薄氷の城
第 24話 ままならず
十二月の半ば、ヴィレムの居城のオモロフォ城は賑やかだった。
ヴィレムに男子が生まれたことは、瞬く間に貴族間で話題になり、次から次へと祝いの品が城に届けられていた。それを見越して使用人を増やしていたが、処理は追いつかず、一室が祝いの品で埋め尽くされている。
今日も、祝いの品を乗せた馬車の蹄の音や、短く嘶く声が絶え間なく聞こえていた。
「ネス。最近、外は随分と賑やかね。」
「はい。アルテナ公爵家に跡継ぎ様がお生まれになったことで、色々なお家から祝いの品が届いております。」
「あら、ならばお礼状を書かないとね。」
ネスは、イルセの方を見て微笑む。
「そのような事は、旦那様がなさってくれます。イルセ様は体調の回復にお努め下さい。」
「ありがとう。でも、ニコラスの顔を見たら元気になれると思うのだけど。」
「ニコラス様は健やかにお育ちです。」
「公爵家はままならないわね。自分が産んだ子にも自由に会えないなんて。でも次の公爵なのだし、仕方ないわよね。乳母はどんな方なのか、そろそろ会いたいのだけれど。」
「一度、こちらへご挨拶に来るように言付けます。」
「お願いね。それと、大きくなってからの教育係は母方の男兄弟がする事が慣例になっていたわよね?兄さんにお願いをしておかなくちゃいけないわね。次期公爵の教育係ですもの、兄さんにも色々と勉強をしておいてもらわなくちゃね。」
穏やかに話すイルセを見て、ネスは何も言わず食事の準備を始めた。
∴∵
「アンドレはどうだ?」
フェルバーンのエントランスで、この屋敷の執事長のラウが出迎える。
「本日も、大変健やかにお過ごしでございました。」
「そうか。」
満足げに頷くヴィレムをラウは本館の客間に案内する。
「アンドレとユリアーナが居る別館の方へ案内してくれれば、そちらで過ごすのだが。」
「いいえ、あちらは殿下がお過ごし頂ける様には整っておりませんので。」
「ユリアーナから以前に、別館は何代目かの当主の妻で王女だった方が趣向を凝らして建てさせたと聞いたことがあったが…」
「はい。左様でございます。しかし、それから百年以上経っております。補修などはしておりますが、今はただ古い建物になっておりますので。」
そこへ、声かけがあり扉が開いて入って来たのはウィルヘルミナだった。
「ウィルヘルミナ、何してる?」
彼女は笑って、ラウに視線を遣った。
「すぐにお茶をお持ち致しますので。」
「えぇ。お願いしますね。」
ヴィレムの向かいの席に座る。
「何をしてるのかと聞いているんだが。」
「弟が生まれてとても喜んでいる可愛い姪に会いに来ていましたの。」
フェルバーン家のメイドが、紅茶を運んで来た。
「随分とこの家に慣れているみたいだが。」
「えぇ。お義姉様が里帰りしてからはこちらに招待して下さっていましたから。可愛い姪に会いたくなってしまいまして、迷惑かと思いながら度々お邪魔させて頂いていましたの。」
夜空を連想させるような深い青の地に、艶やかな橙色の糸と銀糸で刺繍が施されているデイドレスは、妖艶な微笑みを浮かべるウィルヘルミナの雰囲気に合っている。
「ウィルヘルミナ、随分と印象が変ったな。」
「そうでしょうね。兄上は私に興味などなかったから、私がよくまとわりついていた時の印象しかないのでしょうけれど。それはもう十年以上前の事ですよ。子どもだった私も成人して子を成せるくらいに成長するほどの年月です。」
ヴィレムは、はぁーっとため息を吐く。
「私は、アンドレに会いに来たんだが、何故ウィルヘルミナが来る?」
「アンドレは、良く寝ています。兄上が抱いたら起きてしまって、乳母が大変でしょう?」
「それが仕事だろう。」
「マリケの仕事は、アンドレを健やかに育てること。兄上の自分勝手な行いに付き合うことではありません。昼夜問わずやってきて、泣こうが何しようがお構いなしに抱っこして自分が満足したらお帰りになる。土産だと言って、首も座っていない子に戦記や史書を山積みに用意する。お義姉様はきっと兄上にはお話しになっていないでしょうけれど、これまでの一連のこと、お祖母様は大変お怒りでいらっしゃいましてよ。」
「何をだ?」
「素知らぬふりですか?それとも本当に知らないとお思いですか?」
ウィルヘルミナは、真っ直ぐにヴィレムを見つめる。その顔が母よりも祖母に似ていると思ったのは、状況がそう感じさせるのかもしれないと、ヴィレムは思った。
何も答えないヴィレムに対し、呆れたように軽いため息を吐く。
「イルセの事です。それに、エフェリーンとマリアンネへの扱いもです。」
ウィルヘルミナは、一通の封筒を差し出す。ヴィレムは、宛名の字で差出人を察する。
「そこに書いてありますが、兄上がお義姉様やエフェリーン、マリアンネへの接し方を改めない限り、お義姉様はオモロフォ城へは帰りませんよ。もちろんアンドレもです。このお屋敷には兄上に強く言える人間がいないと思いましてね、お祖母様の侍女ヘンリエッテとフェイルがしばらくこのお屋敷のメイドとして仕える事になりました。お祖母様の字でそう書かれていますでしょ?」
紅茶を一口飲んで、ニッコリ笑いながらティーカップを置く。
「お祖母様のご様子は、立腹なんて可愛いものではございませんよ。そのお手紙も王妃の印章を押印する勢いでしたのよ。それを公文書にしてはいけないと私がお止めしたのです。それはそうでございましょう?お祖父様を使ってまでも無理矢理にしたご結婚なのに、三年で側妻を作り、その娘をまるで女主人の様に扱っていたとか。お祖父様もお祖母様もフェルバーン家に合わせる顔がないとお嘆きでした。」
驚いたような、困った様な複雑な表情をするヴィレムに向ってウィルヘルミナは、わざとらしく眉を下げる。
「そんなお顔されてもだめですよ。今までの全て、両陛下のお耳に入っています。フェイルからも忠告があったでございましょう?…と言う訳で、今日はお帰りになった方がよろしいかと存じます。」
そう言って、外で待機していた執事長のラウを呼んだ。
「兄上はアンドレが寝てしまったから、今日はお帰りになるそうです。馬車の準備をお願い致します。」
「畏まりました。」
ウィルヘルミナはラウが部屋から出て行くのを見守って、ヴィレムの方へ向き直った。
「母がああなのだから、無理もないことだとは思いますけれど…女を軽んじるのも大概になさいませ。その女がいなければ、兄上は息子をその手に抱くことも出来なかったのですよ。兄上が今、歩いている道はもう行き詰まっておりましてよ。今、改心しなければその先はございません。心なさいませ。かわいい妹として、兄上がお義姉様に愛想尽かされていないことを心よりお祈り致しますわ。」
ウィルヘルミナは、その場に立って、ヴィレムを見下げると、光るような笑顔を見せた。
ヴィレムに男子が生まれたことは、瞬く間に貴族間で話題になり、次から次へと祝いの品が城に届けられていた。それを見越して使用人を増やしていたが、処理は追いつかず、一室が祝いの品で埋め尽くされている。
今日も、祝いの品を乗せた馬車の蹄の音や、短く嘶く声が絶え間なく聞こえていた。
「ネス。最近、外は随分と賑やかね。」
「はい。アルテナ公爵家に跡継ぎ様がお生まれになったことで、色々なお家から祝いの品が届いております。」
「あら、ならばお礼状を書かないとね。」
ネスは、イルセの方を見て微笑む。
「そのような事は、旦那様がなさってくれます。イルセ様は体調の回復にお努め下さい。」
「ありがとう。でも、ニコラスの顔を見たら元気になれると思うのだけど。」
「ニコラス様は健やかにお育ちです。」
「公爵家はままならないわね。自分が産んだ子にも自由に会えないなんて。でも次の公爵なのだし、仕方ないわよね。乳母はどんな方なのか、そろそろ会いたいのだけれど。」
「一度、こちらへご挨拶に来るように言付けます。」
「お願いね。それと、大きくなってからの教育係は母方の男兄弟がする事が慣例になっていたわよね?兄さんにお願いをしておかなくちゃいけないわね。次期公爵の教育係ですもの、兄さんにも色々と勉強をしておいてもらわなくちゃね。」
穏やかに話すイルセを見て、ネスは何も言わず食事の準備を始めた。
∴∵
「アンドレはどうだ?」
フェルバーンのエントランスで、この屋敷の執事長のラウが出迎える。
「本日も、大変健やかにお過ごしでございました。」
「そうか。」
満足げに頷くヴィレムをラウは本館の客間に案内する。
「アンドレとユリアーナが居る別館の方へ案内してくれれば、そちらで過ごすのだが。」
「いいえ、あちらは殿下がお過ごし頂ける様には整っておりませんので。」
「ユリアーナから以前に、別館は何代目かの当主の妻で王女だった方が趣向を凝らして建てさせたと聞いたことがあったが…」
「はい。左様でございます。しかし、それから百年以上経っております。補修などはしておりますが、今はただ古い建物になっておりますので。」
そこへ、声かけがあり扉が開いて入って来たのはウィルヘルミナだった。
「ウィルヘルミナ、何してる?」
彼女は笑って、ラウに視線を遣った。
「すぐにお茶をお持ち致しますので。」
「えぇ。お願いしますね。」
ヴィレムの向かいの席に座る。
「何をしてるのかと聞いているんだが。」
「弟が生まれてとても喜んでいる可愛い姪に会いに来ていましたの。」
フェルバーン家のメイドが、紅茶を運んで来た。
「随分とこの家に慣れているみたいだが。」
「えぇ。お義姉様が里帰りしてからはこちらに招待して下さっていましたから。可愛い姪に会いたくなってしまいまして、迷惑かと思いながら度々お邪魔させて頂いていましたの。」
夜空を連想させるような深い青の地に、艶やかな橙色の糸と銀糸で刺繍が施されているデイドレスは、妖艶な微笑みを浮かべるウィルヘルミナの雰囲気に合っている。
「ウィルヘルミナ、随分と印象が変ったな。」
「そうでしょうね。兄上は私に興味などなかったから、私がよくまとわりついていた時の印象しかないのでしょうけれど。それはもう十年以上前の事ですよ。子どもだった私も成人して子を成せるくらいに成長するほどの年月です。」
ヴィレムは、はぁーっとため息を吐く。
「私は、アンドレに会いに来たんだが、何故ウィルヘルミナが来る?」
「アンドレは、良く寝ています。兄上が抱いたら起きてしまって、乳母が大変でしょう?」
「それが仕事だろう。」
「マリケの仕事は、アンドレを健やかに育てること。兄上の自分勝手な行いに付き合うことではありません。昼夜問わずやってきて、泣こうが何しようがお構いなしに抱っこして自分が満足したらお帰りになる。土産だと言って、首も座っていない子に戦記や史書を山積みに用意する。お義姉様はきっと兄上にはお話しになっていないでしょうけれど、これまでの一連のこと、お祖母様は大変お怒りでいらっしゃいましてよ。」
「何をだ?」
「素知らぬふりですか?それとも本当に知らないとお思いですか?」
ウィルヘルミナは、真っ直ぐにヴィレムを見つめる。その顔が母よりも祖母に似ていると思ったのは、状況がそう感じさせるのかもしれないと、ヴィレムは思った。
何も答えないヴィレムに対し、呆れたように軽いため息を吐く。
「イルセの事です。それに、エフェリーンとマリアンネへの扱いもです。」
ウィルヘルミナは、一通の封筒を差し出す。ヴィレムは、宛名の字で差出人を察する。
「そこに書いてありますが、兄上がお義姉様やエフェリーン、マリアンネへの接し方を改めない限り、お義姉様はオモロフォ城へは帰りませんよ。もちろんアンドレもです。このお屋敷には兄上に強く言える人間がいないと思いましてね、お祖母様の侍女ヘンリエッテとフェイルがしばらくこのお屋敷のメイドとして仕える事になりました。お祖母様の字でそう書かれていますでしょ?」
紅茶を一口飲んで、ニッコリ笑いながらティーカップを置く。
「お祖母様のご様子は、立腹なんて可愛いものではございませんよ。そのお手紙も王妃の印章を押印する勢いでしたのよ。それを公文書にしてはいけないと私がお止めしたのです。それはそうでございましょう?お祖父様を使ってまでも無理矢理にしたご結婚なのに、三年で側妻を作り、その娘をまるで女主人の様に扱っていたとか。お祖父様もお祖母様もフェルバーン家に合わせる顔がないとお嘆きでした。」
驚いたような、困った様な複雑な表情をするヴィレムに向ってウィルヘルミナは、わざとらしく眉を下げる。
「そんなお顔されてもだめですよ。今までの全て、両陛下のお耳に入っています。フェイルからも忠告があったでございましょう?…と言う訳で、今日はお帰りになった方がよろしいかと存じます。」
そう言って、外で待機していた執事長のラウを呼んだ。
「兄上はアンドレが寝てしまったから、今日はお帰りになるそうです。馬車の準備をお願い致します。」
「畏まりました。」
ウィルヘルミナはラウが部屋から出て行くのを見守って、ヴィレムの方へ向き直った。
「母がああなのだから、無理もないことだとは思いますけれど…女を軽んじるのも大概になさいませ。その女がいなければ、兄上は息子をその手に抱くことも出来なかったのですよ。兄上が今、歩いている道はもう行き詰まっておりましてよ。今、改心しなければその先はございません。心なさいませ。かわいい妹として、兄上がお義姉様に愛想尽かされていないことを心よりお祈り致しますわ。」
ウィルヘルミナは、その場に立って、ヴィレムを見下げると、光るような笑顔を見せた。