薄氷の城
第 33話 旅路での話し
ユリアーナは、ヴィットーリオの側妃マリーナと二人でアルテナ公爵家の馬車に揺られている。
モナハドール離宮を出発する時、ヴィットーリオから馬車に同乗しないかと誘われたヴィレムは、その申し出を受け入れた。しかし、エシタリシテソージャでは成人女性が身内や婚約者や配偶者以外の男性と馬車に乗ることがない。そこで、マリーナはアルテナ公爵の馬車に乗ることになった。
「私は、小さな頃からヴィットーリオ様の側妃になることが決められておりまして、夜会などにも参加を致しませんでしたから、同年代の方とこうしてご一緒させて頂くことが少なくて…今日はとても嬉しゅうございます。」
「私も、マリーナ様とご一緒出来てとても嬉しく存じます。」
「今回、ユリアーナ様も、お子様の縁組みのことでプリズマーティッシュへおいでになりますの?」
「ユリアーナ様もとは?」
「私は、レオナール陛下のご令孫とこれから生まれる我が子とを縁組みさせるためにプリズマーティッシュへ参ります。」
「今、ご懐妊中でございますの?」
「いいえ。まだ、その兆候はございません。」
そう言って、笑顔を見せるマリーナに釣られてユリアーナも笑顔を作る。
「でも、プリズマーティッシュの王妃には良くない噂がございますでしょう?」
ユリアーナは一瞬フロリアナとの会話を思い出したが、何も言わなかった。
「ご存知ありませんか?リオ様が王妃となってから、レオナール陛下のご側妃様方が次々に身罷ったと言う話し。それに、最初レオナール陛下と結婚する予定だったのは、リオ様ではなかったのです。」
∴∵
今から三十年余り前。
ゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンは三百年振りの異世界人の召喚術を行いました。そして、二人の異世界人が渡り人として渡ってきました。一人は、救世主として偉大な力を持ったトシコ様。もう一人は普通の渡り人として渡ってきた、現王妃のリオ様。
救世主のトシコ様はその力で過去に国一つを根絶やしにした事のある上級の魔獣を討伐されたり、数々のご活躍をされていたそうで、レオナール陛下は、この救世主トシコ様を大変大切になさっていたそうでございます。
レオナール陛下はご自分でトシコ様をエスコートする舞踏会などには、陛下の色である深紅のドレスをトシコ様に纏わせ、ご出席なさっていたそうでございます。
えぇ。そうです。ユリアーナ様は博識でいらっしゃいますね。プリズマーティッシュで今上王の色を纏い、王のエスコートで社交界へ出ると言う事は、正妃か婚約者などの、正式なパートナーだと言う意味です。正式に婚約を結ぶ前からトシコ様にそのような接し方をするほど、救世主様の事をご寵愛なさっておいでだった。と言う事なのだと思います。
一方で渡り人だったリオ様はサボり癖があると有名だったらしいのです。その為に、本来なら救世主かどうかに関わらず渡り人なら誰しもが与えられる爵位もリオ様には与えられなかったと聞いています。そんな中、魔物が現れ、トシコ様はその討伐の際に命を落としてしまわれた。レオナール陛下は、その敵討ちに自ら向われて、見事に魔物を討伐された。この、世界の平和を懸けたお二人の悲恋はエシタリシテソージャでもとても有名で、劇にもなったほどです。
とても魔力の強かったトシコ様と結婚をするはずだった王の結婚相手を、もう一人の渡り人にする事は、国政を考えれば自然なことだったでしょう。しかし、レオナール陛下は、現在大変後悔をなさっているのではないでしょうか…。
なぜならば、リオ様が王妃になってから後宮には異変が現れ始めたそうですから。
リオ様が王妃となられた時、既に第一王子と第一王女をご出産なさっていた、ゲウェーニッチ王国の公爵令嬢だったアリーチェ妃。アリーチェ妃の侍女と、レオナール陛下の侍女が共謀しリオ様暗殺を企てた。それは未遂となりましたが、侍女たちはその時のリオ様の流産により、王族を殺害したことで処刑され、アリーチェ妃も幽閉されてしまった。
しかし、王妃の暗殺未遂などは一生幽閉でもおかしくはないのに、彼女はたった三年で幽閉を恩赦され、間もなく儚くなられた。
そこで、囁かれたのがリオ様の暗殺計画などはなく、流産はただ起った不幸なのではないかと言う噂です。母妃の幽閉で、第一王子と第一王女は王籍ではなくなったそうです。
それもこれも、寵愛を受けていたアリーチェ妃と、その子供たちを目障りに思ったリオ様が彼女たちを排除するために全てねつ造したのではないか?それに気が付いたレオナール陛下が、恩赦したのではないか?我が子たちを臣籍へ落としたのも、リオ様の魔の手から守るためだったのではないか?…と。
レオナール陛下のもう一人の側妃様も騒動の最中に突然死をなさったと聞きました。彼女はレオナール陛下の母、アデライト王太后陛下の侍女をしていた方で、アリーチェ様より先に側妃になったそうです。
一番長くレオナール陛下に仕え、信頼も厚かった彼女をリオ様が妬んだために殺されたとの噂も…。
それに、ゲウェーニッチ王国出身のアリーチェ妃ですが、元は我が国の王太子殿下の側妃になるはずだったそうなのです。それをレオナール陛下は横からかっ攫うような形で側妃にしたと聞きました。レオナール陛下はそれほどまでにアリーチェ妃を見初めていらしたと言うことでございましょう。トシコ様とアリーチェ妃、レオナール陛下が寵愛したお二人に、長く仕えて信頼されていた側妃。それに、王位を継承するはずの王子。リオ様が不快に感じるであろう人々がこうも都合良く…そう思いませんか?
∴∵
実年齢は三歳年下だったとユリアーナは記憶していたが、それよりもずっと幼い印象の、噂好きの少女といった雰囲気そのままに大人に成長したマリーナをユリアーナは優しく見守る。
「マリーナ様はプリズマーティッシュについてとてもお詳しいのですね。エシタリシテソージャはプリズマーティッシュへの留学が盛んだと聞いていましたが、留学の時にお詳しくなったのですか?」
「私は、留学しておりません。婦女子に学びは不必要でございますから。労働するうえでは必要になることもあるかと存じますが、私共には無縁のことでございますわ。」
マリーナの一点の曇りもない笑顔に、ユリアーナは切ない気持になる。
「しかし、私のメイドなどは留学経験がございますので、メイドたちに今回の外遊に合わせて色々聞きましたの。」
「そうでしたか。」
「そんな怖い王妃のいる国に外遊だなんて本当は嫌だったのですが、実は、アリーチェ妃は私の祖母の又従姉妹なので、アリーチェ妃のお子様であるフェルナン様にお会いできないかと思って。私の曾祖母は今は滅亡したアルドマルジザットの出身なのです。」
ユリアーナは、思案した。アルドマルジザットは六十年程前にエシタリシテソージャに滅亡に追い込まれた国だ。血を重んじるエシタリシテソージャが、アルドマルジザットの平民の血を王族に入れるわけはないと考えると、彼女の高祖父母はアルドマルジザットの王族だと考えるのが適切ではないだろうか。滅亡に追い込まれた理由が何であれ、自国を滅ぼした者たちをこんなにも容易く受け入れられるものなのだろうか。
アリーチェ妃にしても、彼女の祖母とアリーチェ妃が又従姉妹ならば、アリーチェ妃はエシタリシテソージャが祖国を滅ぼしたことを知ってプリズマーティッシュへ嫁ぐ事に決めたのではないだろうか…。
「ユリアーナ様?ご気分悪くされてしまわれましたか?これから行く国がどんな国なのか、ユリアーナ様にも知って頂いた方が良いと思ってお話ししましたが、お話しするべきではなかったかしら。」
「いいえ、そうではありません。フェルナン様とお話し出来る機会があればよろしいですね。」
「お話しなんて…お会いできるだけで十分でございます。男性のお話しは私には難しいことも多いですから、フェルナン様のお話し相手として私では力不足でございます。」
ユリアーナが王宮でも感じていた、エシタリシテソージャの男ばかりを重んじ、女性は軽んじられる風習は、若く、活力に溢れているように見えるマリーナの心にも深く根付いているようだった。ユリアーナはそれがとても寂しかった。
「そう言えば、エシタリシテソージャの城門や、エントランス部分は様々な細工が施されていてとても心が引かれました。」
「えぇ。素敵でございましょう?城門は三カ所ございまして、外側から覇者の門、歓喜の門、果報の門と名付けられています。現国王のエマヌエーレ陛下のお父様であるフェルディナンド様がお生まれになったのと、立国七百の記念に大改修したのだと聞きました。」
「そうでしたか。」
「あの門は王侯貴族しか通る事が出来ません。先ほどもお話しましたが、リオ様が当国へ外遊してきた際は、当時のリオ様は爵位を持っていなかったので、荷物運搬用の大門から城内に入ったのだと聞いたことがあります。そんな方を王妃になさるなんて、国民の心痛はいかばかりかと。」
ユリアーナは、流れる景色をカーテン越しに感じながら、ひっそりと小さなため息を吐いた。
モナハドール離宮を出発する時、ヴィットーリオから馬車に同乗しないかと誘われたヴィレムは、その申し出を受け入れた。しかし、エシタリシテソージャでは成人女性が身内や婚約者や配偶者以外の男性と馬車に乗ることがない。そこで、マリーナはアルテナ公爵の馬車に乗ることになった。
「私は、小さな頃からヴィットーリオ様の側妃になることが決められておりまして、夜会などにも参加を致しませんでしたから、同年代の方とこうしてご一緒させて頂くことが少なくて…今日はとても嬉しゅうございます。」
「私も、マリーナ様とご一緒出来てとても嬉しく存じます。」
「今回、ユリアーナ様も、お子様の縁組みのことでプリズマーティッシュへおいでになりますの?」
「ユリアーナ様もとは?」
「私は、レオナール陛下のご令孫とこれから生まれる我が子とを縁組みさせるためにプリズマーティッシュへ参ります。」
「今、ご懐妊中でございますの?」
「いいえ。まだ、その兆候はございません。」
そう言って、笑顔を見せるマリーナに釣られてユリアーナも笑顔を作る。
「でも、プリズマーティッシュの王妃には良くない噂がございますでしょう?」
ユリアーナは一瞬フロリアナとの会話を思い出したが、何も言わなかった。
「ご存知ありませんか?リオ様が王妃となってから、レオナール陛下のご側妃様方が次々に身罷ったと言う話し。それに、最初レオナール陛下と結婚する予定だったのは、リオ様ではなかったのです。」
∴∵
今から三十年余り前。
ゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンは三百年振りの異世界人の召喚術を行いました。そして、二人の異世界人が渡り人として渡ってきました。一人は、救世主として偉大な力を持ったトシコ様。もう一人は普通の渡り人として渡ってきた、現王妃のリオ様。
救世主のトシコ様はその力で過去に国一つを根絶やしにした事のある上級の魔獣を討伐されたり、数々のご活躍をされていたそうで、レオナール陛下は、この救世主トシコ様を大変大切になさっていたそうでございます。
レオナール陛下はご自分でトシコ様をエスコートする舞踏会などには、陛下の色である深紅のドレスをトシコ様に纏わせ、ご出席なさっていたそうでございます。
えぇ。そうです。ユリアーナ様は博識でいらっしゃいますね。プリズマーティッシュで今上王の色を纏い、王のエスコートで社交界へ出ると言う事は、正妃か婚約者などの、正式なパートナーだと言う意味です。正式に婚約を結ぶ前からトシコ様にそのような接し方をするほど、救世主様の事をご寵愛なさっておいでだった。と言う事なのだと思います。
一方で渡り人だったリオ様はサボり癖があると有名だったらしいのです。その為に、本来なら救世主かどうかに関わらず渡り人なら誰しもが与えられる爵位もリオ様には与えられなかったと聞いています。そんな中、魔物が現れ、トシコ様はその討伐の際に命を落としてしまわれた。レオナール陛下は、その敵討ちに自ら向われて、見事に魔物を討伐された。この、世界の平和を懸けたお二人の悲恋はエシタリシテソージャでもとても有名で、劇にもなったほどです。
とても魔力の強かったトシコ様と結婚をするはずだった王の結婚相手を、もう一人の渡り人にする事は、国政を考えれば自然なことだったでしょう。しかし、レオナール陛下は、現在大変後悔をなさっているのではないでしょうか…。
なぜならば、リオ様が王妃になってから後宮には異変が現れ始めたそうですから。
リオ様が王妃となられた時、既に第一王子と第一王女をご出産なさっていた、ゲウェーニッチ王国の公爵令嬢だったアリーチェ妃。アリーチェ妃の侍女と、レオナール陛下の侍女が共謀しリオ様暗殺を企てた。それは未遂となりましたが、侍女たちはその時のリオ様の流産により、王族を殺害したことで処刑され、アリーチェ妃も幽閉されてしまった。
しかし、王妃の暗殺未遂などは一生幽閉でもおかしくはないのに、彼女はたった三年で幽閉を恩赦され、間もなく儚くなられた。
そこで、囁かれたのがリオ様の暗殺計画などはなく、流産はただ起った不幸なのではないかと言う噂です。母妃の幽閉で、第一王子と第一王女は王籍ではなくなったそうです。
それもこれも、寵愛を受けていたアリーチェ妃と、その子供たちを目障りに思ったリオ様が彼女たちを排除するために全てねつ造したのではないか?それに気が付いたレオナール陛下が、恩赦したのではないか?我が子たちを臣籍へ落としたのも、リオ様の魔の手から守るためだったのではないか?…と。
レオナール陛下のもう一人の側妃様も騒動の最中に突然死をなさったと聞きました。彼女はレオナール陛下の母、アデライト王太后陛下の侍女をしていた方で、アリーチェ様より先に側妃になったそうです。
一番長くレオナール陛下に仕え、信頼も厚かった彼女をリオ様が妬んだために殺されたとの噂も…。
それに、ゲウェーニッチ王国出身のアリーチェ妃ですが、元は我が国の王太子殿下の側妃になるはずだったそうなのです。それをレオナール陛下は横からかっ攫うような形で側妃にしたと聞きました。レオナール陛下はそれほどまでにアリーチェ妃を見初めていらしたと言うことでございましょう。トシコ様とアリーチェ妃、レオナール陛下が寵愛したお二人に、長く仕えて信頼されていた側妃。それに、王位を継承するはずの王子。リオ様が不快に感じるであろう人々がこうも都合良く…そう思いませんか?
∴∵
実年齢は三歳年下だったとユリアーナは記憶していたが、それよりもずっと幼い印象の、噂好きの少女といった雰囲気そのままに大人に成長したマリーナをユリアーナは優しく見守る。
「マリーナ様はプリズマーティッシュについてとてもお詳しいのですね。エシタリシテソージャはプリズマーティッシュへの留学が盛んだと聞いていましたが、留学の時にお詳しくなったのですか?」
「私は、留学しておりません。婦女子に学びは不必要でございますから。労働するうえでは必要になることもあるかと存じますが、私共には無縁のことでございますわ。」
マリーナの一点の曇りもない笑顔に、ユリアーナは切ない気持になる。
「しかし、私のメイドなどは留学経験がございますので、メイドたちに今回の外遊に合わせて色々聞きましたの。」
「そうでしたか。」
「そんな怖い王妃のいる国に外遊だなんて本当は嫌だったのですが、実は、アリーチェ妃は私の祖母の又従姉妹なので、アリーチェ妃のお子様であるフェルナン様にお会いできないかと思って。私の曾祖母は今は滅亡したアルドマルジザットの出身なのです。」
ユリアーナは、思案した。アルドマルジザットは六十年程前にエシタリシテソージャに滅亡に追い込まれた国だ。血を重んじるエシタリシテソージャが、アルドマルジザットの平民の血を王族に入れるわけはないと考えると、彼女の高祖父母はアルドマルジザットの王族だと考えるのが適切ではないだろうか。滅亡に追い込まれた理由が何であれ、自国を滅ぼした者たちをこんなにも容易く受け入れられるものなのだろうか。
アリーチェ妃にしても、彼女の祖母とアリーチェ妃が又従姉妹ならば、アリーチェ妃はエシタリシテソージャが祖国を滅ぼしたことを知ってプリズマーティッシュへ嫁ぐ事に決めたのではないだろうか…。
「ユリアーナ様?ご気分悪くされてしまわれましたか?これから行く国がどんな国なのか、ユリアーナ様にも知って頂いた方が良いと思ってお話ししましたが、お話しするべきではなかったかしら。」
「いいえ、そうではありません。フェルナン様とお話し出来る機会があればよろしいですね。」
「お話しなんて…お会いできるだけで十分でございます。男性のお話しは私には難しいことも多いですから、フェルナン様のお話し相手として私では力不足でございます。」
ユリアーナが王宮でも感じていた、エシタリシテソージャの男ばかりを重んじ、女性は軽んじられる風習は、若く、活力に溢れているように見えるマリーナの心にも深く根付いているようだった。ユリアーナはそれがとても寂しかった。
「そう言えば、エシタリシテソージャの城門や、エントランス部分は様々な細工が施されていてとても心が引かれました。」
「えぇ。素敵でございましょう?城門は三カ所ございまして、外側から覇者の門、歓喜の門、果報の門と名付けられています。現国王のエマヌエーレ陛下のお父様であるフェルディナンド様がお生まれになったのと、立国七百の記念に大改修したのだと聞きました。」
「そうでしたか。」
「あの門は王侯貴族しか通る事が出来ません。先ほどもお話しましたが、リオ様が当国へ外遊してきた際は、当時のリオ様は爵位を持っていなかったので、荷物運搬用の大門から城内に入ったのだと聞いたことがあります。そんな方を王妃になさるなんて、国民の心痛はいかばかりかと。」
ユリアーナは、流れる景色をカーテン越しに感じながら、ひっそりと小さなため息を吐いた。