薄氷の城

第 37話 未知の国

 湯浴みを終えたユリアーナは、寝支度を終え、寝室に入った。

「奥様、これにて御前を失礼させて頂きます。」

 ボーの隣のジョゼも揃って挨拶をする。
 
「ありがとうボー。それに、ジョゼ、あなたには大変世話になりました。ありがとう。」
「滅相もないことでございます。有り難いお言葉痛み入ります。」

 二人が寝室の扉を静かに閉めると、ユリアーナは既にソファーで寛いでいるヴィレムの隣に腰掛けた。

「ヴィム。魔術とは本当に凄いのですね。ジョゼはほんの一時(ひととき)で湯船にお湯を張ってしまいました。」
「個々で湯を張れるために、各部屋に湯船が置かれているのも便利だね。我が国は冬もそこまで冷え込まないが、やはり長く歩くと湯冷めをしてしまうことも多い。直ぐ隣の部屋に湯船があれば湯冷めも防げるしね。」
「それに、私の長い髪も一瞬で乾かしてしまいました。」

 ユリアーナが自分の髪の毛を、ひと束手に乗せて話すとヴィレムも手から垂れている髪を優しく触った。

「ユリアは、コーヒーの豆を見たことあるかい?」
「いいえ。飲み物になっている状態でしか見たことがございません。」
「コーヒー豆は、煎って粉末に砕き、お湯で抽出するのだが、煎ったコーヒー豆の色はユリアの髪の色によく似ている。」

 ヴィレムは、大切そうにユリアーナの髪を親指で撫でる。

「美しく、優しく、温かみのある色。」
「アンナの髪色の方が綺麗ではありませんか?太陽の光をこの手に集めたみたいに自分の手の中で光り輝くのですよ?」
「いいや。幼い頃からユリアの髪色が好きだった。柔らかそうで、つい触れたくなる。」
「私は、ヴィムの透明感のあるこの髪色も大好きです。綿毛のように柔らかそうで。それに、いつもの様に整えられた髪型も素敵ですが、こうして無造作に下ろされている髪型も、何だか愛おしく感じます。」

 二人は、見つめ合って笑った。

「ユリア、正直に君の目にこの国はどう映った?」
「まず驚いたのが、貴族達はもちろん、メイドまでが流ちょうなエシタリシテソージャの言葉を話すことです。ここは国境に近い街ということで、尚更なのかもしれませんが、私たちがこれほどまでに言葉に不都合を感じることがないとは思いもよりませんでした。露店でも所々にエシタリシテソージャの言葉が聞こえてきました。」
「その事は、私も驚いたよ。王立学院ではエシタリシテソージャからの留学生が多く授業をエシタリシテソージャの言葉で行っていると聞いていたけれど、平民までもが流ちょうに話すとは思わなかった。」
「はい。それに、ここへ来る前に、沢山の方からプリズマーティッシュのことについてお聞きしましたが、私にはそれほど奇異な国には見えていません。まだ分からないだけかもしれませんし、何よりエシタリシテソージャに近い土地で、そちらの影響が強く出ているからかもしれませんけれど。」
「あぁ。そうだね。私もユリアと同じ様な感想だ。まだまだこれから先、良く見ておかなければならないけれどね。」


∴∵


 一行はいくつかの宿場町で休憩や宿泊をしながら進み、越境から八日目、ゴーデンという街に入った。

「ここは、王都に次いで大きな都市なのだそうだ。」
「ここで、女神祭と言う豊穣祭が行われるのだと仰っていましたね。」
「あぁ。そのようだよ。ここの街にあるリヒトランテと言う泉は他の泉と違い女神が作ったと言われているらしくてね、女神信仰が国で一番根強いと聞いた。」
「そうなのですか。」

 馬車のカーテンを開けたままで走るのは、この旅行での決まり事のようになっている。ユリアーナは、興味が尽きないと言った目で外を眺めている。

「ユリア、見てごらん。」

 ユリアーナはヴィレムの指す方へ視線を向けた。

「岩山があるのがわかる?」
「はい。少し不思議な、珍しい形の山ですね。」
「そうだね。私も初めて見るが、あのような形だとは思わなかった。あの山の麓に泉があるらしい。」
「あそこに、女神様の作った泉があるのですか。この街は確かに人も多く、活気がありますが、緑も豊かで不思議な雰囲気のある街ですね。」
「もし、帰りの日程に余裕があったら、ここで降りて少し街を歩いてみるのも良いかもしれないね。」
「えぇ。そうできたら嬉しゅうございます。」

 馬車列は更に進み、六月に入って王都の外れにある宿場町、ハーレイと言う名の街に着いた。そこから更に半日馬車に乗り、王宮から近い宿にたどり着いた。


∴∵


 ユリアーナは、支度用に用意された部屋の姿見の前で、自分の姿を入念に見ていた。

「奥様、何度も確認されずとも、文句のない仕上がりだと、私は自負しておりますけれど。」
「ごめんなさいね、ボー。別にボーの腕前を疑っている訳ではなくて…。」
「分かっておりますよ。初めてお会いになる国王陛下相手に緊張をなさっているのでございましょう?」
「えぇ。それもあるのだけど、国交が断絶状態のお相手なのだもの。もし、万が一にでも私の知識不足で両陛下の逆鱗にでも触れてしまったら…。良くて国外追放、悪ければ処刑・・なんて事にもなり得るのかもしれないと考えると…。」

 ボーの顔色は一瞬で青ざめ、出発前にフロリアナから渡された社交の際の注意点が書かれた紙をもう一度見た。この国は、服装の礼儀はそれほど厳しくはない。ただ一つ、フロリアナの作った注意書きで一番大きく書かれていたのが、 ‘王の色’ についてだった。
 この国の王には、自らが指定した ‘色’ があり、今上王は深紅。前王はサファイアを連想するような鮮やかな青色を指定していた。
 王が同伴した女性がこの ‘王の色’ を纏っていると、それはすなわち王の正式なパートナーと言う意味になる。厳密には、王が列席していても、同伴していなければ ‘王の色’ を纏っていても正式なパートナーの印にはならないが、誤解を招かないためにも、女性が ‘王の色’を纏うことは 忌避されている。レオナール王が即位してから、プリズマーティッシュの社交界では、深紅に限らずどんな種類の赤色も纏わなくなったそうだ。
 ユリアーナは元から赤色のドレスを身に纏うことが少なかったので、そこまで気にしてはいなかったが、王太子妃のアンドレーアは生家の紋章に使われている赤色を好んで着ていたので、何着ものドレスを仕立て直す羽目になっていた。
 二人で、声に出しながら細部を確認していたところに、ヴィレムがやって来た。ボーは、ユリアーナに確認を取って、ヴィレムを招き入れた。

「今回のドレス姿も美しい。」
「ありがとうございます。」

 プリズマーティッシュは、エシタリシテソージャのように、肩やデコルテを見せることを忌避するような習わしはないが、エシタリシテソージャの王太子が同席するために、そちら側の習わしに合わせ、今回も長袖のドレスを仕立てた。今回は、エシタリシテソージャの時と違い、エパナスターシの伝統衣装を踏襲し、少し近代的にデザインしたものにした。色は、柔らかな淡い青紫色の地に黄色の糸で刺繍を施した。薄青紫色と黄色はプリズマーティッシュの国旗の色を参考にしている。

「では、行こうか。」
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