが、私の体を凍らせた。
あぁ……私はなんて愚かだったのだろう。
貴女は変わらずにずっと私に助けを求めていたのに。
愛しているわ……エリーン……もしも……。
もしも…生まれ変わったら…もう…間違えないわ……。
もう貴女を独りにしない。
だから……だから神よ……。
もう一度あの子に会えます様に……。
***
身体中が引き裂かれる様な痛み。
そして赤ちゃんの泣き声。
これは……?
「おめでとうございます! 大公妃殿下! とても可愛らしい公女様でございます」
え……?
これは……一体?
大公家は燃えて、全員死んだ筈なのに。
今私に向かって涙を流し、喜んで赤ん坊を抱いているのは間違いなく私の侍女だったローラ!
そんな……まさか、これは夢?
ローラがまだこの大公家にいるという事は!
では……ローラが抱いているこの子は!
「私の……赤ちゃん……」
もしも、これが夢の世界ならばずっと覚めないで欲しい。
真っ白で柔らかそうな産着を着た、ふにゃふにゃした赤い顔の赤ん坊が私を見ている。
ローラが赤ん坊を私の腕の中にそっと抱かせてくれた。
震える手で、その小さく弱弱しい存在を抱き締める。
美しい黒髪、紫水晶の瞳……。
あぁ……!
間違いないわ。
私の……可愛い可愛い……。
「――エリーン……私の大切な宝物……」
「まあっ。大公妃殿下はもう公女様のお名前をお決めに?」
ローラが目を丸くする。
私はそっと赤ん坊の頬を指でつついた。
「ずっと、貴女に会いたかったわ。この世に生まれて来てくれて……有難う」
涙が溢れて、ポタリ……とエリーンの頬を濡らす。
「難産でしたものね……。あ、間も無く大公殿下がお見えになります」
ローラの言葉に先程まで味わっていた幸せな気持ちがすうっと消えていく。
「そう……ローラ。喉が渇いたわ。お水を持ってきて頂戴」
あぁ……思い出してしまった。
エリーンが生まれて暫く経ってから、夫のアレクシスがこの部屋を訪れたのだったわ。
そしてあの屈辱的な発言……。
あの頃の私は、ただただ反論するしかなかった。
でも今世では……。
エリーンを抱いたままローラが運んで来た水を飲んでいると、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「マリアンヌ! 生まれたのか! 男の子か?」
「……とても美しい女の子でございます」
――出産したばかりの私を労わろうともしない無神経な男。
私は、エリーンをきつく抱き締めると冷ややかに夫を見上げた。
――そう。ただでさえ無神経なこの男が次に発した言葉に愕然として、あの日私は高熱を出して寝込んだのだったわ……。
「なっ……マリアンヌ! 公女のその髪色はっ……その子は私の娘じゃない!」
言葉が刃の様に突き刺さる。
アレクシスが突然驚大声を上げた。
エリーンが艶やかな黒髪、紫水晶の様な瞳を持った美しい赤ん坊だったからだ。
アレクシスは見事な金髪碧眼で、大変美丈夫な男だ。
そして私はこの帝国でも大変珍しい青みがかった銀髪。
つまり私達二人とは違う髪色の娘。
少し調べれば、私の曽祖父が見事な黒髪だった事が分かる筈なのに……。
この男は初めから私の不貞を疑った。
かつて私はこの男から出産直後に離縁を仄めかされ、深く傷ついたわ。
そして妻の裏切りを疑ったアレクシスの命令で、私とエリーンは大公家の一番北側の寒い部屋に押し込められたのだ。
侍女だったローラはこの時解雇された。
アレクシスは、私との間に出来たこの娘の出生を疑い、二度と私達の寝室を訪れる事は無かった。
エリーンは生まれてから一度としてアレクシスに抱いて貰った事はない。
こんな父親の顔色を窺っていたなんて……。
私は胸に抱いたエリーンを見つめると、グラスに残った水を一気に飲み干した。
そしてにっこりと微笑み、夫に言い放つ。
「――はい。アレクシス様……ですからわたくしと、離縁してくださいませ」
その一言が、薄氷を割る音の様に部屋の中に広がる。
静寂は鋭く、そしてこれがただの始まりに過ぎない事を私だけは知っていた。