薄氷の城
第 42話 後宴
午餐会は、恙無く終り、ユリアーナはその後の茶会の会場になっている庭へ移動していた。
案内されると、既にプリズマーティッシュの防衛大臣の妻、アナスタシアとヴィットーリオの側妃マリーナがいた。二人とは軽く挨拶を交わし合って、席に着いた。最後にユリアーナの母と同じくらいの年齢の貴婦人がやって来た。
「私、ゲウェーニッチ王国トンマーゾ・ロッシーニ侯爵の妻、アデーレ・ロッシーニと申します。カンバーランド女公には幾度かお目にかからせて頂いておりますが、お二人とはお話しさせて頂くのは初めてでございますね。以前よりお見知りおき頂きたく思っておりましたもので、こうして機会を頂戴致しましたこと、大変光栄に存じます。」
「私は、エパナスターシ王国公爵、ヴィレム・アルテナの妻、ユリアーナ・アルテナと申します。私の方こそ、お目にかかれましたこと光栄に存じます。以後、お見知りおき下さいますと嬉しく存じます。」
「私はエシタリシテソージャ王国、アルベルト・ヴァセラン子爵の娘、マリーナ・ヴァセランと申します。ヴィットーリオ殿下にお仕えしております。」
「アデーレ殿下は、フェデリーコ王太子殿下の姉上様でいらして、我がゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンへは幾度かお越し下さっているのです。」
アナスタシアが、アデーレに微笑むと、アデーレも微笑み返してユリアーナの向かいの席に座った。
「リオ王妃陛下とお話しさせて頂いてから、我が弟は人が変ったように魔術に興味を持ち、練習や訓練を自ら行うようになりました。その変化に、リオ陛下とはどのようお方なのか興味が湧き、弟が留学中に理由をつけ、幾度か訪問させて頂いたのです。」
「フェデリーコ王太子殿下と昨夜の舞踏会でお話しさせて頂きましたが、小国である我が国エパナスターシ王国のことにも精通されており、私は大変感服致しました。」
「ありがとう存じます。今の弟は皆様から及第点を頂けるような人間になったと思いますが…。弟は八人の姉弟の末子で唯一の男子、唯一の王位継承者です。姉妹とは年が離れていた事もあり、私も含め家族はみな弟を甘やかし、甘ったれの無知な人間に育ってしまいました。そのくせ自尊心ばかりが強く、成人したら少しは落ち着くのかもと期待していましたが、残念ながら成人した後も弟は姉の私から見ても鼻持ちならない人間でした。その意識をガラリと変えて下さったのがリオ陛下でございました。」
アデーレは、何か思い出したのか、ふふふと小さく笑った。
「お二人は、陛下とお話しになりましたか?」
「舞踏会の夜に、ご挨拶させて頂きました。」
ユリアーナが、答えると隣に座っていたマリーナも口を開いた。
「あの…皆様はリオ王妃が怖くはないのですか?」
ユリアーナは、プリズマーティッシュに来るまでの馬車の中でのことを思い出し、マリーナの失言を止めようと思ったが、遅かった。
「怖いとは?」
アナスタシアが、にこやかに聞くと、何の憂いもない子供のような屈託のなさでマリーナはその問いに答えた。
「アナスタシア様は、正直にお話しすることが出来ないのかもしれませんが、率直に申し上げて王妃のなさり様は快く思えるものではありません。」
「マリーナ様。マリーナ様は、王妃陛下と舞踏会での挨拶以外ではお言葉を交わしていないのですよね?」
ユリアーナが、マリーナの話しに割り込んだ。
「舞踏会の折にも私は王妃とは言葉を交わしてはいません。貴婦人たるもの旦那様を差し置いて口を出すべきではありませんから。」
「直接お話しをしていないお相手、しかも一国の王妃様に対してそのようなものの言い方も貴婦人らしいとは言い難いのではありませんか?」
変らぬ、天真爛漫な笑顔で答えたマリーナに、ユリアーナにしては少々強めの口調で窘めた。
「この場は、ご夫人同士のおしゃべりの場でございましょう?ご夫人は皆さま噂話がお好きなのでしょう?あまり社交界へ出ない私のために、メイドたちがそう教えてくれたのです。プリズマーティッシュの事もそのメイドたちが教えてくれたのです。」
「どのようなお話しでしたかしら?私にもお聞かせ下さいますか?」
そう言いながらアナスタシアは、やんごとない生まれの人独特の、優しくもあり周りの人間を凍り付かせるような冷たさも持つ綺麗で隙のない笑顔を作る。
「来る時の馬車の中でユリアーナ様にもお話ししたのですけれど…」
「あら、それでは私たちだけ知らないのはずるいですわ。そのお話し、お聞かせ下さいな。」
アナスタシアにそう言われて、マリーナは意気揚々と“メイドから聞いた話”を話し始めた。
∴∵
午餐会の後、男性たちは後宴の会場で歓談していた。宴席の後宴には、エパナスターシや他の国では、女性も参加が出来ることになっているが、エシタリシテソージャでは女性が出席することが出来ない。その為に、男女が別れた形の宴を催すことになった。
ヴィレムは、護衛として街歩きを案内してもらったルネと酒を片手に話していた。
「私の乳兄弟のジャン殿下をご紹介しましょう。」
「ありがとうございます。是非お願い致します。」
二人は、会場を少し歩いた所で、目当ての人物を見つけた。ルネが声をかけると振り向き、優しそうな顔を綻ばせた。
「ルネ。探してたんだ。そちらは?」
「こちらは、エパナスターシ王国のアルテナ公爵様です。」
「ご紹介に与りました、エパナスターシ王国ヴィレム・アルテナと申します。」
国王夫妻と同じ、真っ黒で艶やかな髪と、濃い瞳を持つ彼は、変らない優しい表情をヴィレムに向けた。
「ようこそ、遠いところからおいで下さいました。ジャン・ブーリエンヌと申します。公爵位を賜っていますが、神殿に仕えておりますので、現し世のことには何しろ疎くて。しかし、この度いらしたヴィレム殿下はとても見識を備えた方だと、こんな私の元にも届いております。以後、お見知りおき下さいますようお願い申し上げます。」
「この様な機会を頂戴し、感謝申し上げます。こちらこそよろしくお願い致します。」
「ヴィレム殿下は、魔獣討伐に関心がおありでしたよね?ジャン殿下も、神殿の尊者として魔獣討伐をされています。」
ルネは、少し自慢げに話した。
「神殿でも、魔獣討伐をしているんですか?」
「立太子しなかった魔力の強い王子王女は神殿に仕える事になっていますので、同じ母を持った姉弟は王太子であるマルゲリット以外はみな、神殿に仕えています。尊者とは神殿の中でも特に魔力の強い者に与えられる位で、尊者になると魔獣討伐も仕事の一つなのです。」
ジャンは、手に持っていた琥珀色の酒を啜るように飲んだ。
「式典で祝詞を奏上した王女殿下も魔獣討伐に向われるという事ですか?」
「えぇ。魔力の強弱に男女差はありません。魔力の強い者は、率先して現場へ赴かなくてはなりません。とは言っても、下級や中級の魔獣の討伐でしたら、私たち尊者が出向くことはしません。特伐隊や騎士団第一団隊で十分に対応できますので。私たちが出向くのは上級の魔獣からでございます。実のところ、一番腕が立つのは王太子になったマルゲリット姉上なのですよ。母親譲りの魔力と父親譲りの剣の腕を持っています。」
「私などは、公爵家であっても魔力が弱いので、マルゲリット殿下の魔力の強さ、魔術の巧みさは現実のものとは思えませんでした。学院に入学して初めて目の当たりにした、剣術大会での勇姿は今でも目に焼き付いています。」
「この国では、女性も学院に通うとは聞いていましたが、剣術大会などにも参加するのですか?」
ヴィレムのその問いに答えたのは、ルネだった。
「学院の必修授業として剣術がありまして、これは女生徒も対象です。しかし、一昔前は騎士団などに就職する予定でもない限り、出席さえしていれば良いと言う状態でした。それが、リオ陛下が魔獣討伐でご活躍なさったのを機会に女生徒にも騎士の仕事が人気となりまして。そこで、学院が男子だけで開催していた剣術大会を女子の部も開催することにしたのです。今では学院の剣術大会で優勝すれば騎士団へ推薦状を書いてもらえるとして、女子の部もなかなかに見応えのある大会になっています。」
「姉上は、弟の私が言うのも可笑しいですが、カリスマ性がありましてね。在学中はそこら辺の男子生徒より余程、女生徒の黄色い声援を受けていました。」
ヴィレムは、ブランデーを一口飲んで、少し躊躇いがちに話し出した。
「ジャン殿下に一つお伺いしたいのですが。」
「何でしょう?」
「式典で、杯の入った箱を持っていた男性なのですが。」
「杯…エヴァリストの事でしょうか?」
「はい。彼と一度話してみたいのです。実は彼が、私の幼なじみに良く似ているのです。彼は数年前に消息不明になって…」
ジャンは、少し驚いた顔をして、軽く頷いた。
「彼は、神殿の神官長付きの神官です。恥ずかしながら、私には神殿の全員の素性が分かるわけではありません。そう言う事なら、私から神官長のジョルジュに聞いてみることに致しましょう。」
「よろしくお願い致します。」
案内されると、既にプリズマーティッシュの防衛大臣の妻、アナスタシアとヴィットーリオの側妃マリーナがいた。二人とは軽く挨拶を交わし合って、席に着いた。最後にユリアーナの母と同じくらいの年齢の貴婦人がやって来た。
「私、ゲウェーニッチ王国トンマーゾ・ロッシーニ侯爵の妻、アデーレ・ロッシーニと申します。カンバーランド女公には幾度かお目にかからせて頂いておりますが、お二人とはお話しさせて頂くのは初めてでございますね。以前よりお見知りおき頂きたく思っておりましたもので、こうして機会を頂戴致しましたこと、大変光栄に存じます。」
「私は、エパナスターシ王国公爵、ヴィレム・アルテナの妻、ユリアーナ・アルテナと申します。私の方こそ、お目にかかれましたこと光栄に存じます。以後、お見知りおき下さいますと嬉しく存じます。」
「私はエシタリシテソージャ王国、アルベルト・ヴァセラン子爵の娘、マリーナ・ヴァセランと申します。ヴィットーリオ殿下にお仕えしております。」
「アデーレ殿下は、フェデリーコ王太子殿下の姉上様でいらして、我がゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンへは幾度かお越し下さっているのです。」
アナスタシアが、アデーレに微笑むと、アデーレも微笑み返してユリアーナの向かいの席に座った。
「リオ王妃陛下とお話しさせて頂いてから、我が弟は人が変ったように魔術に興味を持ち、練習や訓練を自ら行うようになりました。その変化に、リオ陛下とはどのようお方なのか興味が湧き、弟が留学中に理由をつけ、幾度か訪問させて頂いたのです。」
「フェデリーコ王太子殿下と昨夜の舞踏会でお話しさせて頂きましたが、小国である我が国エパナスターシ王国のことにも精通されており、私は大変感服致しました。」
「ありがとう存じます。今の弟は皆様から及第点を頂けるような人間になったと思いますが…。弟は八人の姉弟の末子で唯一の男子、唯一の王位継承者です。姉妹とは年が離れていた事もあり、私も含め家族はみな弟を甘やかし、甘ったれの無知な人間に育ってしまいました。そのくせ自尊心ばかりが強く、成人したら少しは落ち着くのかもと期待していましたが、残念ながら成人した後も弟は姉の私から見ても鼻持ちならない人間でした。その意識をガラリと変えて下さったのがリオ陛下でございました。」
アデーレは、何か思い出したのか、ふふふと小さく笑った。
「お二人は、陛下とお話しになりましたか?」
「舞踏会の夜に、ご挨拶させて頂きました。」
ユリアーナが、答えると隣に座っていたマリーナも口を開いた。
「あの…皆様はリオ王妃が怖くはないのですか?」
ユリアーナは、プリズマーティッシュに来るまでの馬車の中でのことを思い出し、マリーナの失言を止めようと思ったが、遅かった。
「怖いとは?」
アナスタシアが、にこやかに聞くと、何の憂いもない子供のような屈託のなさでマリーナはその問いに答えた。
「アナスタシア様は、正直にお話しすることが出来ないのかもしれませんが、率直に申し上げて王妃のなさり様は快く思えるものではありません。」
「マリーナ様。マリーナ様は、王妃陛下と舞踏会での挨拶以外ではお言葉を交わしていないのですよね?」
ユリアーナが、マリーナの話しに割り込んだ。
「舞踏会の折にも私は王妃とは言葉を交わしてはいません。貴婦人たるもの旦那様を差し置いて口を出すべきではありませんから。」
「直接お話しをしていないお相手、しかも一国の王妃様に対してそのようなものの言い方も貴婦人らしいとは言い難いのではありませんか?」
変らぬ、天真爛漫な笑顔で答えたマリーナに、ユリアーナにしては少々強めの口調で窘めた。
「この場は、ご夫人同士のおしゃべりの場でございましょう?ご夫人は皆さま噂話がお好きなのでしょう?あまり社交界へ出ない私のために、メイドたちがそう教えてくれたのです。プリズマーティッシュの事もそのメイドたちが教えてくれたのです。」
「どのようなお話しでしたかしら?私にもお聞かせ下さいますか?」
そう言いながらアナスタシアは、やんごとない生まれの人独特の、優しくもあり周りの人間を凍り付かせるような冷たさも持つ綺麗で隙のない笑顔を作る。
「来る時の馬車の中でユリアーナ様にもお話ししたのですけれど…」
「あら、それでは私たちだけ知らないのはずるいですわ。そのお話し、お聞かせ下さいな。」
アナスタシアにそう言われて、マリーナは意気揚々と“メイドから聞いた話”を話し始めた。
∴∵
午餐会の後、男性たちは後宴の会場で歓談していた。宴席の後宴には、エパナスターシや他の国では、女性も参加が出来ることになっているが、エシタリシテソージャでは女性が出席することが出来ない。その為に、男女が別れた形の宴を催すことになった。
ヴィレムは、護衛として街歩きを案内してもらったルネと酒を片手に話していた。
「私の乳兄弟のジャン殿下をご紹介しましょう。」
「ありがとうございます。是非お願い致します。」
二人は、会場を少し歩いた所で、目当ての人物を見つけた。ルネが声をかけると振り向き、優しそうな顔を綻ばせた。
「ルネ。探してたんだ。そちらは?」
「こちらは、エパナスターシ王国のアルテナ公爵様です。」
「ご紹介に与りました、エパナスターシ王国ヴィレム・アルテナと申します。」
国王夫妻と同じ、真っ黒で艶やかな髪と、濃い瞳を持つ彼は、変らない優しい表情をヴィレムに向けた。
「ようこそ、遠いところからおいで下さいました。ジャン・ブーリエンヌと申します。公爵位を賜っていますが、神殿に仕えておりますので、現し世のことには何しろ疎くて。しかし、この度いらしたヴィレム殿下はとても見識を備えた方だと、こんな私の元にも届いております。以後、お見知りおき下さいますようお願い申し上げます。」
「この様な機会を頂戴し、感謝申し上げます。こちらこそよろしくお願い致します。」
「ヴィレム殿下は、魔獣討伐に関心がおありでしたよね?ジャン殿下も、神殿の尊者として魔獣討伐をされています。」
ルネは、少し自慢げに話した。
「神殿でも、魔獣討伐をしているんですか?」
「立太子しなかった魔力の強い王子王女は神殿に仕える事になっていますので、同じ母を持った姉弟は王太子であるマルゲリット以外はみな、神殿に仕えています。尊者とは神殿の中でも特に魔力の強い者に与えられる位で、尊者になると魔獣討伐も仕事の一つなのです。」
ジャンは、手に持っていた琥珀色の酒を啜るように飲んだ。
「式典で祝詞を奏上した王女殿下も魔獣討伐に向われるという事ですか?」
「えぇ。魔力の強弱に男女差はありません。魔力の強い者は、率先して現場へ赴かなくてはなりません。とは言っても、下級や中級の魔獣の討伐でしたら、私たち尊者が出向くことはしません。特伐隊や騎士団第一団隊で十分に対応できますので。私たちが出向くのは上級の魔獣からでございます。実のところ、一番腕が立つのは王太子になったマルゲリット姉上なのですよ。母親譲りの魔力と父親譲りの剣の腕を持っています。」
「私などは、公爵家であっても魔力が弱いので、マルゲリット殿下の魔力の強さ、魔術の巧みさは現実のものとは思えませんでした。学院に入学して初めて目の当たりにした、剣術大会での勇姿は今でも目に焼き付いています。」
「この国では、女性も学院に通うとは聞いていましたが、剣術大会などにも参加するのですか?」
ヴィレムのその問いに答えたのは、ルネだった。
「学院の必修授業として剣術がありまして、これは女生徒も対象です。しかし、一昔前は騎士団などに就職する予定でもない限り、出席さえしていれば良いと言う状態でした。それが、リオ陛下が魔獣討伐でご活躍なさったのを機会に女生徒にも騎士の仕事が人気となりまして。そこで、学院が男子だけで開催していた剣術大会を女子の部も開催することにしたのです。今では学院の剣術大会で優勝すれば騎士団へ推薦状を書いてもらえるとして、女子の部もなかなかに見応えのある大会になっています。」
「姉上は、弟の私が言うのも可笑しいですが、カリスマ性がありましてね。在学中はそこら辺の男子生徒より余程、女生徒の黄色い声援を受けていました。」
ヴィレムは、ブランデーを一口飲んで、少し躊躇いがちに話し出した。
「ジャン殿下に一つお伺いしたいのですが。」
「何でしょう?」
「式典で、杯の入った箱を持っていた男性なのですが。」
「杯…エヴァリストの事でしょうか?」
「はい。彼と一度話してみたいのです。実は彼が、私の幼なじみに良く似ているのです。彼は数年前に消息不明になって…」
ジャンは、少し驚いた顔をして、軽く頷いた。
「彼は、神殿の神官長付きの神官です。恥ずかしながら、私には神殿の全員の素性が分かるわけではありません。そう言う事なら、私から神官長のジョルジュに聞いてみることに致しましょう。」
「よろしくお願い致します。」