薄氷の城

第 23話 誕生

 結局、ヴィレムはエルンストとゾフィーにユリアーナが里帰りする事になった経緯の説明や謝罪をする事なく、十一月も半ばを過ぎた。それでも、フェイルの説教はヴィレムに効き目があったようで、週に一度ユリアーナの好きな果物や時には子供用の柔らかな布などを送ってきていた。
 
「お母様、ドロテアも出産したばかりで私までごめんなさい。」
「いいのよ。」

 ゾフィーは慣れた手つきで刺繍を刺している。
 ボーがザクロのコンポートがかかっているヨーグルトをゾフィーとユリアーナの前に置いた。ザクロはヴィレムから送られてきたユリアーナの好物だった。ヨーグルトに手を伸ばそうとしたユリアーナは少し苦しそうな顔をする。

「大丈夫?」
「えぇ。少しお腹が張っていて。でも、平気よ。ありがとう。」
「旦那様がね、もし公爵家に居場所がないのならここにずっと暮らしていて構わないと言っていたわ。」
「心配させてごめんなさい。でも、大丈夫よ。」

 ゾフィーは刺繍の手を止める。
 
「私たちは、あなたに ‘大丈夫’ としか言わせてこなかったわね。今回あなたが里帰りで出産したいと言った時に、あなたにお願い事をされたのはどれくらい振りだろうと考えたの。不出来な親でごめんなさいね。あたなに ‘助けて’ と言える環境を作ってあげられなかった。」
「そんなことないわ。」
「アンナにね、前に言われたの。ユリアーナが嫌だと言わないことを良いことに、自分たちがして欲しいことばかりを押しつけていたんじゃないかって。返す言葉がなかったの。だから、いつまででもここに居ていいのよ。居て頂戴。遅いけれど、私たちに甘えて欲しいわ。」

 ユリアーナは、子供を(なだ)めるときのようにゾフィーに向って優しく笑った。

「ありがとう。二人の言葉に甘えるわ。この子が生まれて落ち着くまで暫くここでお世話になるわ。でもね、私、今まで嫌々でやっていた事なんて一つもないのよ。今までやってきたことは全て、お父様やお母様に言われたからじゃない。自分が決めてきた。お父様もお母様も最後の決定権は必ず私にくれていたでしょう?私は自分がやりたいことをやってきたのよ。それだけは覚えていて。」


∴∵


 十二月に入ってすぐに、イルサが産気づいたと連絡が入り、ヴィレムは馬を走らせ城に帰った。
 イルセが産所に入ってから半日ほど経った日暮れ時、ようやく泣き声が響いた。
 しばらくして産所から出てきたフェイルは、ヴィレムに元気な男の子だと伝えた。

「もう入ってもいいか?」

 フェイルは笑顔で頷く。
 部屋に入り、フェイルから我が子を託される。ヴィレムにとっては三年ぶりに抱く新生児だった。

「こんなに小さいのか…。いつ剣は握れる様になるのか、いつ一緒に戦記を読み話し合うことが出来る様になるのか…楽しみだ。イルセ、よく頑張った。」

 イルセは静かに頷いた。ヴィレムは、その子を抱いたまましばらくそこで過ごしていた。
 夜になり、イルセは幸せそうに眠っている。そこへ、執事のブラームが入ってきた。彼もヴィレムを幼いときから見ている一人だ

「ブラーム、名前はずっと前から決めていたんだ。このアルテナ公爵の初代で、忠臣として有名なアンドレ公の名前を頂こうと思っている。アンドレ・アルテナだ。」

 ベットでぐっすり寝ている我が子を覗きこみながらヴィレムは話す。その声は穏やかだ。しかし、ブラームからの返事がなく、どうしたのかと、彼の方へ振り向いた。

「今先ほどフェルバーン家より知らせが参りました。奥様も無事にご出産との事でございます。」

 ヴィレムは再び、ベッドで眠っている息子に視線を戻す。
 
「そうか。では、労いの言葉を馬で知らせに行ってくれ。ユリアーナは、イルセの様子が落ち着くまで、フェルバーンで過ごすと手紙が来ていた。名前はあちらで決める様に言ってあるから、エルンストが名前を決めたら連絡が来るだろう。」
「男のお子様だそうでございます。」
「何?」

 ヴィレムは勢いよくブラームの方に振り向く。
 
「名前が決まり次第、アルテナ公爵家の王子として称号を頂けるよう陛下へ届け出ても良いかと伺いが来ています。」
「待て、ユリアーナの子は何時に生まれたのだ?」
「一時間ほど前だそうです。」
「では、こちらの方が、先か…。」

 しばらくベッドの我が子を見つめる。

「…エルンストには届けは私から出すと…それとフェルバーンへ明朝行くと伝えてくれ。」

 ブラームは無言で小さく頷き、部屋を出た。
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