怪物公女の母でしたが、子煩悩な竜人皇子様と契約再婚致します

30 舞踏会の招待と迫りくる危機


 第二皇子フィリップから届いた舞踏会の招待状と豪華なドレスを前に、マリアンヌは深い溜息をついた。

 フィリップ皇子の人形を思わせる美しい顔……。
 そして感情の無い氷の様なアイスブルーの瞳に見つめられると、まるで心の奥底を見透かされている様な落ち着かない気持ちになる。

 胸の奥に不安が巣を作り、マリアンヌは何度も招待状を握り潰したくなる衝動に駆られた。

 「マリアンヌ様、嫌でしたら……お断りされてもよいのでは……」

 心配そうなローラの声が張り詰めた空気を和らげる。

 「あ、ほら! エリーンお嬢様もそう仰ってます!」

 まだ、『あ~』としか声を出せない娘の代弁をするローラにマリアンヌは思わず吹きだし、緊張で固まっていた頬がようやく緩んだ。

 ――エリーンは今、手に触れるもの全てを口に入れてしまう時期で目を離せば、何を飲み込んでしまうか分からない。
 だからこそ、マリアンヌはローラや侍女達が傍にいても、母として完全に安心など出来なかった。

 それでも……。

 フィリップ皇子が残した含みのある言葉が心に引っかかって離れない。

 まるでテオドールの安否を知っているかの様な口ぶりだった。

 重苦しい逡巡の末、マリアンヌは舞踏会の招待を受ける決意をした。


 ***


 次の日の夜、宮殿の舞踏会の広間は、金糸を織り込んだ垂れ幕と無数の燭台が輝き、天井に吊るされた水晶のシャンデリアが星の様に煌いていた。

 戦勝を祝う華やぎに満ちた場……。

 けれど、マリアンヌの護衛で宮殿の広間に待機していたルイスは冷たい瞳をしていた。

 戦地で最も血を流してきた戦争の英雄テオドールの姿はここにはない。
 今もなお、ルイスの主君テオドールは魔獣の討伐に駆り出されているのだ。
 贅の限りを尽くした宴を見渡すその瞳は、まるで真冬の氷原のごとく冷ややかだった。

 ――やがて、広間の華やかなざわめきが一斉に静まった。

 人々の目が静かに登場したマリアンヌの姿をひと目見て息を吞む。

 月光そのものを織り込んだかの様な銀糸で仕立てられたドレスに身を包んだ姿にあちこちから溜息が漏れた。
 歩む度に裾が淡い光を放ち、氷の花弁を連ねた様な繊細な刺繍が揺れて、美しさの中に可憐さも秘めている。

 青みがかった銀髪は宝石を散らしたかの様で、紫水晶を思わせる輝く菫色の瞳は、どんな華美な装飾よりも美しく澄み、見る者を魅了した。

 「――なんという美しさ……。何処のご令嬢だろう」
 「見た事が無いご令嬢ですね……。まるで月の女神の様だわ」

 羨望と賞賛の囁きが次第に波紋の様に広がっていく。

 その気配にマリアンヌの背後に控えていたルイスが小さく身を寄せ、小声で囁いた。

 「マリアンヌ様、この広間にいる全員の目が貴女様に向いております。お気をつけて」

 その言葉には獲物を狙う獣を察知した鋭い緊張を含んでいる。

 しかしマリアンヌは、何故自分が注目されているのか理解が出来ず、困惑の色を浮かべた。

 「そ……そうですね……。少し派手なドレスですものね……」

 無自覚なマリアンヌにルイスが溜息をつく。

 「――なるほど……。檻の中で飼われていた子ウサギは、己の価値に無自覚という事ですね」

 マリアンヌがルイスの言葉の意味を問いただそうと口を開きかけたその時だった。

 ***

 ――広間にファンファーレが鳴り響き、重い扉が開かれる。

 皇帝ルードヴィッヒ、皇后ロゼリア、王太子マクシミリアン、第二皇子フィリップが姿を現した。

 皇后の瞳がマリアンヌを射抜いた瞬間、凍りついた視線に思わず背筋に寒気が走る。


 ――冷ややかな視線でマリアンヌを見下ろしながら、皇后ロゼリアは昨夜の晩餐を思い出していた。

 フィリップが軽やかな口調で「テオドールの想い人を舞踏会に招いた」と告げた瞬間。

 皇帝は楽し気に杯を掲げ、マクシミリアンは表情を固めた。

 けれど、ロゼリアにとってそれは好都合だった。

 (側妃の子が幸せになる未来は絶対にあり得ないのだから……)


 ――王太子マクシミリアンは言葉を失っていた。

 昨夜、晩餐の席でテオドールの恋人の名を聞いた時に感じたのは嫌悪感だったのに……。

 旧友アレクシスを破滅に追いやった毒婦――そう信じて疑わなかった。

 なのに今……目の前にいるのは、清らかで天使の様な女性だ。

 視線を逸らす事が出来ずに、マクシミリアンの胸の奥には得体の知れぬざわめきが広がっていった。


 ――皇帝ルードヴィッヒはじっとマリアンヌを見つめると、胸の奥で嗤った。

 昨夜はフィリップ皇子の気まぐれな余興を聞き、笑い飛ばした筈だった。
 しかし今、目の前に立つ女の輝くばかりの美貌に、かつて自らを狂わせた美しいタシア王女の幻影が重なる。

 やはりテオドールは私の息子だ。
 女に翻弄される血は争えないものだ、と自嘲する声が心の中で密やかに響いた。


 ――第二皇子フィリップは満足そうに頷いた。

 (へぇ……。あの派手なドレスがこの女が身に纏っただけで、こうも清楚に見えるとは……。やはり興味深いな。私のコレクションの宝石達で飾り立てたらどんな姿になるのかな?)

 ――大広間の中央で、燭台の灯と水晶のシャンデリアの光が幾千もの星の様に瞬く。

 弦楽器の最初の旋律が静かに流れだす刹那――。

 フィリップ皇子は、美しい所作でマリアンヌの前に一歩進み出た。

 周囲の貴族達の視線が一斉に集まり、固唾を飲んでこの光景を見守る。

 (素晴らしい……。この美しい私のお人形は、今宵の舞踏会の主役になっている。そして、この舞台を用意したのは他でもない……この私だ)


 「――美しいレディ……。どうか、ファーストダンスを私に……」

 低く甘やかな声が響いた瞬間、見守る貴族令嬢達から声にならない吐息が聞こえ、羨望の眼差しが向けられた。

 しかし、その言葉はまるで柔らかな鎖に囚われた様に感じる。

 フィリップ皇子の伸ばした手を、マリアンヌはじっと見つめていた。


 ***

 その頃、舞踏会の広間から離れた奥まった廊下の一室からは、可愛らしい赤ん坊の声が聞こえていた。

 そこは、エリーン専用に用意された控室だ。

 厚いカーテンで外の喧噪を遮り、子供用のベッドが置かれた室内で、ローラと数人のメイド達がエリーンの世話に追われている。

 「エリーンお嬢様はやはり天才だわ! 初めて入るお部屋なのに緊張もされずにこんなにニコニコされるなんて!」

 ローラがにっこり微笑みエリーンを見つめると、小さな手でローラの袖口をギュッと握りながらキャッと笑う。

 その傍らには、ローラ考案の育児用魔道具が置かれている。

 それは、エリーンの視線に合わせて光の小鳥がふわりと飛び回り、澄んだ囀りを響かせる魔法のモビールだ。

 小鳥たちは本物の鳥の様に羽ばたき、時には指先に止まる様な仕草を見せ、エリーンは光る小鳥を追いかける様に手を伸ばしている。

 ――舞踏会のざわめきとは隔絶された温かな空間に、小さな笑い声が響き渡っていた。


 ***
 煌びやかな舞踏会の喧噪の裏で、カレンは異能の眼を閉じ、心を研ぎ澄ませていた。

 カレンの意識は今、厚い壁を越えて、宮殿の奥深くに設けられた「エリーン専用の控室」へと伸びてゆく。


 そこには、マリアンヌと瓜二つの美しい菫色の瞳の可愛らしいエリーンが笑っている姿が映った。

 その周囲には、優しくエリーンをあやすローラと、世話に忙しく立ち働くメイド達。
 育児魔道具の光の小鳥が囀り、楽し気な笑い声が聞こえてきそうな幸せな空間だ。

 その光景に触れた瞬間、カレンの奥歯が軋んだ。

 「――なんて幸せそうな……」

 カレンの胸を最も苛立たせたのは、マリアンヌの存在だけではない。

 フィリップ皇子が、エリーンの成長を報告する時に浮かべる柔らかな笑み。

 それは、愛犬を愛しむかの様な無防備な優しさで、カレンには一度も向けた事が無い眼差しだった。

 「あの方達が来てから、フィリップ皇子殿下は変わってしまった……。もう私には興味すら見せては下さらない……」

 知らず知らずのうちに、胸の奥が歪み、毒の様な妬みがカレンを蝕んでいく。
 けれど、この感情が妬みである事すら認める事が出来ずにいた。

 「そうよ……あの親子がいる限り殿下は堕落していくの……完璧な皇子殿下ではなくなる……」


 ***


 カレンは用意していた宮殿のメイド服に身を包むと、使用人達に紛れた。
 エリーンの控室から水壺を抱えて廊下に出て来たメイド達へ近づき笑みを作る。

 「――お疲れ様。こちらマリアンヌ様からのお心遣いです。皆様で召し上がって下さい。水壺は私がお預かりして、新しい物をお持ち致します」

 茶器を差し出し、囁くだけでメイド達はすっかり騙された。


 ――やがて控室に戻ったメイド達の手には、香り高い紅茶と色鮮やかな菓子が並んでいた。

 「まあっ……! マリアンヌさまから?」

 ローラは感激し、メイド達と共にささやかなお茶会を楽しむ。

 可愛いエリーンをあやしながら、ローラ達は束の間の休息に胸をほぐされていった。


 「あ……あら……な、なんだか……急に……眠く……」

 ローラの瞼が急速に重たくなり、やがて菓子を頬張っていたメイド達も椅子にもたれかかり、茶器を手にしたまま意識を手放していく。

 ――カタリ……と静かに茶器が揺れる音が妙に大きく響いた。


 静まり返った控室にゆっくりと、殺気を帯びた影が迫る。

 ユラリと伸びたカレンの手が、蝋燭の灯りを遮りエリーンの顔に影を落とす。

 カレンの細い指先が、まるで氷の刃の様に、赤子の頬へと伸びる。

 「――あう……」

 無垢なエリーンが何も知らずにその手に笑いかけた。

 息がつまるほどの静寂の中――。

 冷たい指がついに柔らかな肌に触れようとしていた。

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