薄氷の城

第53話  父として

 マウリッツは、離宮の一室で、ヴィレムと向かい合っていた。

「彼は、六年も記憶のないままエヴァリストとしてこちらで生きてきたそうです。全てが不自由な中、支えてくれた家族をそのままにしては帰国できないという彼の気持も理解出来ます。彼の妻と祖父を貴族としては無理としても、我が国の平民として暮らせるよう計らいたいのですが。」

 マウリッツは少し考えている。

「レネへコンスタンティンの行方不明を伝えに行ったのは、私だった。レネやルイーセの表情は今でも印象深く記憶に残っている。最初こそ、多少の混乱はするだろうが、コンスタンティンが無事であったら喜ぶだろう。コンスタンティンの家族のことは、心配しないようにと彼に伝えれば良い。」
「ありがとうございます。父上。」
「私だって、お前やヘンドリックの行方が分からなくなって後、他国での生存が確認できたら、どんな手を使っても国へ帰れるようにするだろう。本来ならば、国の許可なく国を渡れば、場合によっては処刑される。しかし、今回は魔獣に襲われ、本人にも渡る意志はなかった。それに加え、記憶も無くし連絡が出来るような状態ではなかった。酌量がなされるべき事案であろう。レネやルイーセの意向次第では、現在の妻を我が国でも正妻として扱えるようにもできるだろう。」
「コンスタンティンには、その様に伝えます。」
「あぁ。」

 この国特産のブランデーを二人で口にすると、マウリッツは、眉をひそめながら口を開いた。

「クリストッフェルの一件は、レオナール王から正式に謝罪があった。今後、クリストッフェルとエリザベート殿下との縁談が進むことはないだろう。」
「しかし、我が国としては、リオ王妃の魔力を受け継ぐ王女が来てくれることは決して悪いことではないのでは?」
「あぁ。本音を言えば、今回のように王女の方が無作法をしてくれれば、それを寛容に受け入れた我が国が好条件で結婚まで運べる。悪い話しではなかったが、国王陛下から正式に謝罪があり、王女の行いについては大目に見て欲しいと言われれば、白紙に戻ったも同様だ。」

 マウリッツは、ストレートのブランデーをグラスの中でゆっくりと回す。

「クリストッフェルの結婚は、ブラウェルス家や、アンドレーアに睨まれる事を恐れる者が多く、足踏み状態になっている。正直言えば、ブラウェルスに唯一対抗できるフェルバーン家が縁続きになってくれることを私は望んでいたが…」

 ヴィレムが、居たたまれないような顔をすると、マウリッツは笑った。

「そんな顔はするな。お前が、ユリアーナと幸せそうにしているのを見ると、今が正しい道だったのだと思う。ただ、父としては、ヘンドリックやお前にあるブラウェルスの後ろ盾のように、クリストッフェルにも大きな後ろ盾を付けてやりたいと思っていただけだ。そう言う意味でも、方法はともあれ、王女の申し出は有り難かったのだがな。」
「そうでしたか。」
「しかし、この一件、我が国には良い事もあったぞ。」
「何かあったのですか?」
「レオナール王からの申し出で、謝罪の印にと、王妃が作成した魔剣を二十本と魔盾三十枚を無償で提供してくれるそうだ。」
「そんなに沢山ですか?無償で?」
「あのような大勢の観客の前で起った事を、なかったことにしたいのだ。それくらいしなければならないと思ったのだろう。まぁ、父としてはクリストッフェルの縁談は残念であったが、国としては利があった。納品は数ヶ月後になるらしいが。」


∴∵


「リオ、すまなかった。魔剣や魔盾をまた作るようなことになってしまって。」
「いいえ。陛下。あの子を抑えきれなかったのは、私の落ち度でもありますから。あの子が、変に私に似てしまったが為に…。」
「確かに、若い頃のリオには随分と驚かされてきたが、エリザベートのは少し違う。リオはあの子のように、回りの者に決定的な面倒をかけるような行いはしなかった。…それで、リオは?これからどう考える?」

 レオナールは、ドォウノケシ王国産のウィスキーを、水を少なめにしたトワイスアップにして飲むのが好みだった。それを口に入れると、燻製のような香りが鼻に抜けた。

「リオは反対するだろうが、アングラント侯爵の末息子との縁談を進めようと思う。」
「陛下にとりましても、これはつらい決断なのでは?愛のない結婚は陛下が一番に嫌うことでございましょう?」
「…アントナンのところの末息子は、今年三十になるのだが、体が弱く、寝込むことも多い。アントナンの仕事を手伝っているが、休みがちになっている。それが原因で、縁組みが上手く進まず、今も独身のままだ。しかし、穏やかで思いやりのある男だ。穏やかな結婚生活を送れるのではと思う。同じ愛のない結婚でも、私の父や母とは違うさ。」
「えぇ。そうですね。でも…やはり、懲罰のように結婚の話しを進めるのは気乗りしないのです。」
「リオはそう言うと思っていた。だから、一度あの子をエパナスターシへ行かせてみようと思う。もし、先方が良いと言えば、留学で。それがダメでも、魔剣と魔盾を納めに行くのをエリザベートに任せようと思っている。そうすれば、エパナスターシのヨハン王と謁見の機会もできるだろう。そこで、自分で事態を好転させることが出来れば、改めてエパナスターシに打診するのも悪くないのではと。」
「陛下。」
「しかし、私が計画していることは、エリザベートには内密にだぞ。あの子に悟られぬようにな。」
「わかりました。陛下。」

 もう一度、ウィスキーを口に含み、力無く笑った。
 
「父上も、大変だったのだろうな。」
「何がでございますか?」
「国王であることと、父親であることを両立することだ。」

 グラスの中のウィスキーをじっと見つめて、

「あの子は、リオによく似ていて、本当に愛らしい娘だ。だから、あの子が幸せになってくれるのであれば、何でもしてやりたい。しかし、あのままクリストッフェル殿下との結婚話しを進めてしまえば、向こうの良いように話しが進んでしまっただろう。無作法なのはこちらなのだから文句は言えない。一人の父親としてなら、それでも娘が幸せになれるのであれば、クリストッフェル殿下へ頭も下げよう。しかし、私は国王で、あの子は王女だ。しかも、世界最強の魔力を持つリオの娘。国王としては、そんな結婚は受け入れることは出来ない。娘に憎まれようと、恨まれようと、あの子やこの国の権利は守らねば。あの子はただの父親として存在して欲しいと願ったのに、私はただの父として存在してやることができない。なんと…無力なものだ。」
「我が子の幸せより、国の利益を優先しないとならないのは、親として大変に苦しいことです。先人の方々が国民を我が子と考えようとしたのはそのためかもしれませんね。国民を我が子と思えば、犠牲にするものへの心の傷を軽く出来るような気が致します。」


∴∵


 辻馬車がいつものところで停車して、コンスタンティンは御者に礼を言うと、静かに下りた。
 コンスタンティンは悩んでいた。自分が頭を下げ、父や国王陛下に願い出れば、きっと、子供たちはもちろんのこと、エディットとユーグもエイクマン家の者として暮らせるようになるだろう。しかし、この国の平民として生きてきたユーグやエディットにとって、エパナスターシで貴族として暮らすのは窮屈な事も多いだろうと思う。この国でももちろんだが、位高き者、徳高くあるべきと考えられていて、貴族は民のために努力をすべきだと教えられてきた。自身の義務に対しては、幼い頃からくどいほど教育されてきた。あの窮屈な思いを、我が子にさせるのか。伯爵子息の人生しか知らなかったときは、疑いもしなかった事も、平民のエヴァリストとしての生き方を知ってしまうと、窮屈さを感じることもある。仕事があり、食うに困らず、家もある。この生活を捨てて、あの生活に戻るのか?

「エヴァリスト。」

 突然声をかけられ、振り返ると、大荷物を持ったエディットがいた。

「私も一緒に行く。一人になるのは()よ。」
「あちらに行ったとして、キミや子どもたちがどんな生活になるのか、今の俺には保証できない。一度、俺だけで戻って、父や母に話しをしてこちらに・・」
「だめよ。六年も、六年もあの子たちが行方不明で、それでもある日突然、無事で帰って来たら?あなたは、あの子たちを手放せる?私たちの生活の保障なんてどうでもいい。それでも、一緒に行く。毎日は会えなくなっても、国を跨ぐよりずっと近くに居られる。お願い。私たちを連れて行って。」
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