怪物公女の母でしたが、子煩悩な竜人皇子様と契約再婚致します

2 消える愛と不変の愛


 「今……なんと? はっ……離縁だと?」

 憤怒に顔を歪めたアレクシスは、私が今飲み干してサイドテーブルに置いたグラスを、迷いなく床に叩きつけた。

 バリ―ンという甲高い音を立てて、砕け散った破片が四方に飛び散る。
 そうすれば、私が生意気な態度を取らない事を知っているから。

 ーーけれど私の心は微動だにしなかった。

 この男は私が怯える姿を見たくてわざとこの様な事を、いつもしていた。

 「きゃあっ! だ、大丈夫ですか? 妃殿下……お怪我は?」

 ローラが青ざめ、私の前に一歩踏み出そうとした。
 カタカタと震えながら、それでも庇おうとする姿に胸が痛む。

 回帰前、ローラは半分幽閉された様な扱いとなった私とエリーンの為に何度もアレクシスに直訴をして、ついに解雇されたのだ。

 ローラは私よりも二つ年上の19歳。
 一方的に解雇された娘が、親からどんな酷い仕打ちを受けるか……。

 「マリアンヌ! 私と離縁? どういう事だ! お前の様な無能で、しかも傷物の女と婚姻してやったのに……裏切っていたのか?」

 アレクシスは使用人達の視線を意識する様に、声を張り上げる。
 怒鳴る度に私の尊厳を踏みにじり、大公妃である私をいつもオドオドした人形の様に扱ってきた男。

 ――婚姻前はあれ程甘い言葉を囁いていたアレクシスは婚姻後徐々に変わっていった。


 私を感情の無い物の様に扱う。
 本当に自分は感情の無い物なのではないか、いや、むしろ心が無ければ傷つくという無駄な感情から解放されるのに。

 「あなたが私に対してわざと使用人の見ている前で怒鳴るやり口……もう飽き飽きしています」

 私は氷の様な冷たい瞳でアレクシスを見返す。

 張り詰めた空気にローラが息を飲んだ。

 「貴方にとって私は感情の無い人形と同じなのですね。子を産んだばかりの妻に対して労いも無く、いきなり自分の子なのか問いただすだなんて……お望み通り答えて差し上げます。アレクシス様、私と離縁して下さいませ」

 その言葉にアレクシスは顔を引きつらせ、私とエリーンを交互に睨みつけた。

 「マリアンヌ……昔の可愛らしかった君は何処へ行ってしまったんだ……こんな風に私を怒らせるとは。君は子が出来てから変わってしまった!」

 捨て台詞と共に、扉を力任せに閉めて出て行くアレクシスに対して何の感情も湧かない。

 エリーンが扉の閉まる大きな音に驚いて泣き出した。

 「よしよし……ごめんなさいね……お腹が空いている様だわ」

 私は胸元に手をかけた。
 ローラがぎょっとして慌てて止める。

 「ひ……妃殿下! 間も無く乳母が来ますので、お待ちを!」

 王族、貴族は子を産んで新鮮な母乳が出るのに乳母に育てられる。
 それが常識なのだ。

 でも私は……。

 これから離縁してここを出て行くのだ。

 エリーンには申し訳ないけれど私は乳母を引き連れてここを出ようとは思っていない。

 「いいえ。この子は今後も私が乳を自ら与えます」

 そう宣言した私は乳が張って張り裂けそうに傷む胸を露わにし、我が子を抱き寄せる。
 小さな唇が乳首を咥えた瞬間、エリーンはピタリと突然泣き止み、力強く乳を吸い始めた。

 張り詰めていた痛みが嘘の様に消えていく。

 ――気付けば、知らないうちに頬を一筋の涙が伝っていた。

 失ったものばかりだと思っていた私には……。
 こんなにも尊いものが与えられていたのだ。

 「妃殿下? 大丈夫ですか? 大公殿下も今頃後悔されていると思います」

 ローラがおろおろと私を慰めるが、私は微笑み首を振った。

 「ふふっ……違うの……私嬉しいの。自分の子に乳を与えられる事が出来て……なんて幸せなのかしら」

 んくっ……んくっ、と小さな喉が鳴る音を聞きながら、私は改めて誓う。

 この子を守る為ならば、どんな事にも耐えてみせる。

 「愛しているわ……私の可愛いエリーン」


 ***


 「くそっ!マリアンヌめ! なんて生意気な態度なんだ……まさかこの私を裏切っていたとはな……」

 アレクシスは飾り戸棚から、ワインを取り出すとグラスに注ぐ事もせずに直に瓶に口を付けて飲み始めた。

 「アレクシス様ぁ~! どうされました?」

 続き部屋の寝室から、乱れた夜着を着ただけの子爵令嬢のミレーヌが欠伸をしながら顔を出した。

 「あの女……大公妃にしてやった恩も忘れて他の男との間に子を……!」

 ――マリアンヌはいつだって私のいう事を従順に聞く賢い女だったのに。

 「ええっ? ひど~い! こんなに素敵な夫がいるのに……ミレーヌは、アレクシス様しか見えませんわ! あの方、頭がおかしいのね!」

 大きく胸のはだけた夜着のままミレーヌがアレクシスにしな垂れかかる。

 「アレクシス様の御子でもないのに、この大公家で育てるおつもりですか? アレクシス様が笑い者になってしまいます。ミレーヌは悲しいです」

 ――ミレーヌはマリアンヌが懐妊してからアレクシスの事をよく気遣い、今では大公家にずっと滞在している可愛い女だ。

 マリアンヌの青みがかった銀髪も勿論そそるのだがこの女のイチゴブロンドのフワフワした巻き毛と、つぶらな子犬の様な潤んだアーモンド色の瞳、幼さが残る顔立ちに似合わぬ豊満な胸としなやかな腰つき……。

 懐妊してから悪阻が酷いだのお腹が張るだの言い訳をして寝室を共にしないマリアンヌの何倍も可愛らしい。

 「フフフ……ミレーヌは本当に可愛らしいな。君は私にいつでも従順だね」

 ちゅ…とミレーヌの首筋にキスを落とす。

 「ああっ……アレクシス様ぁ……大好きですぅ~」

 うっとりと自分の顔を見上げるミレーヌの唇を塞ぎながら、アレクシスはマリアンヌへどんな罰を与えてやろうか考えていた。

 ***

 「ローラ……忙しい貴女にこんなお願いをするのは申し訳ないのだけれど……古物商を呼んで頂戴」

 「え……? 古物商……ですか?」

 私は寝室の調度品や、婚礼の折に持参した宝石箱を確かめる。
 指先で宝石を撫でながら、瞳は未来を真っ直ぐに見据えていた。


 西部の外れにある大公家は、先代大公が急逝してしてアレクシスが引き継いでからどんどん傾いていった。

 あまり作物が育たない雨量の少ない西部の土地、仕事も父親に任せきりで学ぼうともしてこなかったアレクシスは先代大公が亡くなると事業の殆どをピレーネ一族の長老会に一任させてしまった。

 ピレーネ一族はアレクシスを大公として担ぎ上げ、自分達の思い通りに権力を駆使している。

 そんな状態なのに、あの男は私が妊娠して体調を崩し始めた途端に機嫌が悪くなっていった。

 悪阻が酷く、何も口にしたくない状態で吐き気も止まらなかった私は寝室を共にする事は出来ず、その事を口にするとまるで汚物を見る様な蔑んだ瞳で私を見た。


 「マリアンヌ、君は拾ってあげた私に何の恩も感じずに妻としての務めもろくに果たせないんだね……」

 あまりにも悪阻が酷く、あの頃の私は夫が何を言っているのか理解する事が出来なかった。

 しかし、やがて私は彼が大公家に招き入れたミレーヌ子爵令嬢の存在を知る事になり愕然とする。

 表向きは悪阻が酷い私を心配してずっと私の看病をしてくれる心優しい友人、という事になっていたらしい。
 しかし彼女は私の知り合いではなく、アレクシスの愛人だったのだ。

 まだ未婚の年若い令嬢におかしな噂が立つのは可哀想だ、というアレクシスの言葉に私は泣いた。

 ――では、私は?

 あなたの子をこの身体に宿し、毎日悪阻に苦しむ私は可哀想ではないと言うの?

 酷い悪阻のせいで、ミレーヌが大公家に住み着く事になっても私は抗議する事も出来なかった。

 回帰した今なら分かる。
 アレクシスは、侯爵家の持参金とその後の援助が欲しくて私と婚姻したのだ。

 アレクシスと離縁して大公家を出たら、何処か小さな町でエリーンと2人で暮らしたい。

 でも生まれたばかりのエリーンを抱えて身一つで出る訳にはいかないわ!

 宝石箱を持つ手に力を籠める。

 (これを売れば、きっとエリーンと共に生きていける)

 あとは……。

 私は机に向かい、ある人物宛てに手紙を書いた。
 インクに滲む文字を見つめながら、改めて決意する。

 私はもう……二度と誰の傀儡にもならない!
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