薄氷の城
第 6 話 魔獣討伐
リッティパゴウが出現したと報告があってから二日、出発は翌日に迫っていた。
今日はこの討伐のために特別に編成された騎士が王城の部屋に集められていた。騎士たちは昨日、一日休みを与えられ、家族との時間を過ごした。その温情が、これから手加減のない厳しい現場へ向う現実を感じさせる。
部屋の前方には地図が貼られていて、出現した場所に印が付けられている。張り出された地図の両端には一介の騎士では言葉を交わすことも躊躇うような騎士団の上層部が並んでいる。
「今回は、特別編成の小隊二つで向う。記録係として、文官のコンスタンティン・エイクマンも同行する。」
その列から一歩前に出ているのは国立騎士団、第一中隊の中隊長で今回の現場指揮官でもある、子爵のフィンセント・ベール。彼は随行する非戦闘員とコンスタンティンを入れた合計三十八名を前に作戦を朗々とした声で説明する。
フィンセントは、一通り行程や作戦の説明を終えると、それぞれに細長い木札を二枚ずつ配る。これは認識票で二枚の両方に名前と部隊名が焼き印されている。木札に樹脂を何度も塗り、普通の木よりも丈夫で腐敗もしにくくなっている。討伐へ向う時にこれを腕にくくりつけ、万が一死亡した時には相棒が一枚を遺族への報告用に持ち帰り、一枚は遺体に判別用として付けたままにしておく事が決まっている。
魔獣に襲われて殉死した場合、見た目だけでは判別しにくい状態になっていることも少なくないからだ。
それを手に取った隊員たちの顔は曇る。コンスタンティンも、自身の名前が刻まれた認識票を指でそっと撫でた。
「使い方は、騎士団員なら分かっているな。リッティパゴウは容易く討伐出来る魔獣ではない。細心の注意を充て決して単独行動などはしないよう。今日は明日の出立に備えるように。以上。」
その言葉を合図に、出席者は次々に部屋を出て行く。フィンセントは説明のために使っていた書類などを片付けていた。
フィンセントには気掛かりなことがあった。何故か王太子から名門貴族家の子息三人を今回の討伐に入れて欲しいと話しがあったことだった。
リッティパゴウは手練れの騎士でさえも手を焼く上級の魔獣だ。それを討伐現場の経験が無く、王都の巡回警備が主な仕事である新人騎士と戦闘訓練をした事のない文官を連れて行くなど…。無意識にため息を吐くと、どうかしたのかと問われ、視線を上げた。ため息の原因の一つ、エイクマン家のコンスタンティンだった。フィンセントは、柔和な表情を作る。
「いえ…なんでも。…どうしましたか?帰らないのですか?」
「申し訳ありません、この認識票の付け方が分からなくて。」
フィンセントは一拍間が空き、
「あぁ。貸して下さい。まず…」
「ベール指揮官。私に敬語はやめて下さい。この部隊では私はただの記録係です。あなたの部下の騎士たちと同じ様に接して下さい。」
「…では君も、ベール指揮官ではなく、隊長と呼ぶように。」
「はい。ベール隊長。」
「この認識票は、まず、蔦に通して…」
フィンセントは、口で説明しながら、自分の腕に器用に結びつけた。
「この結び方だと、いくら激しく動いても結び目が綻ぶことがなく、結んだ長い方の紐を引くと、簡単に解けて認識票が一枚取れる。蔦は再び結んで、取った認識票は無くさないように持ち帰る。こっちの短い方の紐を引くと余計に蔦がきつく締まってしまうから解くときは必ず長い方を引くように。」
自分の腕についていた認識票を全て外して、やってみろと言ってコンスタンティンへ渡した。
コンスタンティンは、フィンセントから聞いた説明を口に出しながら自分の腕にくくりつけている。
「君は、何故今回の討伐に参加しようと思ったんだ?」
「…いえ、招集に従ったまでですが…。」
コンスタンティンは、蔦を腕にくくりつけることに夢中になり、視線を自らの腕に落としたままでフィンセントの問いに答える。
「君は自ら討伐への参加を志願をしたと聞いていたが?」
「討伐への志願と申しますか、これからの防衛体制について考えるには、騎士団の仕事方法など知っておく必要があると感じておりましたので、討伐する際の指揮命令系統など勉強が出来ればと…直接見ることに超したことはありませんが、文官である自分が現場へ行っても邪魔になるのは十分理解していますので、今までの記録を見せて欲しいとお願いしていました。機会があれば、下級の魔獣討伐などを見られたらと話していました。」
「そうか…。」
フィンセントは、束ねて置いた書類に手を置いた。ならば何故、彼はここに集められることになったのか…。
「先ほども言ったが、リッティパゴウは手練れの騎士も手こずる魔獣だ。私の側を離れないように。」
「はい。足手まといにならないように気をつけます。」
「あぁ、頼む。」
∴∵
リッティパゴウの現れたのは、ゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンとの国境からほど近い山間部にあるポーリと言う小さな町だった。
先頭をエシタリシテソージャから派遣された騎士のサヴァーノ・チーニとその相棒で今回の特別編成の第一小隊長に任命されたヒルベルト・モンス男爵、その後ろを第一小隊の隊員十名、非戦闘員の医療班と炊事班が続いてその後を第二小隊が続く。
第二小隊には、エシタリシテソージャからバルド・メラーノ、その相棒で小隊長にエーリク・カルス男爵、その他に隊員が十二名。第二小隊の隊員の中には辺境伯御三家のブラウェルス家とフェルカイク家の子息もいる。
そして、最後尾に中隊長のフィンセントとコンスタンティンが続いた。
討伐中コンスタンティンは、中隊長に張り付いてその指示の全てを記録することになっている。
王都を出発して数時間、小さな山を登ったところで、休憩をした。
「どうだ?コンスタンティン。」
コンスタンティンが携行食の干し肉にかじりついていると、トーマスとピーテルが後ろからやって来た。
コンスタンティンと御三家のトーマス・ブラウェルス、ピーテル・フェルカイクは学年こそ違うが、同じ王立学園に通っており、名門家の子息同士幼い頃から交流もあった。
「馬での長距離移動は堪えますね。」
コンスタンティンは素直に、困った顔をした。トーマスは豪快に笑った後、 ‘すまない’と謝った。
「いやぁ、今を時めくコンスタンティン・エイクマンがこんな困り顔をするとは、社交界の女性たちに見せたいな。」
「正直、僕は文官を目指していた事もあって、学園でも剣術などは成績が芳しくなかったですし、馬術も同じ様なもので…普段の移動では乗りますが、遠乗りは久し振りで…。」
「将来の閣議長が、騎士の気持を心得るのも重要だからな。」
「はい。そうですね。勉強になります。僕は、この他にも、討伐のことなんかは分からない事だらけですので、色々ご教示下さい。」
「固いな…まずは、騎士なら一杯酌み交わさないと。」
ピーテルは、自分に配られた酒をコンスタンティンに注ごうとする。
「いいえ。酒は遠慮しておきます。」
「気晴らしに少量の酒は良いと隊でも認められているんだぞ?」
「はい。しかし、慣れない討伐の現場ですし、記録係なので。」
「あぁ。わかったよ。何かあれば、俺たちに聞けよ。」
「はい。ありがとうございます。」
部隊がポーリの町に着いたのは王城を出発してから三日目の午後だった。
今日はこの討伐のために特別に編成された騎士が王城の部屋に集められていた。騎士たちは昨日、一日休みを与えられ、家族との時間を過ごした。その温情が、これから手加減のない厳しい現場へ向う現実を感じさせる。
部屋の前方には地図が貼られていて、出現した場所に印が付けられている。張り出された地図の両端には一介の騎士では言葉を交わすことも躊躇うような騎士団の上層部が並んでいる。
「今回は、特別編成の小隊二つで向う。記録係として、文官のコンスタンティン・エイクマンも同行する。」
その列から一歩前に出ているのは国立騎士団、第一中隊の中隊長で今回の現場指揮官でもある、子爵のフィンセント・ベール。彼は随行する非戦闘員とコンスタンティンを入れた合計三十八名を前に作戦を朗々とした声で説明する。
フィンセントは、一通り行程や作戦の説明を終えると、それぞれに細長い木札を二枚ずつ配る。これは認識票で二枚の両方に名前と部隊名が焼き印されている。木札に樹脂を何度も塗り、普通の木よりも丈夫で腐敗もしにくくなっている。討伐へ向う時にこれを腕にくくりつけ、万が一死亡した時には相棒が一枚を遺族への報告用に持ち帰り、一枚は遺体に判別用として付けたままにしておく事が決まっている。
魔獣に襲われて殉死した場合、見た目だけでは判別しにくい状態になっていることも少なくないからだ。
それを手に取った隊員たちの顔は曇る。コンスタンティンも、自身の名前が刻まれた認識票を指でそっと撫でた。
「使い方は、騎士団員なら分かっているな。リッティパゴウは容易く討伐出来る魔獣ではない。細心の注意を充て決して単独行動などはしないよう。今日は明日の出立に備えるように。以上。」
その言葉を合図に、出席者は次々に部屋を出て行く。フィンセントは説明のために使っていた書類などを片付けていた。
フィンセントには気掛かりなことがあった。何故か王太子から名門貴族家の子息三人を今回の討伐に入れて欲しいと話しがあったことだった。
リッティパゴウは手練れの騎士でさえも手を焼く上級の魔獣だ。それを討伐現場の経験が無く、王都の巡回警備が主な仕事である新人騎士と戦闘訓練をした事のない文官を連れて行くなど…。無意識にため息を吐くと、どうかしたのかと問われ、視線を上げた。ため息の原因の一つ、エイクマン家のコンスタンティンだった。フィンセントは、柔和な表情を作る。
「いえ…なんでも。…どうしましたか?帰らないのですか?」
「申し訳ありません、この認識票の付け方が分からなくて。」
フィンセントは一拍間が空き、
「あぁ。貸して下さい。まず…」
「ベール指揮官。私に敬語はやめて下さい。この部隊では私はただの記録係です。あなたの部下の騎士たちと同じ様に接して下さい。」
「…では君も、ベール指揮官ではなく、隊長と呼ぶように。」
「はい。ベール隊長。」
「この認識票は、まず、蔦に通して…」
フィンセントは、口で説明しながら、自分の腕に器用に結びつけた。
「この結び方だと、いくら激しく動いても結び目が綻ぶことがなく、結んだ長い方の紐を引くと、簡単に解けて認識票が一枚取れる。蔦は再び結んで、取った認識票は無くさないように持ち帰る。こっちの短い方の紐を引くと余計に蔦がきつく締まってしまうから解くときは必ず長い方を引くように。」
自分の腕についていた認識票を全て外して、やってみろと言ってコンスタンティンへ渡した。
コンスタンティンは、フィンセントから聞いた説明を口に出しながら自分の腕にくくりつけている。
「君は、何故今回の討伐に参加しようと思ったんだ?」
「…いえ、招集に従ったまでですが…。」
コンスタンティンは、蔦を腕にくくりつけることに夢中になり、視線を自らの腕に落としたままでフィンセントの問いに答える。
「君は自ら討伐への参加を志願をしたと聞いていたが?」
「討伐への志願と申しますか、これからの防衛体制について考えるには、騎士団の仕事方法など知っておく必要があると感じておりましたので、討伐する際の指揮命令系統など勉強が出来ればと…直接見ることに超したことはありませんが、文官である自分が現場へ行っても邪魔になるのは十分理解していますので、今までの記録を見せて欲しいとお願いしていました。機会があれば、下級の魔獣討伐などを見られたらと話していました。」
「そうか…。」
フィンセントは、束ねて置いた書類に手を置いた。ならば何故、彼はここに集められることになったのか…。
「先ほども言ったが、リッティパゴウは手練れの騎士も手こずる魔獣だ。私の側を離れないように。」
「はい。足手まといにならないように気をつけます。」
「あぁ、頼む。」
∴∵
リッティパゴウの現れたのは、ゼフェン・プリズマーティッシュ・クルウレンとの国境からほど近い山間部にあるポーリと言う小さな町だった。
先頭をエシタリシテソージャから派遣された騎士のサヴァーノ・チーニとその相棒で今回の特別編成の第一小隊長に任命されたヒルベルト・モンス男爵、その後ろを第一小隊の隊員十名、非戦闘員の医療班と炊事班が続いてその後を第二小隊が続く。
第二小隊には、エシタリシテソージャからバルド・メラーノ、その相棒で小隊長にエーリク・カルス男爵、その他に隊員が十二名。第二小隊の隊員の中には辺境伯御三家のブラウェルス家とフェルカイク家の子息もいる。
そして、最後尾に中隊長のフィンセントとコンスタンティンが続いた。
討伐中コンスタンティンは、中隊長に張り付いてその指示の全てを記録することになっている。
王都を出発して数時間、小さな山を登ったところで、休憩をした。
「どうだ?コンスタンティン。」
コンスタンティンが携行食の干し肉にかじりついていると、トーマスとピーテルが後ろからやって来た。
コンスタンティンと御三家のトーマス・ブラウェルス、ピーテル・フェルカイクは学年こそ違うが、同じ王立学園に通っており、名門家の子息同士幼い頃から交流もあった。
「馬での長距離移動は堪えますね。」
コンスタンティンは素直に、困った顔をした。トーマスは豪快に笑った後、 ‘すまない’と謝った。
「いやぁ、今を時めくコンスタンティン・エイクマンがこんな困り顔をするとは、社交界の女性たちに見せたいな。」
「正直、僕は文官を目指していた事もあって、学園でも剣術などは成績が芳しくなかったですし、馬術も同じ様なもので…普段の移動では乗りますが、遠乗りは久し振りで…。」
「将来の閣議長が、騎士の気持を心得るのも重要だからな。」
「はい。そうですね。勉強になります。僕は、この他にも、討伐のことなんかは分からない事だらけですので、色々ご教示下さい。」
「固いな…まずは、騎士なら一杯酌み交わさないと。」
ピーテルは、自分に配られた酒をコンスタンティンに注ごうとする。
「いいえ。酒は遠慮しておきます。」
「気晴らしに少量の酒は良いと隊でも認められているんだぞ?」
「はい。しかし、慣れない討伐の現場ですし、記録係なので。」
「あぁ。わかったよ。何かあれば、俺たちに聞けよ。」
「はい。ありがとうございます。」
部隊がポーリの町に着いたのは王城を出発してから三日目の午後だった。